始めに
大江『新しい人よ眼ざめよ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
語りの構造
この短編連作集は「僕」を語り手としています。「僕」は著名な作家であり、中年の危機を迎えています。「僕」の家は、妻、長男で知的障害を持つ「イーヨー」、その妹、その弟の3人の子供、の5人家族です。
物語は語り手の作家とこのイーヨーの成長を描くものですが、本作の続編の『静かな生活』は、妹のマーちゃんに語り手を移して、マーちゃんの成長譚として物語を展開していきます。
くまのプーさんの物語の象徴としての家族のドラマ
イーヨーという名前は、A=A=ミルン『くまのプーさん』シリーズのロバのイーヨーから取っています。愚鈍でお人好しなイーヨーと、作中のイーヨーが結び付けられています。大江健三郎にはミルンにちなんだ『僕が本当に若かった頃』と呼ばれる作品もあり、並々ならぬミルンへの関心が伺えます。
障害のある子供の光を授かった大江にとって、父を敬愛し、息子クリストファー=ロビンと確執を生んだA=A=ミルンという存在は、共感できる部分が多いものと思われます。
ウィリアム=ブレイクの解釈から
「僕」はイギリスの詩人ウィリアム・ブレイク(「巨大な赤い龍」)を読解していき、物語のなかでそれが展開されています。自分の人生や登場人物の人生と、既存のアートワールドの歴史を関連付けるなかから小説を展開する大江特有の手法が見えます。
ブレイクは、大江健三郎が注目するダンテ『神曲』から多大な影響を受けた作家で、大江はブレイクの詩を預言詩として受け止めます。最終的ブレイクの「眼ざめよ、おお 、新時代(ニュー・エイジ)の若者らよ !……」という詩句で、イーヨーの成長と音楽的才能の開眼が象徴されます。
ほかの作品との関係
「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」における、少年時代に故郷の谷間の村の川で泳いでいて、岩に挟まれ溺れそうになり死になったときの神秘的な経験は、『憂い顔の童子』でも描かれます。
「新しい人よ眼ざめよ」では、『「雨の木」を聴く女たち』『同時代ゲーム』についての作者自身による自己批評が語られ、ヨーロッパの反核運動の取材での『個人的な体験』の火見子のモデルとなった女性「キーコ」との再会のことが描かれます。火見子のモデルのことは『いかに木を殺すか』の「見せるだけの拷問」にも登場します。
物語世界
あらすじ
無垢の歌、経験の歌
「僕」はヨーロッパにおける反核運動を題材にしたTVの特集番組の取材、撮影の旅にでます。旅先でブレイクの詩集を手にとって読んでいるうちにブレイクに惹かれます。
1970年のアジア・アフリカ作家会議に出席した際の堀田善衛とのインド旅行のことも回想されます。
帰宅すると「イーヨー」は思春期で拗れていて、「僕」は困惑します。「僕」は荒れていた「イーヨー」の目に悲嘆の感情が表れていたのを理解します。
怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって
学生時代に大学図書館で「僕」がブレイクと出会い、強力に惹き付けられた経験が回想される。「人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかなければならぬ /そこからやって来た暗い谷へと 、労役をまた新しく始めるために」。この詩句は「僕」にとって重要でした。
また、少年時代に故郷の谷間の村の川で泳いでいて、岩に挟まれ溺れそうになり死になったときの神秘的な経験も語られます。
また「イーヨー」に癲癇が発症します。
落ちる、落ちる、叫びながら…
「僕」は会員制プールに「イーヨー」を連れて行きます。そこでは元右翼、元左翼を集めて組織された集団の訓練が行なわれていて、そこには三島由紀夫の私兵組織に在籍していたものもいるそうです。
「僕」は集団の指導者と話して、不穏なものを感じます。
あるとき「僕」が目を離した隙に、「イーヨー」は潜水用プールで溺れかけ、その指導者に救われました。
蚤の幽霊
ブレイクのテンペラ画「蚤の幽霊」からの連想で「僕」は「イーヨー」がレイプを犯してしまう夢をみます。また「イーヨー」夢をみるのだろうか、とも思います。
家族での伊豆の別荘への旅行の計画があるものの、台風で中止になります。しかし「イーヨー」が別荘に行くことを主張したため、「僕」はヤケクソで「イーヨー」と二人だけで台風の中を別荘へ向かいます。
別荘で酒を飲んで眠った僕がうなされていると、「イーヨー」から「ぜんぜん恐くありません!夢ですから!」と言われます。
魂が星のように降って、跗骨のところへ
「イーヨー」が幼児だった頃、鳥の声を聴き分けられることが判明しました。それから「イーヨー」は音に特別な能力を発揮していきます。
小学生の「イーヨー」はピアノの先生から音楽を学び、作曲の力を磨きます。18歳の誕生日に「僕」は「イーヨー」の作曲したパルティータの楽譜を製本します。
それを友人に配ったところ、障害者の共同生活施設から劇音楽の作曲の依頼を受け、「イーヨー」はその仕事をこなします。
鎖につながれたる魂をして
知的障害を持つ父親として「僕」が見聞する、障害者施設の建設反対などの、世間との軋轢が語られ、過去のある事件が回想されます。
渡辺一夫の紹介だと自己紹介する左派の過激派の政治活動をする二人の学生が「僕」の自宅にやってきます。彼らは「僕」を、紙の上で政治に半端にコミットしながらも、現実的な政治闘争に加わらず、特権的な地位で安住している、と批判します。
やがて彼らが「イーヨー」を誘拐しかけて東京駅に放棄する事件が起きるのでした。
新しい人よ眼ざめよ
中村雄二郎、山口昌男らとのバリ島の習俗の取材旅行の回想、文芸誌「海」の編集者塙嘉彦の病床を見舞った際の回想、『「雨の木」を聴く女たち』『同時代ゲーム』についての作者自身による自己批評が語られる。
続けて、連作第一作で語られたヨーロッパの反核運動の取材のエピソード、そこでの『個人的な体験』の火見子のモデルとなった女性「キーコ」との再会のことが描かれます。
「イーヨー」は養護学校の寄宿舎生活で家を離れます。久しぶりに帰宅した彼は大人になります。彼は「イーヨー」という子供っぽい渾名で呼ばれることを拒否し、「僕」は寂しいものの、うれしくもあります。ブレイクの詩が浮かびます。「眼ざめよ、おお 、新時代(ニュー・エイジ)の若者らよ !……」
参考文献
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)



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