始めに
ヘルマン=ヘッセ『デミアン』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ドイツロマン主義の影響
ヘッセは、ドイツのロマン主義の作家であるゲーテ(『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』)やシラーの作品からの影響を顕著に受けました。
特にゲーテ(『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』)の文学の特徴となる個人や個性、感受性や直感の尊重、反俗的なテーマは、ヘッセの文学の基調となっていきます。
またニーチェの思想からの影響も顕著で、そこから超越的なものの存在を信じつつも、教会などの教条主義を批判的にみる視点を養いました。こうしてヒンドゥー教や仏教から影響を受けつつキリスト教を批判的に消化し、自分の人生との関係の中で捉え直そうとします。
ゲーテの古典主義とロマン主義
ゲーテという作家は、形式主義者という意味合いにおいて古典主義者であり、作家主義者であるという点でロマン主義者でした。
同時代のフリードリヒ=シュレーゲルはゲーテの『ヴィルヘルム=マイスターの修行時代』をシェイクスピア『ハムレット』への批評性に基づくものとして、高く評価しました。『ハムレット』という古典の形式をなぞりつつ、ゲーテという作家個人の主体性を発揮することで展開される翻案の意匠が『ヴィルヘルム=マイスターの修行時代』にはあります。
ヘッセはゲーテのこのような古典主義とロマン主義を、宗教や超越的なものとの関係の中で実践しました。ヘッセはキリスト教から影響されつつ、東洋思想に触れ、キリスト教を批判的に、かつ自分の人生との関係のなかで解釈しつつ、異端と言える宗教的思想を体得していきました。
アブラクサスと悪
物語で中心的なモチーフとなるアブラクサスは、グノーシス主義の文献に、アイオーンの一人で選ばれし者を天国に連れて行く存在です。頭部が鶏かライオン、胴体が人間、脚が蛇で、鞭と盾とを持つ存在です。カトリック教会は後にアブラクサスを異教の神とみなし、最終的には悪魔とみなしました。
善と悪の二つの対立する世界の統一者として本作におけるアブラクサスはとらえられています。キリスト教の神は善の部分を体現するのみで不十分だという考えをデミアンからシンクレアは授かり、悪と善を、ともに人間の本質としてそこに存在をまず認めようとします。
このような思想は老子の無為自然など、東洋思想からの影響も大きいと思われます。無為自然の理想においては人間的なさかしらを捨てて、自然に従おうとする姿勢を是とします。
本作における主人公のシンクレアも、自分の内なる善と悪(性欲、暴力、快楽)との矛盾に悩みつつも、その両者の存在を認め、その調和のなかで内なる自分の声に耳を傾けながら、実践的に生きていこうとするあり方が描かれます。
カインのしるし
アブサラクスと並んで、本作では重要なモチーフとなっているのがカインです。
カインはよく知られていますが、聖書の創世記に登場する彼はアベルの兄であり、アダムとイヴの息子です。農業に従事していたものの、彼の捧げた作物を神は喜ばずアベルを寵愛したため、嫉妬によりカインは弟を殺します。カインの印は、罪人であるカインを殺さないようにするために、神がカインに与えたものです。
本作においてカインの印は、カインの性格の強さを伝えるものとして解釈されており、物語においては罪を犯し、それを背負い引き受けたうえで生き続けようとするカインについて好意的に解釈を与えています。
ゲーテ作品との比較
ゲーテの『若きウェルテルの悩み』は、青年ウェルテルが婚約者のいるシャルロッテに恋をし、絶望して自殺するまでを描いています。この作品は、個人の理想と現実の衝突を描いていると言えます。
またゲーテ『ファウスト』では、学問や研究に幻滅し、悪魔と契約するファウストが描かれます。知識に幻滅していたファウストですが、最後には利他的な実践の中に、自分の救いを見出します。
『デミアン』では、内なる善と悪の矛盾に悩むシンクレアが悪魔(デーモン)のようでもあるデミアンという友人との交流に導かれます。主人公が人生のなかのさまざまなステージや精神的世界を彷徨しつつ、やがて内なる悪と善の部分との調和のなかに自己のあるべき理想と人類の精神の救済の契機を見出すようになっていくシンクレアが描かれます。
物語世界
あらすじ
作家エミール=シンクレアは、自身の子供時代と青年時代を回想して語ります。
幼い頃、シンクレアは自分の人生に 2 つの世界が存在することを感じました。1 つは、父親と母親の愛情に満ちた世界です。その反対側には禁じられた邪悪か世界があり、そちらのほうが刺激的で魅力的に見えます。
シンクレアは、3歳年上の小学生で仕立て屋の息子で不良のフランツ=クローマーに出会います。クローマーに脅しを受けていたところ、マックス=デミアンに救われます。
デミアンはシンクレアと散歩中に、カインとアベルの物語について独自の解釈を語ります。カインの刻印はむしろ優越性と性格の強さのしるしであるというのです。
思春期に達すると、シンクレアは例の闇の世界からの衝動が湧き出てくるのを感じます。最終的に、これを単に忘れたり抑圧したりすることはできないことに気づきました。
シンクレアはデミアンに再会し、二人は再び親しくなります。デミアンは、キリスト教の神と世界観の一面性に対する批判的な見解でをシンクレアに伝えます。
デミアンは、聖書の神が善のみを表すばかりで不完全であると考えています。通常の生活における性的領域などは悪魔のせいとされてしまいます。シンクレアは デミアンの言葉から、2 つの世界の間にある自分自身の矛盾を認識し、これは個人的な対立ではなく、文化的に決定されたものだと気づきます。
14歳頃、シンクレアはセントの高校に通い、教師の男子寮に住んでいました。シンクレアはアルフォンス=ベックの感化で大酒飲みになり、アルコール過剰摂取を経験し、時間が経つにつれて有名なバーの常連として知られるようになります。
憧れの若い女性をダンテの幼少期の恋人、ベアトリス=ポルティナリを描いたイギリスの絵画にちなんで、彼女をベアトリスと呼ぶようになります。内的なイメージとの内なるつながりを通じて、自分を導く新しい理想を育みます。学校の成績は再び向上しますが、その変貌により仲間から孤立します。
16歳のシンクレアは、かつてデミアンが教えてくれた実家の玄関の上にある紋章の鳥に基づいて、地球から鳥が現れる夢のイメージを描き、それを友人に送ります。そのときシンクレアはデミアンの言葉が書かれた小さな紙を見つけます。「卵は世界。生まれたい者は世界を破壊しなければならない。鳥は神のもとへ飛んでいく。神の名前はアブラクサス」と。
その後シンクレアはアブラクサスが神と悪魔を合わせた神の名前であることを学びます。シンクレアは音楽への欲求に導かれ、元神学の学生であるピストリウスという名前のオルガニストを見つけます。彼はシンクレアに、二つの対立する世界の統一者としてのアブラクサスについて、そして他方で、すべての人が持っている偉大な所有物について伝えます。人間の魂の中にこれまで生きてきたすべてのものは、すべての個人の中にもあり、このことに気づいている人は、本当の意味での人間だというのです。ピストリウスはキリスト教の神のイメージに疑問を持ち、アブラクサスに言及し、他人の意見よりも自分の声に頼るようシンクレアに話します。
シンクレアのカリスマ性は精神科の学生であるクナウアーを惹きつけるものの、クナウアーには自分で道を見つけなければならないと告げます。クナウアーは自暴自棄になりますが、エミールは内なる力によって引き寄せられ、自殺を思いとどまらせます。
高校時代の終わり、現在18歳のシンクレアはピストリウスから離れます。ピストリウスは伝統的な価値観に縛られてしまい、自分の音楽を作ることができなくなりました。
シンクレア自身の根本的な変化。自分の内なる心に従って自分の運命を生き、悪徳の存在を否定しない道は、孤独を意味します。それでも目覚めた人々が自分の内なる存在に耳を傾けて自分の道を歩むことが重要であることを認識しました。
18 歳のとき、シンクレアは H 大学で哲学を学び始めました。内なる心に導かれてデミアンと再会し、母親の家に招待されます。シンクレアは「エヴァ夫人」と呼ばれるデミアンの母親が、彼がよく夢に抱き描いてきた顔に似ていることに気づきます。
エヴァ夫人は彼の新しいロールモデルとなります。エヴァ、シンクレア、デミアンは、「探求者の輪」のコミュニティを形成していきます。グループは協力してヨーロッパの精神の崩壊と再生に備えます。
第一次世界大戦が始まり、仲間たちは兵士となって前線で戦います。シンクレアは、戦争の惨劇を、卵から生まれ変わろうとする魂の内側からの発散だと捉えます。
戦場でシンクレアは重傷を負います。病院では瀕死のデミアンが彼の隣にあり、もうあの頃のようにクローマーから守ることはできないと告げます。
しかしデミアンはずっとシンクレアの中にあります。それ以来、シンクレアは自分の中に友人であり導き手でデミアンを見つけ、彼と一つになったのでした。
参考文献
・高橋健二『ヘルマン・ヘッセ: 危機の詩人』
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