始めに
先日日本を代表する作家、大江健三郎が亡くなりました。今回は大江の代表作『取り替え子』について語っていきたいと思います。おかしな二人三部作(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』)の第一作です。
語りの構造
異質物語世界の語り手。直江古義人への焦点化
この作品は主人公であり大江健三郎の分身たる直江古義人に焦点化が主に図られますが、異質物語世界の語り手が展開されています。
モダニズムの枠ではジョイス『ユリシーズ』や川端康成『みづうみ』『眠れる美女』と近いデザインでしょうか。
三部作の中での位置付け
おかしな二人三部作(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』)は義兄の自殺後の老作家を主人公にする作品で、その一作目に当たる本作は義兄との過去がメインに据えられています。
二作目ではそこから母と故郷という自分のルーツについて、三作目ではそれを踏まえた作家の今後のありようが描かれます。
時間軸
この作品においては「田亀」と呼ばれるヘッドフォン付きのカセットレコーダーを通じて、義理の兄「塙吾良」(伊丹十三がモデル)との過去が回想されます。それによって古義人の内的現象が記述されていきます。
また妻・千樫から渡された吾良の遺品の鞄の中身から、古義人と吾良の共通の性的虐待のトラウマが回想されます。
『万延元年のフットボール』から、歴史記述の方法に苦心した大江ですが、本作では、録音を中心に過去の経験のフラッシュバックがおこり、そうした一人称的経験からの歴史記述が展開されます。
紋中紋としての過去のアートワールドの中のテクスト。それと自己物語との関連
この作品では、モーリス=センダックの取り替え子の絵本など、アートワールドの中の既存のテクストが、作者の分身たる古義人の物語の関連の中で読み解かれていきます。
過去のトラウマによって何処かが損なわれてしまった義兄と古義人の物語と、ゴブリンに攫われて取り替え子にされてしまった妹を取り戻そうとするアイダの物語が重ねられます。取り替え子とはヨーロッパの伝承で、人間の子どもが連れ去られたとき、そのかわりに置き去りにされるフェアリー、エルフ、トロールなどの子です。
こうした意匠により作家自身の自己物語の象徴としての、アートワールドの中のテクストへの解釈による批評的意図が生まれ、アートワールドの歴史へのコミットメントが図られます。
トラウマと変容
作品には吾良が受けた性暴力の主題があります。同様のテーマは大江『キルプの軍団』『静かな生活』などにも見えます。そのトラウマによって脅かされる人々の姿が描かれています。
そして吾良が過去のトラウマによって変質してしまったことへの耐え難い古義人の悲痛が描かれています。おそらく、大江健三郎にとって、義理の兄・伊丹十三は、ロキやイエス=キリストの虐げられるようなイメージと、『トム=ソーヤの冒険』のトム=ソーヤのようなトリックスターのグッドバッドバッドボーイとしてのイメージを合わせたような存在でした。
中絶と生の哲学
本作は『個人的な体験』『死者の奢り』同様、妊娠中絶のモチーフを孕みます。
『死者の奢り』では、ヒロインの女性が主人公との会話や死体運びのアルバイトを通じて、中絶と出産の間で迷っていたところ、生む決断をするまでが描かれました。
『個人的な体験』では、大江がモデルの主人公が、障害のある子どもの出生になやみ放浪し、やがて出産を受け入れ父となる覚悟を決めるプロセスが描かれました。
『取り替え子』では、「田亀」のテープに、吾良の若い女性との性的関係を伝える内容があり、その娘がシマ=浦でした。千樫と古義人のもとにやってきたシマ=浦は、吾良の死後に逃避的な性交をした相手との子を妊娠していました。その中絶を目的に浦はドイツから訪日していたのものの、その機上で古義人の文章を読み、吾良の替わりの子供を産もうと翻意していました。それを受けて、千樫は古義人の本の挿絵を書いて得た印税を浦のために費やし、さらに出産後の世話もするためにベルリンに旅立とうと決心します。
「取り替え子」というモチーフはこれを受けて、吾良の魂を継ぐ新しい世代であるシマ=浦の子供をも象徴するポジティブなニュアンスが生まれ、『宙返り』などでも描かれた、魂の輪廻と再生を伝えるものになっています。
フィクション世界
あらすじ
主人公で国際的作家である直江古義人は、義理の兄・吾良の自殺ののち、カセットテープ「田亀」を通じて物思いに浸ることが増えました。古義人には、その自殺について思い至る「アレ」がありました。
古義人がベルリンから帰国すると、吾良の妹で妻の千樫から遺品の飴色の鞄を渡されます。それには吾良が準備していた松山の「アレ」についての映画の未完成の絵コンテと脚本が入っていました。
松山の出来事は、戦後まだ占領下にあった時代に、敗戦の夏に蹶起をおこし鎮圧されて死んだ右翼思想家であった古義人の父親の弟子、大黄(『水死』に登場)が高校生の古義人に接触してきたことに始まります。大黄は講和条約が発行される1952年4月28日に米軍キャンプを襲撃しようと計画していました。大黄は武器を調達するために米軍キャンプの通訳ピーターを利用しようと考えます。ピーターはゲイであり、CIEに出入りする美少年吾良に恋情を抱いていました。大黄は活動拠点の練成道場の宴会に古義人、吾良、ピーターを接待します。そこで性的な役割を担わされた古義人と吾良を侮蔑した練成道場の若者が、宴会の食用に自分たちが解体した仔牛の生皮を二人に覆い被せる、というような不気味なことが行われました。練成道場から吾良の居住していたお寺へ逃げ帰った古義人と吾良がお堂の裏で仔牛の血に汚れた体を洗っているところを幼い千樫が目撃していました。
千樫がベルリンから帰国した古義人の荷物を整理しているとモーリス=センダックの二冊の絵本があり、千樫は惹きつけられます。妹がゴブリンにさらわれて取り替え子にされてしまい、勇気を奮って妹を取り返しにいく絵本の主人公の少女アイダは自分だと感じます。松山の過去の一夜の後、吾郎はそれまでと違う人間になってしまいました。自分が古義人と結婚して初めての出産をするときに考えていたのは勇敢に振る舞って、取り替えられていなくなる前の本来の吾良を取り返そうということでした。産まれてきた息子アカリは知的障害はあったものの音楽の才能に恵まれていました。
千樫は、古義人が見つけた、晩年の吾良が若い娘との陽気な性的な関係を伝える「田亀」のテープを聴かされます。それは吾良が死ぬ前の期間にこういう関係を持てたのならよかったと、自分たちも励まされる明るいものでした。
三ヶ月後、その当の娘が千樫を訪れます。吾良が晩年に描いた水彩画のカラーコピイが欲しいという要件で来訪した娘シマ・浦は、吾良の死後に逃避的な性交をした相手との子を妊娠していました。その中絶を目的に浦はドイツから訪日していたのものの、その道中で古義人の文章を読み、吾良の替わりの子供を産もうと翻意していました。両親はそれに反対していました。千樫は古義人の本の挿絵を書いて得た印税を浦のために費やし、さらに出産後の世話もするためにベルリンに旅立とうと決心します。
ウォーレ=ショインカの戯曲『死と王の先導者』から引用して小説は終わります。「もう死んでしまった者らのことは忘れよう、生きている者らのことすらも。あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ」
関連作品、関連おすすめ作品
・村上春樹『風の歌を聴け』、夏目漱石『こころ』:過去の自殺をめぐる小説。失われた時の中のトラウマのドラマ。
・松本大洋『ピンポン』、三島由紀夫『サド侯爵夫人』、中上健次『軽蔑』、宇佐美りん『推し、燃ゆ』、トーマス=マン『トニオ=クレエゲル』:理想化された他者との関係をめぐるドラマ。
参考文献
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)
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