PR

三島由紀夫『近代能楽集』解説あらすじ

三島由紀夫
記事内に広告が含まれています。

始めに

 三島由紀夫『近代能楽集』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

ジャン=コクトー、ラディゲ流の新古典主義。シュルレアリスム

 三島由紀夫は私淑したラディゲ(『ドルジェル伯の舞踏会』肉体の悪魔』)、コクトー(『恐るべき子供たち』)流の新古典主義が特徴です。端正な線で対象を流離に描く姿勢はここでも発揮されています。

 ラディゲはコクトーなどのモダニスト、シュルレアリストと親交があって、前衛的な文学的潮流と接触していたものの、本人はフランスの心理小説(コンスタン『アドルフ』、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』)やロマン主義文学(ミュッセ)に習いつつ、古典的な小説スタイルでもって小説を展開していきました。『ドルジェル伯の舞踏会』もクラシックな心理小説『クレーヴの奥方』の翻案として、王宮文学としてのメロドラマを展開します。

心理劇としてのデザイン

 三島由紀夫の心理劇はまた、オスカー=ワイルド、スタンダール(『赤と黒』『パルムの僧院』)、谷崎潤一郎の心理劇の影響が顕著です。

 オスカー=ワイルドはシェイクスピアなどのイギリス=ルネサンス演劇にならった古典的なスタイルの喜劇に秀でていて、代表作は4大喜劇(『真面目が肝心』『ウィンダミア卿夫人の扇』『理想の夫』『つまらぬ女』)と呼ばれます。そのジャンルではノッてるときはシェイクスピアと並びます。また、本作にはワイルド『サロメ』的なファム=ファタールのドラマが多くあります。

 またワイルドのフォロワーの芥川『桃太郎』、そのフォロワーの太宰『お伽草紙』のような、テーマ小説的なパロディ、オマージュセンスを感じさせます。

 スタンダールはシェイクスピアが好きで、そこから『赤と黒』『パルムの僧院』などのメロドラマを展開しました。

 谷崎潤一郎はワイルド、スタンダール、バルザックなどから影響され創作に演劇的な背景をたたえつつメロドラマを展開していきました。しかし、川端もそうですがウェルメイドな戯曲や中間小説では三島には遠く及ばず、演劇の創作からははやくに距離を置いています。

 三島由紀夫はこうした演劇的な背景をもつ作家の創作によく学んで、物語の設定や因果的連なりをデザインする手腕を獲得していきました。

原典からの脚色

邯鄲

 原作は邯鄲の枕の話に基づく『邯鄲』です。

 原作のあらすじです。昔、中国の蜀という国に、盧生という男がいました。彼はあるとき、楚の国の羊飛山に偉い僧がいると聞き、どう生きるべきか尋ねてみようと思い、旅に出ます。道中、盧生は邯鄲という町で宿を取り、女主人に勧められて、粟のご飯が炊けるまでの間、「邯鄲の枕」という不思議な枕で眠ります。邯鄲の枕は女主人がある仙術使いから貰ったもので、未来について悟りを得られるとされます。

 盧生が寝ていると、誰かが呼びに来て、それは楚の国の皇帝の勅使で、盧生に帝位を譲るために遣わされたそうです。そうして玉の輿に乗り、宮殿へ行きました。

 盧生が皇帝になって五十年が過ぎました。宮殿では、在位五十年の祝宴が催されます。盧生も興に乗り、舞いだします。すると昼夜、春夏秋冬が目まぐるしく移り変わる様子が眼前に展開され、やがて途切れ途切れになり、一切が消え失せます。宿の女主人が、粟ご飯が炊けたと起こしに来て、盧生は目覚めます。皇帝在位五十年は夢の中のことでした。

 五十年の栄華も、粟ご飯が炊ける間の一炊の夢でした。盧生はこの世はすべて夢のようにはかないものだと悟ります。そしてこの邯鄲の枕こそ、人生の師であったと感謝して、帰途につくのでした。

 三島の本作ではこれを、もともと虚無的な少年が、人生の儚さという教訓を押し付けようとする枕の精霊に抗い、みずからの生を生きようとする物語に転換され、この辺りはキリスト教や道徳をネガティブにみたニーチェの影響が見えます。 

綾の鼓

 原作では、筑前国の木の丸の皇居に仕えている臣下の者がいて、そこには桂の池と言う大きな池があり、管弦楽が催されています。臣下の者が言うには、庭掃きをしている老人が女御の姿を見て恋に落ちてしまったといいます。女御は不憫に思い、桂の木に鼓を掛けて老人に打たせ、音が皇居に届けば姿を見せようと言ったので、そのことを臣下は老人に伝えます。しかし音を鳴らせず、老人は池に飛び込んで自殺します。

臣下は、このような者の執心は恐ろしいゆえ池に出てご覧下さいと言います。女御が池に出てみると池の波の打つ音が鼓の音に聞こえます。そもそも綾の鼓は音が出るはずが無いのに、なおも鼓の音が聞こえます。そして怨霊となった老人が現れ、女御を責め立てて帰っていきます。

 三島の本作も大まかなプロットは同じですが、音のならない鼓を与えたのは女御にあたる華子の意思ではなくその取り巻きで、また原典では老人の怨霊が責め立てて女御を苦しめるのに対して、岩吉の亡霊を華子は冷たくあしらい、「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば」と最後に呟きます。

 このようにファム・ファタール的な女性として女御を転換し、彼女の傲慢さのある種の勝利で終わる形で物語を締めくくっています。また、「卒塔婆小町」の原作の百夜通いを踏まえる展開です。

卒塔婆小町

 高野山の僧の一行が、都へ上るときに摂津国阿倍野付近に差し掛かりました。そこで僧は、乞食の老婆が、朽木の卒都婆に腰掛けているのに気づきます。この老婆は有名な歌人、小野小町でした。僧は、その振る舞いを正して卒都婆から立ち退かせようと、説教をします。すると老婆は、含蓄のある言葉言い負かし、老婆に敬意を抱いた僧は、老婆に礼を尽くします。

 老婆は歌を詠み、僧を感心させます。僧が老婆に名を尋ねると、老婆は小野小町だと明かしました。小町は、美貌を誇った過去を懐かしみ、今を嘆くと狂乱状態となります。小町には、かつて自分を恋慕した深草少将の怨霊が憑りついていました。その昔、深草少将(四位の少将)は、小町に恋心を打ち明け、小町は百夜私のもとに通ってきたら、あなたの恋を受け入れましょうと言い、毎日通わせました。深草少将は九十九夜まで通うのですが、最後の一夜の前に死んでしまいました。そんな深草少将の怨念が残り、老境の小町を苦しめました。小町は、狂乱の内に深草少将の百夜通いの様子を再現し、やがて正気になり、後世の成仏を願うことが人の道であると語り、悟りの道に入ろうとします。

 三島の本作は、それを「老いと時間による美の儚さ」、「美による破滅」の主題の物語に翻案しています。こうした主題は前者はプルースト『失われた時を求めて』、『鹿鳴館』でオマージュを捧げた芥川「舞踏会」、後者はマン『ヴェニスに死す』の影響も見え、その両方の主題が『天人五衰』に見えます。

 小町は公園のモク拾いの老婆、深草少将は参謀本部になり、彼と詩人の男が重ねられます。老婆と詩人の会話のなか、不意にそこは鹿鳴館の舞台に変貌し、詩人(深草少将)は19歳の令嬢となった美しい小町とワルツを踊り、小町(老婆)の制止も聞かず、「君は美しい」と言ってしまうのでした。

 すると詩人は死に、鹿鳴館も公園に戻り、小町もモク拾いに戻ります。

「葵上」

 原作は有名な『源氏物語』と六条御息所の生き霊を描く内容です。光源氏の正妻、左大臣家の息女の葵上は、物の怪にとりつかれ重態になります。梓弓の音で霊を呼ぶ「梓の法」の名手、照日の巫女を招き、物の怪の正体を明らかにします。

 姿を表したのは、元皇太子妃で源氏の愛人の六条御息所の怨霊で、近頃は源氏の足も遠のき、密かに源氏の姿を見ようと訪れた加茂の祭りでも車争いで正妻の葵上に敗れ、憎悪をもっています。そして、葵上への嫉妬から後妻打ちで、魂を抜き取ろうとします。

 家臣たちは、法力を持つ修験者横川の小聖を呼びます。小聖が祈祷を始めると、御息所の心に巣くっている嫉妬心が鬼女となり、小聖にも襲いかかります。やがて御息所の怨霊は折り伏せられるのでした。

 本作はここから御息所にあたる康子を誘惑的な女性として描き、光の妻である葵は、結局この康子によって死んでしまいます。康子の性格を伝えるのが、生霊として姿を現しつつ、電話の向こうでは平然としているというその二面性によるファムファタール的な描写で、彼女のしたたかさの前に葵は敗れます。

班女

 原作では、美濃国野上の宿に、花子という遊女がおり、吉田少将という人が東国へ行く折に投宿し、花子と恋に落ちます。そしてお互いに扇を交換し、将来を約束し別れます。それ以来、花子は毎日扇を眺めて暮らし、宴席の勤めに出なくなります。野上の宿の女主人は、人から班女というあだ名で呼ばれる花子を苦々しく思い、宿から追い出します。

 東国からの帰途、吉田少将は再び野上の宿を訪れますが、花子がすでにいないと知り、落胆します。失意から京の都へ帰った少将は、糺ノ森の下賀茂神社に参詣します。その場に、花子が現れます。花子は、少将に恋焦がれ、狂女の班女となり、京の都にいました。

 恋の願いを叶え給えと神に祈る班女に、少将の従者が声をかけ、囃し立てます。班女はそれに心を乱します。少将と取り交わした形見の扇を手に、少将の言葉を嘆き、独り身の孤独を訴え、舞を舞います。班女は、逢わずいるほどつのる恋心を顕わにして、涙します。少将は班女の扇が気になり、扇を見せるよう頼みます。黄昏時の暗い中、少将と花子はお互いの扇を見て、お互いを確かめあい、喜び合うのでした。

 他方、三島の本作では大きな脚色が展開され、原典では宿の女主人に部分的にはあたるところの本多実子というキャラクターが中心人物になり、彼女と花子と芳雄をめぐる三角関係のドラマになっています。画家志望の40歳の女である本田実子は彼女の家に住まわせている美女で狂っているある花子を独占したく思い、芳雄と彼女の恋愛を懸念するものの、花子は狂ってしまって、訪ねてきた芳雄も彼と認識できずにすれ違います。

 何かをずっと待っている花子と、何も待たずにむしろ何もこないことを願う実子の対比が展開されます。

道成寺

 原作では、紀伊の国の道成寺で、春爛漫のある日、再興した釣り鐘の供養が行われます。住職は、訳あって女性が来ても絶対に入れてはならぬ、といいますが、一人の白拍子の女が供養の舞を舞わせてほしいと寺男に頼み込み、供養の場に入ります。

 女は独特の拍子を踏みながら鐘に近づき、ついに鐘を落としてその中に入ります。

 それを聞いた住職は、道成寺にまつわる物語を語ります。昔、真砂の荘司の娘が、毎年訪れていた山伏に裏切られたと思い込み、毒蛇となって、道成寺の鐘に隠れた男を、恨みの炎で鐘もろとも焼き殺した話です。

 女の執念がまだあることを知った僧達は、祈祷し、鐘を引き上げるものの、鐘の中からは蛇になった女が現れます。しかし毒蛇は鐘を焼くはずが、その炎でわが身を焼き、日高川の底深くに消えます。

 三島の本作では鐘が競りに出ている箪笥になっています。かつてこの箪笥は、資産家である桜山家の夫人が若い愛人の安をかくまうために使っていて、そのことに気づいた桜山が、中に隠れていた安をピストルで銃殺し、箪笥が血まみれになりました。箪笥の中で殺された青年である安は清子の恋人で、彼女はその箪笥の中で恋人を思いながら、愛されなかった自分の若い美しい顔が醜く変貌することを願っていました。そして清子は箪笥の中へ入って鍵をかけます。清子は手に硫酸の小瓶を持っていました。

 やがて箪笥の中から清子は、硫酸をかぶらず、美しい顔のまま出てきました。どんな怖ろしい悲しみも嫉妬も怒りの思いも、それだけでは人間の顔を変貌しないと悟り、自然と和解したそうで、もう箪笥はいらないと言って、名刺をもらってナンパされた競売客の男の1人に会いにいきます。

 変身譚のパロディとして、全体的に、ニーチェの身体的世界観の影響が強く『金閣寺』とその点で重なり、人を変貌させるのは精神でなくて行動だという思想が現れています。

「熊野」

 原作では、遠江の国、池田宿の女主人である熊野が、京の都で、平家の公達で権勢を振るう平宗盛に仕えています。故郷の母の病状が思わしくないと聞き、故郷に帰りたいと、願い出ますが、宗盛は今年の花見までは一緒に過ごそうと聞き入れません。やがて熊野の一家の侍女である朝顔が、母の手紙を持って訪れます。文には、病状が思わしくなく、今生の別れが来る前に一目でも会いたいという母の願いが手紙にしたためられていました。熊野は母の手紙を宗盛に読み聞かせ、帰郷の許しを願います。しかし宗盛は、清水寺の花見に同行するように命じます。

 春爛漫の中、心ならずも酒宴で舞を舞っていると、急に時雨が来て、花を散らします。これを見た熊野は、母を思う和歌を一首詠みます。それは宗盛の心に届き、ようやく帰郷が許されます。熊野は、急いで京を発ちました。

 このように宗盛という権威に翻弄される熊野と彼女の母への思慕、最後の別れのための帰郷の願いのドラマです。他方、三島の本作は宗盛の愛人の熊野が、実は本命の恋人の薫がおり、母の死のエピソードを嘘で拵えていたことが明かされ、熊野のファム・ファタール的な脚色がなされ、他方でそんな熊野に屈服されることを楽しむ『痴人の愛』さながらの宗盛が描かれます。

弱法師

 原作では、河内国高安に住む高安通俊は、他人の讒言を信じて、実子の俊徳丸を家から追い出してしまいます。後悔した通俊は、俊徳丸の現世来世の安楽を願い、春の天王寺で七日間の施行をします。その最終日、弱法師と呼ばれる盲目の若い乞食が、施行の場に現れ、これが俊徳丸その人でした。

 弱法師が施行の列に加わると、梅の花びらが袖に散りかかります。花の香を愛でる弱法師を見て、通俊は花も施行の一つだと言い、弱法師もこれに同意し、仏法をたたえて天王寺の由来を語ります。通俊は、弱法師が俊徳丸であると気づきますが、人目があるので夜に打ち明けようと考えます。通俊は弱法師に日想観を勧め、弱法師は、難波の景色を思い浮かべますが、やがて狂乱し、あちこちにつまずき転び、盲目の悲しさに苦悩します。

 夜更けに通俊は、俊徳丸に父であると明かします。俊徳丸は恥ずかしさから逃げますが、通俊は追いついて手を取り、高安の里に連れ帰るのでした。

 三島の本作は、この俊徳を悪人にし、自身が盲目であることや口のうまさで他人を利用することを楽しむ人間になっています。このあたりは『金閣寺』に現れた、自身の先天性内反足という障害と口八丁を武器にして女を征服する柏木と重なるキャラクター設定です。

源氏供養

 原作では、石山観音を信仰する安居院法印は、供の僧と連れ立って石山寺へと赴きます。その道中、里の女に声を掛けられます。石山寺で『源氏物語』を書いて名を得たものの、その供養をしなかったため成仏できずにいると女は言い、法印に供養を頼みます。法印が紫式部なのかと問うと、名乗らずに女は姿を消します。

 石山寺に着き、勤めを終えた安居院法印は約束を守り、夜更けに『源氏物語』と紫式部の弔いをします。すると、紫式部の霊が現れ、弔いに感謝します。法印が舞を所望すると、紫式部の霊は光源氏の供養のために、世の無常や人生の儚はかなさを謡い舞い、極楽往生を願います。光源氏と紫式部の供養が終わる頃、夜明けとなり、紫式部も成仏を確信します。

 最後は地謡によって紫式部が実は石山の観世音菩薩であることが明らかになり、『源氏物語』「夢の浮橋」も「この世は夢のように儚はかない」と説くために書かれたものだと語られます。

 三島の本作では、それを踏まえて、「春の潮」で知られる人気作家野添紫の死とその霊が描かれ、一旦は作家紫を神のような存在として描きながら、終盤で彼女の霊が起こした奇蹟がまがい物と明かされ、彼女の霊に遭遇した2人の文学青年が彼女や文学に幻滅するさまが描かれます

物語世界

あらすじ

「邯鄲」

 18歳の次郎は、幼少の頃に自分の面倒をみて辞めた女中で乳母の菊の家を訪ねてます。お坊ちゃまとの10年ぶりの再会に喜ぶ菊です。次郎は菊の家に邯鄲という里から来た枕があると噂で聞いていました。その不思議な枕は菊の家系が宝物にしており、その枕で寝て夢から覚めると、何もかも虚しくなるといいます。菊の旦那も邯鄲の枕で寝てから家出しました。それ以来、菊の家の庭の花が咲かなくなりました。

 人生が始まらないうちにすでに世の中が馬鹿らしいと思う次郎は、その枕の効き目は自分にないことを試そうとしていました。次郎は邯鄲の枕で眠ります。夢の中で次郎は美女や踊子たちに、ちやほやされるものの冷たくあしらわれます。そして秘書も現われ、次郎は自分が社長であることを知らされます。しかし次郎は全財産を寄付したので、秘書の気回しで政治家となります。そしていつの間にか独裁者となります。しかし端から夢を生きていない次郎は夢の中で寝てばかりでした。

 老国手に化けていた邯鄲の里の精霊は、このままでは、現世のはかなさを知るという教訓が次郎にもたらされないと考え、次郎を服毒死させて目が覚める筋書きにしようとします。しかし次郎は、「夢のなかだって僕たちは自由だ」と精霊の説教を聞き入れず、死ぬのを拒みます。怒った精霊は、「あんたは一度だって生きようとしたことがない」「つまり生きながら死んでいる身なんだ」と迫るものの、次郎は「僕は生きたいんだ」と毒薬をはねつけます。

 朝、目が覚めた次郎を見た菊は、そこに変らない罪のない可愛らしい顔を見るものの、亭主のようにさすらいの旅に出てしまうのかと不安になります。しかし次郎はずっと菊と一緒にここにいると誓います。

 そして辺りを見ると、庭の一面にきれいな百合や薔薇、桜草やすみれや菊の花々が咲いていたました。

「綾の鼓」

 ビルの3階にある法律事務所で働く老小間使の本田岩吉は、真向かいのビル3階の洋裁店を訪れる華子に一目惚れし、想いを寄せます。岩吉は事務員の加代子に、華子への恋文を毎日届けてもらい、もう100通になっていました。

 ある日、その手紙を読んだ華子の取り巻きの客たちは、岩吉に音の出ない芝居用の、皮のかわりに綾が張ってある鼓を渡し、もし窓越しに鼓の音が届けば華子が想いを叶えると悪戯を思いつきます。そして窓から鼓と手紙を岩吉の窓へ投げ送ります。華子はその悪戯を黙認します。

 岩吉は鼓を打つものの、どこを打っても音は鳴らず、からかわれたと知ります。そして向かいの窓のあざけりの笑いを聞き、絶望して窓から身を投げます。

 1週間後の深夜、岩吉の亡霊に呼ばれ、華子は洋裁店に来ます。華子は元娼婦のような女ですが、岩吉の亡霊は再び華子への恋を証明するために鼓を鳴らそうとします。鼓は鳴ったものの、華子は「きこえません」とあしらいます。岩吉の亡霊は鼓を打ち続けたがものの、100回目で諦め消えてしまいます。

 そのあと華子は「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば」と呟きます。

「卒塔婆小町」

 夜の公園のモク拾いの老婆が、ベンチの恋人たちの邪魔をしながら拾ったモクを数えています。それを見たほろ酔いの詩人が老婆に声をかけます。詩人は、ベンチで抱擁している若いカップルたちを生の高みにいると言うのに対し、老婆は、あいつらは死んでいる、生きているのはこちらだと言います。

 やがて老婆は自分が昔、小町と呼ばれた女だと言い、自分を美しいと云った男はみんな死んだから、自分を美しいと云う男は、みんなきっと死ぬんだとと説明します。笑う詩人に老婆は、80年前、参謀本部の深草少将が自分の許に通ってきたこと、鹿鳴館の舞台のことを語り出します。

 すると、公園は鹿鳴館の舞台に変貌し、舞踏会に招かれた男女が小町の美貌を褒めます。詩人(深草少将)は19歳の令嬢となった美しい小町とワルツを踊り、小町(老婆)の制止も聞かず、何かをきれいだと思ったら、たとえ死んでもきれいだと言うと宣言し、「君は美しい」と言ってしまうのでした。そして、「僕は又きっと君に会うだろう、百年もすれば、おんなじところで」と言い死ぬのでした。

「もう百年」と老婆が言います。すると、再び舞台が公園のベンチに戻ります。死んだ詩人は警官たちに運ばれ、99歳の皺だらけの老婆は、またモクの数を数えはじめます。

「葵上」

 入院して毎夜苦しむ妻の葵のもとへ、美貌の夫である若林光が見舞いに訪れます。看護婦によると毎晩見舞いに来るブルジョア風の女がいるといいます。光が病室にいると、和服姿に黒い手袋をつけた六条康子が現れます。光と康子はかつて恋仲でした。毎夜、葵を苦しめていたのは嫉妬心に駆られた六条康子の生霊だったのでした。康子(生霊)は光の気持ちを自分のほうへ向けようとします。

 病室に、かつて2人で乗った湖上のヨットが現われ、康子は幸福だった昔の思い出を語ります。その魔力によって、妻の葵のことを忘れそうになった光ですが、葵のうめき声で我にかえり、康子の愛を拒絶します。康子は消えてしまいます。

 光は六条康子の家に電話をかけます。康子(生身)は電話に出て、ずっと家で寝ていたと言います。その時、病室のドアの外から、さっきの康子(生霊)が、忘れた黒手袋をとって頂戴と光に声をかけてきます。受話器をそのままにして光は病室から出て行きます。 

 受話器から康子(生身)の、「何の用なの。 もしもし」という声が響く中、葵が苦しみ出し床の上に転がり落ちて死んでしまいます。

「班女」

 画家志望の40歳の女である本田実子は不安でした。彼女の家に住まわせている美女である花子の古風なロマンスのことが新聞記事になってしまったのでした。花子はかつて吉雄を愛し、扇を交換しました。いつか会えることを願って駅のベンチで男を待ち続けているうちに狂気に陥りました。

 狂女の花子が扇を手に、ずっと駅で吉雄を待っています。その記事がいずれ吉雄の目にとまり、二人が再会するのを実子は恐れます。実子は花子の美しさを愛し、その美を独占したかったので、花子を描いた絵だけは一切発表しませんでした。世間から花子を遠ざけるため、実子は花子を旅行に誘うものこ、花子は聞こうとせず、ずっとここであの人を待つのだといいます。

 新聞記事をみた吉雄が扇をもって実子の家を訪れます。実子は必死に吉雄を家に入れまいとするものの、花子が部屋から現われ吉雄と対峙します。しかし、吉雄を見た狂女の花子は、あなたは吉雄さんのお顔ではないと言います。吉雄は失意のうちに去ります。

 そして再び、花子の待つ人生、実子の何も待たない人生が続くのでした。

「道成寺」

 古道具屋で骨董家具の競売があります。商品として出されたのは、巨大な洋風衣裳箪笥で、何百着の衣裳を入れても余るほどの、巨大で高品質の衣裳箪笥でした。客が高額で入札しているところへ、踊り子と称する美しい娘の清子がやって来て、その箪笥は3000円の値打ちしかないと言います。

 清子は箪笥の出所を暴露します。かつてこの箪笥は、資産家である桜山家の夫人が若い愛人の安をかくまうために使っていたこと、そのことに気づいた桜山が、中に隠れていた安をピストルで銃殺し、箪笥が血まみれになったことを、清子は話します。客たちは教えてくれた清子にお礼を言いつつ、次々と帰ります。

 怒った骨董店の主人に、清子は話の続きをします。箪笥の中で殺された青年である安は清子の恋人でもありました。彼女はこの箪笥を手に入れるためにやってきていました。その箪笥の中で恋人を思いながら、愛されなかった自分の若い美しい顔が醜く変貌することを願っているといいます。しかし主人は50000円以下では箪笥を売ろうとしないのでした。そこで清子は箪笥の中へ入って鍵をかけます。清子は手に硫酸の小瓶を持っていました。

 やがて箪笥の中から清子は、硫酸をかぶらず、美しい顔のまま出てきます。四方の鏡の中で焼けただれた顔の幻影を見たものの、清子は、どんな怖ろしい悲しみも嫉妬も怒りの思いも、それだけでは人間の顔を変貌しないと悟り、自然と和解したそうです。もう箪笥はいらないと言って、名刺をもらってナンパされた競売客の男の1人に会いに骨董店を去ります。

「熊野」

 美しい女である熊野(ユヤ)は、大実業家の宗盛に愛人となり、豪勢なマンションで暮していました。ある春の桜の季節、ユヤは、母親の病気を理由に、実家の北海道に帰らせてほしいと宗盛に言います。

 しかし宗盛は、今日は花見に行こうと誘います。今日の盛りの桜の花は今しか見られないのだと言い、美しい盛りのユヤを伴って花見をしたいと言って、母の危篤に一刻も早く駆けつけたいというユヤの申し出を聞き入れない。

ユヤの友人・朝子が現われて、ユヤの母からの手紙を持ってきます。そこには死ぬ前に娘に会いたいという母の心情が綴られていました。その手紙を聞かされても、宗盛はユヤを花見に誘うものの、バルコニーで話していると雨もようとなり、ユヤは宗盛の許可を得て部屋を出ようとします。

 そこへ、宗盛の秘書の山田が入って来ます。ユヤの母親であるマサも一緒でした。母親が病気という話はユヤの嘘でした。ユヤには、北海道の自衛隊で働く恋人である薫がいました。本当の母親もユヤが15歳のときに死亡しています。ユヤは恋人に会うために宗盛に嘘の里帰りの理由を考えていました。薫とは結婚を約束していて、愛人稼業は結婚資金のためだと、山田が調べてきていました。

 マサや山田らが部屋を出て、ユヤと宗盛が2人きりになります。しかし、宗盛は怒りません。マンションの外では、雨が降って、遠くの桜が濡れています。

 ユヤは、「お花見ができなくて残念」と言うと、宗盛は、捲きついていたユヤの腕をとき、手を握ったまま「俺は実にいい花見をした」とユヤを遠くから見つめるように告げます。

弱法師

 晩夏の午後の家庭裁判所の一室で、川島、高安の2組の夫婦が俊徳の親権を争います。俊徳は高安夫妻の子供でした。しかし5歳の時、空襲の戦火の中で両親とはぐれ、火を受けて失明し浮浪児となっていたのを川島夫妻に拾われ、15年間育てられて20歳になっていました。

 話し合いの決着がつかず、調停委員の桜間級子は俊徳を部屋に呼びます。俊徳は育ての親の川島夫妻を奴隷のようにし、肉親の愛情を訴えようとする高安夫妻も虫けらのように扱います。そして「僕は裸の囚人ですね?」と聞き、自分の言うことになんでも同意しなければ親の資格はないと言うのでした。

 埒が明かず、桜間級子は親たちを別室に引き取らせ、俊徳と話をします。そのときちょうど夕日が沈むところで、級子は西窓に夕焼けを目にします。俊徳はその夕焼けを地獄の東門へ沈んでゆく、僕にも見えると言い、「あれはこの世のおわりの景色なんです」と、戦火の地獄の思い出を語ります。そして級子に「この世のおわりを見たね?」と同意を求めます。

 級子はしばらく躊躇の後、それを否定します。俊徳は反発し級子を邪険にするものの、彼女は「ずっとあなたのそばにいる」と言います。俊徳は落着きを取り戻し、店屋物の食事を級子に頼みます。そして、電灯をつけて部屋から出て行く級子に向かい、「どうしてだか、誰からも愛されるんだよ」と呟くのでした。

「源氏供養」

 海を見渡す浦田岬の崖上の松林に美人作家である野添紫の文学碑が立っています。晩春の午後、2人の文学青年が手に小説「春の潮」を携えてやって来ます。「春の潮」は野添紫の大ベストセラー小説で、主人公は絶世の美男である藤倉光です。光は54人の女性に愛されながらも、最後はこの浦田岬の崖の上から身を投げて自殺するのでした。作者の野添紫は、この小説を書き財産を手に入れたものの、子宮ガンで亡くなりました。

 2人の文学青年は文学碑の前で、「春の潮」の主人公の藤倉光がまるで実在した人間かのように、光がなぜ死んだのかを語り合い、光が身を投げたコースを辿ろうと話します。

 あたりが暗くなり、春雷が響きます。2人があわてて見物を急ぎ、コースを回っているとき、文学碑の後ろからスラックスに丸首セーターを着た1人の中年の女が現われます。そして碑の上にぞんざいに腰かけ、足を組んで煙草をふかします。あたりがまた明るくなり、文学碑の前に戻ってきた2人の青年は女を見ておどろきます。

 青年たちから誰かと問われても、女はただ、この石碑に座る権利のある女、としか答えません。そして石碑のほとりに2人を招き、肩に手をかけ「ここから見ててごらん、本当の光を見せてあげる」と言います。

 見ると、「春の潮」の主人公の光が夕映えに照らされた松かげから現れます。2人は美男子の光に感動し、小説の光の容姿の描写を暗誦して見ていると、光は松のまわりを廻ったあと、崖から身を投げてしまいます。しかし、また松林から光が現われ、何度も同じことをくり返します。やがて青年2人は、女の話ぶりから、彼女が野添紫の霊だとわかります。

 野添紫は自分が死んだのは、読者が実在を信じたがった主人公を創り出しながらも、その主人公を救ってやらなかった報いだと話します。小説を書くことは実在のまねごとで人をたぶらかすことで、それは罪だと知っていたから、せめて救済のまねごとは遠慮したのに、それが天の妬みを受けたのだと語ります。光のような救済の輝きだけを身に浴びて、救済を拒否するような人間こそ、天は創りたくても創れず、それが創れるのは芸術家だけだから、それが天を怒らせるのだと、彼女は話します。

 紫が子宮ガンの苦しみを語っている最中、観光バスで来た団体客が近づいてくる音がし、紫は石碑のうしろへ消えていきます。青年2人は、また松のかげから光が現れたのを発見するものの、よく見るとそれは回転式灯台の光りでした。紫から受け取った血だらけのハンカチも、真っ白なままになっています。

 2人は、「だまされた」「文学なんかとは縁切りだ」と言い、持っていた本を捨てます。そして、観光バスの団体客たちが、文学碑の前でガイドの説明を聞いているのを見て、青年2人は、笑い出すのでした。

附子

 ニューヨークの3rdアヴェニューにある高級アンティーク店のDuke Laspootinov(デューク=ラスプーチノフ)には、初老のケチな主人と2人の若者の店員であるKeichi と Chiz がいました。ある日の午後5時ごろ、主人はカクテル・パーティーに行くから、閉店まで留守番をするように2人の店員に言って出かけます。

 2人は、主人がしまっている毒が入ったという東洋風の瓶を開けます。その瓶はアイスボックスの仕掛けで、中にはキャビアとレモンが入っています。2人は主人の葡萄酒も持ってきてキャビアをどんどん食べます。

 主人が帰ってきます。そして、空の酒瓶がころがり困っている2人を見て怒ります。2人は店の高価な陶器を主人に次々と投げつけ、タピストリーを引き裂きながら逃げ回ります。2人が店から逃げて行き、店には、両手に壊れやすい物をかかえて身動きできずに立っている主人が残されます。その傍の変なポーズの仏像と全く同じポーズをしています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました