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谷崎「金色の死」解説あらすじ

谷崎潤一郎
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始めに

谷崎「金色の死」解説あらすじを書いていきます。

 

背景知識、語りの構造

象徴主義(ワイルド)と古典主義(スタンダール)、ヴィクトリア朝文学(ハーディ)

 谷崎潤一郎は英仏の象徴主義、古典主義からの影響が顕著です。オスカー=ワイルドの作品は『ウィンダミア卿夫人の扇』などを共訳で翻訳していますし、『サロメ』的なファム=ファタールを描いた『痴人の愛』もあります。ワイルドの戯曲作品のような、卓越したシチュエーションのデザインセンスとその中での心理的戦略的合理性の機微を捉えるのに長けているのが谷崎文学の特徴です。

 またオスカー=ワイルドは同性愛者であり、破天荒でスキャンダラスな人生を送り、人生のなかで実生活上におけるパフォーマンスとしての芸術を実践しましたが、本作が描く内容もそれと重なります。

 加えてスタンダール(『赤と黒』)的な心理劇、古典趣味も谷崎に顕著に影響しています。

ポーとミステリー、乱歩。それから三島

 谷崎はポーの影響が顕著ですが、ポーは探偵小説のルーツとされており、谷崎にも犯罪要素を孕んだもの、ミステリー色の強い作品があります。具体的には『途上』『金と銀』『白昼鬼語』『』などです。

 本作はミステリーではないですが、ポー「アルンハイムの地所」からの影響があります。「アルンハイムの地所」は、莫大な遺産を相続したエリソンがアルンハイムの地に築き上げた人造の楽園を語り手でエリソンの友人の人物が紹介する内容です。内容的に起承転結はなく、楽園を紹介するばかりで、エリソンもすでに故人のようです。

 それに触発された「金色の死」も、岡村君という男がつくった人工の楽園を、その友人の語り手が尋ね紹介するというプロットや設定は共通です。他方で、楽園の趣はそれぞれだいぶ異なっています。また、ラストのインパクトのある最期も谷崎の本作独自の意匠です。

 江戸川乱歩に『パノラマ島奇談』という作品があり、これは「金色の死」と「アルンハイムの地所」を踏まえる内容です。乱歩は谷崎もポーも好んでいて、『パノラマ島奇談』のは「黒猫」などポー作品への種々のオマージュが見えます。『パノラマ島奇談』では貧しい小説家の人見広介が自分と同じ顔をした大金持ちの菰田源三郎に成り済まして、孤島に巨大なパノラマを作り始めるものの、やがて菰田の妻である千代子に気付かれ、彼女を殺して遺体を人柱にします。柱に付着していた千代子の髪の毛と過去の小説の内容により、破滅を悟った人見は自らを花火として空に放って、命を散らし、粉々になった肉体をパノラマ国に撒き散らします。

 『パノラマ島奇談』は「アルンハイムの地所」「金色の死」と比較して、人造の楽園創造のプロットは共通するものの、語り手は異質物語世界の三人称になっている点、サスペンス色が強いストーリー、主人公の破滅によって締めくくられるラストなどが特徴的です。「金色の死」における主人公の死も印象的ですが、そちらが享楽的な満たされた死であるのと比べて、『パノラマ島奇談』における主人公の自殺は、身の破滅に由来する絶望に由来します。

 他に三島由紀夫も『三島由紀夫の美学講座』などで、本作を失敗作としつつも部分的に評価していて、三島由紀夫のボディビルへの傾倒やパフォーマンス的最期を思うと、本作への着目の所以がしれます。

岡村君の理想

 岡村君の美学は、作中で彼が記した手記に現れます。

 「最も卑しき芸術品は小説なり。次ぎは詩歌なり。絵画は詩よりも貴く、彫刻は絵画よりも貴く、演劇は彫刻よりも貴し。然して最も貴き芸術品は実に人間の肉体自身也。芸術は先ず自己の肉体を美にする事より始まる。」
「チャリネは生ける人間の肉体を以て合奏する音楽なり。故に至上最高の芸術也。」
「建築も衣裳も美術の一種なるに、料理は何故に美術と称するを得ざるや。味覚の快感は何故美術的ならずと云うか。われ之を知るに惑う。」

 岡村君はそんな風に書いていて、「自己の肉体を美にする」事に専心し、機械体操と薄化粧を以前からしていました。ポーの「アルンハイムの地所」は、エリソンが自然の不完全さを人工の加工により克服して完全な美を実現しようとした楽園でしたが、「金色の死」で岡村君の美学の中心を占めるのは人間の肉体の美であって、それを化粧や衣装、舞台などによって実現しようと楽園を企図したのでした。

 本作に描かれる男の化粧のプロットはまた、『秘密』にも現れます。

 タイトルにもある金色の死は、岡村君が理想のために満身に金箔を塗って如来を演じて踊り狂い、翌朝には美しい金色の死体になったことを示します。

谷崎と死

 谷崎は、現実的な性格の人ですが、結構臆病でした。臆病というのは、三島由紀夫などとは対照的に、精神レベルにおける抽象的なことで頭を悩ませるのではなく、病気や死といった現実的なことを恐れて悩み、関東大震災でも被災して九死に一生を得て、大きなショックを受けました。

 谷崎のそうした現実的恐怖は『異端者の悲しみ』などにも表れます。自伝的なその作品では上の妹お富の病から自分も死ぬことを恐れる主人公の姿を描き、最後には妹が憂いのないように死に、それが主人公に影響を与えます。

 「金色の死」も、死や病を恐れた谷崎のそうした性質が成立に手伝い、語り手である私の、岡村君の大往生に寄せる感慨が綴られます。岡村君や三島由紀夫の、美や理想のための死は、死を恐れ、享楽的な生を創作の縁とする谷崎と対極的ですが、岡村くんの自分の快楽や悦びに最大の価値を置くサドにも似たエピキュリアン的姿勢は、谷崎自身の人生哲学と重なります。

 谷崎自身は、性欲と食欲を根源にして、生を縁に創作をものしました。

個人的評価

 正直、世間的にはあまり評価の高い作品ではなく、個人的にもいい作品とも思いません。 

 全体的に、本作は岡村君の人工のユートピアが陳腐で絵的に貧困です。文字で表すと陳腐な岡村君の楽園はそれゆえに、肉体的世界を最上とする岡村君の美学の根拠と積極的に評価することもできますが、とにかく全体的にモチーフが安っぽいです。『アルンハイムの地所』や『パノラマ島奇談』と比べても、その点見劣りします。

 たとえて言うと、低予算のマニアックな特殊なプレイを扱うアダルトビデオみたいなかんじで、ちょっとばかばかしいというか、普通の人には寒々しいというかどこがいいのかわからない内容です。

物語世界

あらすじ

 語り手の「私」には少年時代からの友人、岡村君がいます。岡村君は、財産とアポロンの如き美貌に恵まれ、語り手に嫉妬を抱かせてきました。

 語り手はやがて、小説家として成功します。岡村君は、人間の肉体を芸術にしたいという独特の美学を持っていて、二十代後半から自己の理想を体現した理想郷を箱根に建設し、語り手をそこに招きます。

 そこにはパルテノン神殿と鳳凰殿が並び、異国の禽獣や植物、生きた彫像、ケンタウロス、人魚、人間で満たされたローマ風呂、肉の寝台など、さまざまな驚くべきものがありました。

 岡村君はそうした舞台の中で踊りを披露し、最後は満身に金箔を塗って如来を演じて踊り狂い、翌朝には美しい金色の死体になります。「私」は、自己の芸術のためにすべてを投げうつその姿勢と京楽的な堂々たる死に、圧倒されたのでした。

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