始めに
こんにちは。今日は大江健三郎の代表作、『水死』のレビューを書いていきたいと思います。おかしなふたり三部作(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』)の関連作品です。
語りの構造
異質物語世界の語り手。長江古義人への焦点化
本作品は作者の再現たる長江古義人に主な焦点化が図られ、異質物語世界の語りが展開されています。
物語の語りの構造、人物設定などはおかしなふたり三部作(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』)と同じです。
テクストの引用。自己物語との関連の中で
自己物語や歴史的事実との関連の中で、アートワールドの中のテクストにアプローチしていく大江の手法はこの作品にも通底しています。今回は演劇の創作のプロセスを通じて、夏目漱石『こころ』、フレイザー『金枝篇』が、古義人の父の死との関連の中で読み解かれていきます。
『こころ』『金枝篇』というテクストが共通するのは、それが「父的なるものの死」の物語であるという点です。『こころ』では明治という時代、天皇、そしてKの死が、『金枝篇』では祭司である森の王を殺すことが、それぞれ主題とされています。そんな父的なるものの死のドラマと、自身の父の死の関連について、小説と演劇を創作するプロセスの中で焦点が当てられていきます。
加えてこの二つのテクストは、「なぜ特定の存在が死ななければ/殺されなくてはならなかったのか」という問いを孕む内容になっている点において共通しております。この両者に倣って、父の死について掘り下げていきます。
また『こころ』では、明治天皇に殉死するKが描かれており、本作でも天皇や国家のための自殺を描きます。
モダニズムと輪廻。フレイザー『金枝篇』
大江はT.Sエリオットやフレイザーの影響が顕著です。
T=S=エリオット『荒地』の下敷きとなった文化人類学者フレイザー『金枝篇』は、ネミの森の王殺しの儀式の伝統に対して考察し、自然の象徴である先代の森の王が衰弱する前に殺して次代へ継承することで、自然の輪廻と再生のサイクルを維持するためだという解釈を与えています。ここから以降のモダニズム文学に輪廻や再生のモチーフが現れるようになりました。
たとえばサリンジャー『ナイン=ストーリーズ』などにもその影響が伺えます。中上健次『千年の愉楽』、三島『豊饒の海』シリーズ(1.2.3.4)、押井守監督『スカイ・クロラ』などにも、モダニズムの余波としての転生モチーフが見えます。
本作もタイトル『水死』からしてエリオット『荒地』に由来していて、魂や志のさまざまなかたちでの輪廻を描いています。
残された古義人と大黄、それから父
この物語では、長江の父の死によって残された二人、古義人と長江の父の弟子・大黄が対比的に描かれています。大黄はピストルで悪役の小河を撃ち、森の奥に去り自殺が暗示されています。
大江健三郎の父と天皇制のテーマは『みずから我が涙をぬぐいたまう日』でもあり、そちらは利己的な欲求から、たんなる扇動のために天皇を利用していた父への幻滅を通じて、日本型ファシズムにおいて天皇が軍部の道具として利用されたこと、またそうした経験を経た作家個人や日本国民の、天皇や軍部、父的なものへの幻滅を象徴するプロットでした。
そちらと違って、本作の古義人の父は右翼で超国家主義者ですが、そんなに悪い人間ではありません。しかし不意の水死を遂げています。終戦の夏に父は、増水した川に短艇で漕ぎ出して謎の死を遂げました。
弟子大黄によれば父親は、自分の霊魂を息子に引き継ぎたく思い、そのために一緒にボートに乗りこんで、父親の死の瞬間に、その霊魂が息子の体に入るようにしたそうです。父親は、浮袋を入れたトランクをボートに積み込みましたが、それはボートが転覆した後、息子がトランクにつかまっておぼれないようにするためでした。
大江健三郎は『河馬に噛まれる』『政治少年死す』『宙返り』などで理想、イデオロギーのための自殺の問題を扱ってきましたが、本作における父の自殺に関しても、作家の態度は否定的に見えます。
父の目的は自殺により、その魂を息子に継承することでした。けれども、そんなことをしなくても、志はあとの世代へと受け継ぐことができるはずです。よくも悪くもそれを体現するのが弟子の大黄で、その超国家主義運動を継承し、古義人の父を模倣するように自殺がほのめかされています。他方でウナイコは、古義人の故郷に伝わる一揆の伝承を素材に一揆指導者で陵辱された「メイスケ母」の芝居を作り、芝居を通して、高校生時代に文部科学省の高級官僚の伯父・小河から受けた性暴力を告発しようとしますが、彼女はメイスケ母の志を、その伝説から継承しています。
『河馬に噛まれる』においても、イデオロギーや理想のために死ぬことを批判し、生きて理想のために生きることを作品のなかで是としました。自殺などをしなくても、人は言葉などのコミュニケーションを通じて、志を次の世代へ継承することができるのです。だからこそ、古義人は、大江健三郎は、生きて言葉を紡ぎ、政治への参画の中でその責任を果たそうとするのです。
創作するプロセスを主題とする作品
この作品は父の死をテーマにする「水死小説」の企てと、「穴居人」グループ主導の演劇制作のプロセスを中心とするドラマです。その所属女優のウナイコ(女をめぐって二人の男が入水自殺する神話・菟原処女の伝説に由来するものか)は、古義人の故郷に伝わる一揆の伝承を素材に一揆指導者で陵辱された「メイスケ母」の芝居を作ろうします。そして演劇の創作を通じて、高校生時代に文部科学省の高級官僚の伯父・小河から受けた性暴力を告発しようとします。
ここには先にも挙げたアートワールドの伝統へのコミットメントと批評の意図があるのに加えて、フィクションが現実社会へのコミットメントとして社会に与える帰結、パフォーマティブな側面に着目する視点があると解釈できます。
創作プロセスを描く大江健三郎作品にはほかに『美しいアナベル=リイ』があり、そちらでも創作による性暴力の告発が描かれます。
犬というモチーフ
犬というモチーフは、「奇妙な仕事」においても扱われています。
「奇妙な仕事」で語り手の「僕」と「女子学生」と「私大生」の三人は、犬を一五〇匹殺すアルバイトを引き受けます。大学病院の実験用の犬一五〇匹が不要になったので、撲殺して皮を剝ぐというものでした。しかし肉の仲買人が肉屋を騙して犬の肉を売り込んでいたことが問題になり、結局報酬は支払われないことになります。犬は殺されないことになって、僕らを責め立てるかのようにラストにずっと吠え続けます。
ここにおいて、犬は日本型ファシズムやファシズムの中に生きる大衆の象徴であるとともに、ユダヤ人などのファシズム下で抑圧されていたマイノリティの象徴でもあります。
『水死』では、ウナイコは「死んだ犬を投げる芝居」によって、ファシズムの加害者でもあり被害者でもあった大衆に、その中で犠牲になったマイノリティの命に思いを馳せさせて、自分たちの置かれている状況や生について考え直させるパフォーマンスを展開。
物語世界
あらすじ
作家・長江古義人は父の死をテーマに「水死小説」を構想します。死んだ母の残した赤革のトランクに入っているはずの父の日誌や書簡をもとに、終戦の夏に、増水した川に短艇で漕ぎ出して謎の死を遂げた超国家主義者の父について書こうとし、「森の谷間の村」に帰郷します。
そんな彼の元に、演劇グループ「穴居人」が接近してきます。
メンバーのウナイコは「死んだ犬を投げる芝居」と称される芝居を始め、夏目漱石の『こころ』を題材にします。そして『こころ』で作中の「先生」の自殺を招いた「明治の精神」を問います。古義人は、父の遺品の赤革のトランクに収められていたフレイザーの『金枝篇』を手がかりに、超国家主義者の父の一番弟子であった中国引揚者の大黄(ギシギシ)から話を聞きつつ、父の死の真相を探ります。やがて明かされたのは、弟子大黄によれば父親は、自分の霊魂を息子に引き継ぎたく思い、そのために一緒にボートに乗りこんで、父親の死の瞬間に、その霊魂が息子の体に入るようにしたとのことです。父親は、浮袋を入れたトランクをボートに積み込みましたが、それはボートが転覆した後、息子がトランクにつかまっておぼれないようにするためでした。
ウナイコは、古義人の故郷に伝わる一揆の伝承を素材に一揆指導者で陵辱された「メイスケ母」の芝居を作ろうします。ウナイコはこの芝居を通して、高校生時代に文部科学省の高級官僚の伯父・小河から受けた性暴力を告発しようとします。
小河はウナイコの目論見に対して、上演前日にウナイコを、大黄ら地元の右翼活動家が拠点としていた「錬成道場」の跡地の施設に軟禁します。大黄はピストルで小河を撃ち、古義人に「長江先生の一番弟子は、やっぱりギシギシですが!」と言葉を残して森の奥に去ります。
登場人物
- 長江古義人:主人公。父の死をめぐる「水死小説」を構想しています
- ウナイコ:「穴居人」メンバー。演劇を通じて過去の性暴力事件を告発しようとしています
- 大黄:古義人の父の弟子。
関連作品、関連おすすめ作品
・ジャンリュック=ゴダール『ゴダールのリア王』、谷崎潤一郎『吉野葛』:創作のプロセスを主題とする作品。
・津島佑子『光の領分』:父の水死をめぐる小説
・サリンジャー『ナイン=ストーリーズ』、村上春樹『風の歌を聴け』:自殺の謎をめぐる作品



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