PR

大江『いかに木を殺すか』解説あらすじ

大江健三郎
記事内に広告が含まれています。

始めに

 大江『いかに木を殺すか』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

本作の成立

 本作は『同時代ゲーム』のスピンオフして構想され『女族長とトリックスター』というタイトルで執筆された長編の草稿を分けて中編、短編としたものを集めた作品集です。

 かならずしも『同時代ゲーム』と世界観を共有する物語てはなく、むしろ作品のバックステージものとしてのテイストが濃厚です。

 語り手は僕という、大江健三郎自身の分身のキャラクターです。

各作品

揚げソーセージの食べ方

 教員宿舎でふと故郷の森の谷間の村の兵衛伯父さんを僕は回想します。兵衛伯父さんは自然科学と仏教の統合を考えていました。「頭が良すぎる」ために奇行により村で孤立していた兵衛伯父さんは、何もなせずに死んでしまいます。

 全体に『同時代ゲーム』における語り手の父と重なるような伯父さんの理想を貫徹できぬままの非業の死を描きます。

グルート島のレントゲン画法

 僕がアボリジニーの神話から「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリームタイム)」という生涯の主題を見つけるまでを描きます。

 これは『同時代ゲーム』における「村=国家=小宇宙」や『懐かしい都市への手紙』などへとつながっていく発想です。

見せるだけの拷問

 『個人的な体験』の火見子のモデルとなったマーさんとのことが語られます。

メヒコの大抜け穴

 『「雨の木」を聴く女たち』で描かれた日本文学研究者カルロス・ネルヴォによる『同時代ゲーム』の翻案の構想が描かれます。

 大江に影響したエリオット『荒地』から継承する「輪廻」「死と再生」「循環」のテーマを中心としています。

もうひとり和泉式部が生れた日

 花伯母さんと女先生の神話的物語が描かれていきます。

その山羊を野に

 森の谷間の村に疎開してきた女性、蜜枝アネサマの神話的物語です。

「罪のゆるし」のあお草

 少年時代に父親が突然死し、父の死に罪障感をもった僕が、森の中の大きな力、「壊す人」の呼びかけに導かれて「神誘い」として森の中に分け入ります。

 『同時代ゲーム』でも描かれた父の罪による苦悩の物語になっています。

いかに木を殺すか

 『同時代ゲーム』でも描かれた、谷間の村の森に火を放たれそうになる展開が描かれます。

 『同時代ゲーム』では森のために無条件降伏する内容でしたが、こちらではオーバら村の女たちが女性だけで演じる「木が人を殺す芝居」を上演したことで森は守られます。

物語世界

あらすじ

 揚げソーセージの食べ方

 壮年の作家の僕はカリフォルニア大学バークレイ校に客員研究員として滞在します。即席麺を食べつつ、教員宿舎でふと故郷の森の谷間の村の兵衛伯父さんを回想します。

 兵衛伯父さんは村の寺の跡取りで、中学生にして『南伝大蔵経』を精読していました。やがて早稲田大学の理工学部に進学して、その後村に戻ります。兵衛伯父さんは自然科学と仏教の統合を考えていました。「頭が良すぎる」ために奇行により村で孤立していた兵衛伯父さんは、村をでて山羊を引き連れて東京に説教しにいきます。しかし最終的には親族に村に連れ帰られて亡くなるのでした。

 僕は自分の即席麺の咀嚼の仕方から、ある日新宿で見た、揚げソーセージを食べる兵衛伯父さんの記憶を喚起されていました。

グルート島のレントゲン画法

 高校生の娘と英語学習のディベートの話をしていて、若い頃にオーストラリアのアデレードで開催された芸術祭に参加した時を回想します。

 芸術祭が終わったあと若い外交官で通訳をするグラノフスキー君と彼の元恋人の駐豪日本大使の娘で官能的なナオミさんとグルート島のアボリジニー居住区に小旅行をします。手続きがいい加減だったので見学しようとした施設では門前払いをされるものの、土産にアボリジニーのレントゲン画法で装飾されたトーテム・ポールのような人頭の木の棒を手に入れます。

 僕はアボリジニーの神話から「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリームタイム)」という生涯の主題を見つけたのでした。

見せるだけの拷問

 バークレイで、僕は若い研究者の中根君から彼のPh.D 論文のために、論文中で分析するための小説を書くよう頼まれます。示された小説のタイトルは「酔って・笑いながら・昂奮して」というもので、そのタイトルについて僕には考えがありました。

 僕は昔、学生作家時代に映画プロデューサーから仕事部屋を提供され、仕事部屋のある洋館に米軍基地の通訳で僕より若干年長のマーサンという女性がいました。僕とマーサンは一度「酔って・笑いながら・昂奮して」性交して、彼女は大量に出血したのでした。彼女は処女でした。

 後年『個人的な体験』を書いた僕をマーサンが訪ねます。火見子のモデルとなったモデル料代わりに、移住しようとするアメリカ西海岸への航空券代を出すよう言われ、僕は了承します。バークレイのコンミューンで僕は初老のマーサンと再会しますが、上品に歳を重ねていました。

メヒコの大抜け穴

 『「雨の木」を聴く女たち』で描かれた日本文学研究者カルロス・ネルヴォはバークレイ校で博士号を取ってから骨癌で亡くなりました。僕はメキシコでカルロスに請われて『同時代ゲーム』の廃棄稿とゲラ・コピイを引き渡していました。カルロスはそれをもとに偽版『同時代ゲーム』をスペイン語で執筆しようとしていました。

 カルロスの草稿を彼の最後の情人だという女性アリシアが売りにきて、僕は買い取った草稿を読むのでした。僕が子供時代に大熱をだして死にかけたことをもとにしてカルロスは物語を作っていました。

 大熱を出して死んだ僕の魂は「オオオマンコの道」から一旦、谷間の森の木の根方に戻ります。その魂は母親からすぐにもう一度、あなたを生んであげられるよ、と励まされ「メヒコの大抜け穴」をグライダー滑空して生れ出て、メキシコのマリナルコにカルロス・ネルヴォとして復活します。

 僕は麦酒を飲みながらこれを読み、心の中で快哉をします。

もうひとり和泉式部が生れた日

 僕の少年時代、戦争の終わり頃、森の谷間の村に都会から多くの女性が疎開してきます。その中には花伯母さんもいました。僕は花伯母さんから「シキブサン」の「歌のカケハシ」を口誦で習いました。

 ある日、学校の女先生が高校生向けの国文の授業の準備として黒板に和歌を板書していて、板書では、花伯母さんから教えられた「歌のカケハシ」に余計な言葉が付け足されており、僕はその部分をチョークで消してしまいます。これがばれて僕は怒られ、反論に出向いた花伯母さんと母も和泉式部を「シキブサン」などと呼ぶのは無教養で無恥だといわれます。

 ある日、女先生が三島神社で全裸で舞い踊る奇態な行動におよび、祭のようになります。翌日、女先生はトラックにのせられて村を去ります。これは花伯母さんと母がお庚申様のお堂で祈祷した神事でした。

 僕は夢のような記憶として、その神事の夜に花伯母さんと母が女先生と甘酒を飲み交わし朗らかに話し合う情景を憶えているのでした。

その山羊を野に

 森の谷間の村に疎開してきた女性たちのなかに蜜枝アネサマがいました。婀娜っぽい蜜枝アネサマが僕の家の川向の飯場の小屋に住み始めると、村の若い衆が次々に小屋を訪れます。

 ある時、蜜枝アネサマは後に「元禄花見踊り」と嘲弄される、派手な衣装で男衆を引き連れての森の中での野点をしました。その際に村の助役がもってきた携帯用の焜炉が爆発し小火が起きます。責任を感じた助役は縊死し、また同じ時期に無花果の実を取ろうとした子供達三人が落下して重傷を負います。

 蜜枝アネサマに「厄」を背負わせて村から追放することになり、僕がリヤカーを引いて蜜枝アネサマのお供をします。お供の夜、僕は蜜枝アネサマと焚き火を囲んでコンビーフをのせた弁当食べ、天文学の話をします。

 翌日、隣町に到着して僕は勤めを果たしました。

「罪のゆるし」のあお草

 長男で知的障害のある息子ヒカリが二十歳になり、僕は家族全員で、森の谷間の村に暮らす母親のもとに帰省します。僕は戦時中の少年時代の出来事を回想しました。

 少年時代に父親が突然死し、父の死に罪障感をもった僕は、森の中の大きな力、「壊す人」の呼びかけに導かれて「神誘い」として森の中に分け入ります。食料として三日分の麦焦がしを持った僕は山仕事の小屋に滞在して「鞘」と呼ばれる場所の谷川でアメノウオを捕らえます。そこに谷間の村の高みにある「在」の女性が訪ね、彼女の屋敷に導かれた僕は、ドンブリに山盛りの飯を食べさせられ、女性の装束を着せられて南方で戦死したとされる息子の状況を千里眼で確認します。そこで視覚異常がおきて僕は意識を無くしました。その後、僕が谷川で沢蟹を喰っているところを母親と消防団員に発見されます。高熱で譫妄状態にある僕はフウロの仲間の「ゆるし草」を煎じて飲まされ、睡りつづける間に父親の死をめぐる罪障感を癒されるのでした。

 帰郷の翌年、福祉作業所の就労を控えたヒカリは一人で祖母に会いに行き土産にその「あお草」を持ち帰ります。

いかに木を殺すか

 戦争末期、松根掘りをしていた予科練の若者三人が、僕の故郷の村の森の奥に逃げてきます。その中の一人は谷間の村の「在」の若者タッチャンでした。

 タッチャンに土地勘があること、村の住人で組織された山狩り隊が熱心に捜索に探さないので、三人の若者は捕まりません。憲兵は他の町村の人間で新しい山狩り隊を組織します。新しい山狩り隊は樹木を伐りはじめる。この伐採により火止めをつくり森に火を放とうとしたのでした。

 これにオーバら村の女たちは、戦争以来使用されていなかった木蝋倉庫の「世界舞台」を改修して、憲兵や山狩り隊を招いて、女性だけで演じる「木が人を殺す芝居」を上演します。なぜか山狩りは中止され、終戦を迎えます。

 作家になった僕はこの一連の出来事をシカゴ大学で出会った日系の日本史研究者に話して解釈を聞きます。研究者夫人から彼女が所蔵していたハワイの樹木保護に関するHow to kill a tree.というタイトルの写真集を贈られるのでした。

参考文献

小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)

コメント

タイトルとURLをコピーしました