始めに
始めに
今日は村上春樹の新作、『街とその不確かな壁』のレビューを書いていきたいと思います。
語りの構造、背景知識
成立背景
春樹は先に、中編小説『街と、その不確かな壁』を発表しそれが、1985年に『世界の終わりとハードボイルド=ワンダーランド』として改作しました。その後、『街と、その不確かな壁』を原型に、本作『街とその不確かな壁』を発表しました。
つまり、中編小説『街と、その不確かな壁』が原型になり、『世界の終わりとハードボイルド=ワンダーランド』、本作『街とその不確かな壁』が成立しています。
等質物語世界の「僕」「私」、三部構成
この作品は等質物語世界の語り手で少年時代の「僕」、現代の「私」に焦点化がなされます。第一部は少年時代の過去の回想中心の物語、第二部と三部は40代の現在の物語です。
本作品は『世界の終わりとハードボイルド=ワンダーランド』と似ていて、普遍的無意識の世界である壁のある町と現実での出来事が描かれるのですが、第二部で「僕」は半身を失って、影のほうが現実に帰還しており、この影が語り手です。そして第三部では街に残った私が語り手で、そこでの役割を終えて、半身とまた統合がなされ…という流れです。
永遠の少年と少女
この作品では「きみ」と呼ばれる少女が壁の町へと主人公を誘います。「僕」は「きみ」という存在に恋焦がれています。いわばこの作品は、永遠の淑女ベアトリーチェのような存在である「きみ」との関係を描く、『神曲』パロディのような作品です。
「きみ」はシリーズにおける直子(『1973年のピンボール』『ノルウェイの森』)などと重なる部分があります。直子の自殺のトラウマは、本作は恋愛感情としてリメイクされています。
「ぼく」の再生の物語
この作品は『世界の終わりとハードボイルド=ワンダーランド』の双子のような物語ですが、やや違っているのはこれが僕の再生の物語であるという点です。
『世界の終わりとハードボイルド=ワンダーランド』では、世界の終りという無意識の世界にいる語り手の僕と、その影(=半身)で並行世界(ハードボイルドワンダーランド)では「私」という一人称の語り手で計算士の二人の章がそれぞれ交互に現れ、最終的に僕などの行動の結果、おそらくは「私」の意識は消滅して無意識の世界である「世界の終り」に幽閉され、僕の方は「世界の終り」にて、過去の自分の行動の責任を引き受けて、中心となる街から離れて孤独に生きることを決意します。このようにそちらでは、主人公の過去の責任との対峙、運命との共存、半身の消滅を描いています。
他方で、本作では『1973年のピンボール』『ノルウェイの森』の語り手のように、「きみ」に縛られて囚われていた主人公が現実世界へと回帰し、精神的自由と自律を獲得するプロセスが描かれています。第一部で、少年時代の「僕」は「きみ」に誘われて壁の町へと至ります。そして、僕は半身(影)だけ現実世界に帰還します。その後、第三部にてイエロー=サブマリンのパーカーを着た影のない少年に、主人公は「夢読み」の仕事を託し、少年と主人公は「一体化」、おそらくはそれによって、影とまた一体化して、主人公が現実に帰還したと示唆されます。
パラレルワールド
本作はパラレルワールドSFになっています。
春樹文学では『世界の終りとハードボイルド=ワンダーランド』『1Q84』『スプートニクの恋人』などがパラレルワールドSFの代表格です。
恋する相手を探しにパラレルワールドへ向かおうとするプロットは特に『スプートニクの恋人』とも重なります。
物語世界
あらすじ
第一部
作文コンクールで知り合った17歳の僕と16歳の少女のきみは文通を重ね、親しくなります。しかし長い手紙を最後にきみからの連絡が途絶えます。手紙には、彼女が本物の自分ではなく、自身の「影」であることが綴られていました。
語り手はきみが忘れられないまま都内の私大に進学し、書籍の取次会社に就職します。40代半ばでも独身のままでしたが、ある日道路の「穴」に落ち、そこは、10代の頃に主人公がきみと話した「壁」に囲まれた名前のない街でした。
本がない「図書館」で「影」を奪われ「夢読み」の仕事につく主人公は、自分の「影」だけを現世に返し、自身は「街」にとどまります。
第二部
第一部の最後に「街」から現実へと帰還した「影」の物語です。四十五歳の「影=私」は、町営図書館の館長の仕事に就いています。
図書館に通うサヴァン症候群であるイエロー=サブマリンの少年から、街の壁が「終わらない疫病」を防ぐために作られたことを知ります。街のことをよく知るその少年は、現世を離れ、その街で古い夢を読みたいと言います。そしてある日、失踪します。
また主人公は、コーヒーショップの女性と親密になります。
第3部
街に残っていた私の語りです。
イエロー=サブマリンのパーカーを着た影のない少年に、主人公は「夢読み」の仕事を託し、少年と主人公は「一体化」します。おそらくはそれによって、影と分かたれた私が街から現世へ帰還します。
登場人物
- 「僕」「私」:語り手。少年時代から現在まで「きみ」に恋焦がれている。
- 「きみ」:主人公の心をとらえて離さない少女。
- イエローサブマリンの少年:現在の現実に登場する少年。行方不明になる。
関連作品、関連おすすめ作品
・ゲーテ『ファウスト』:永遠の淑女をめぐるドラマ
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