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大江健三郎『さようなら、私の本よ!』解説あらすじ

大江健三郎
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始めに

 今日は大江健三郎『さようなら、私の本よ!』について解説を書いていきます。『取り替え子』『憂い顔の童子』、本作からなる三部作の最終章です。

語りの構造、背景知識

異質物語世界の語り、長江古義人に主たる焦点化

 三部作で共通の構造ですが、異質物語世界の語り手で、長江古義人に主たる焦点化が図られます。本作品は、『取り替え子』『憂い顔の童子』と三部作をなしており、これはその3作目に当たります。

モダニズムの枠ではジョイス『ユリシーズ』や川端康成『眠れる美女』『みづうみ』と近い語りのデザインでしょうか。意識の流れで、老作家長江古義人の心理が展開されていきます。

三部作の中での位置付け

 伊丹十三の自殺以降の大江健三郎を描く本シリーズですが、ここにおいて、作家古義人は、青年らが巻き起こすテロ計画に巻き込まれる形ではありつつ加担したことで社会的責任を問われ、失楽園めいた状況に置かれることになります。個人的には、その点でクッツェー『恥辱』、マラマッド『ナチュラル』と重なります。楽園を追われた老人が、それでも探求を諦めることなく、現実参画のなかで自己実現を図ろうとする展開が感動を生みます。

 けれどもシリーズの終幕としては尻すぼみで、やはり一作目の衝撃を超えられない三部作にはなっています。

テロリズム文学

 本作品は三島由紀夫(『奔馬』)、村上龍(『愛と幻想のファシズム』)やドストエフスキー(『悪霊』)作品、パラニューク『ファイト=クラブ』(フィンチャー監督が映画化)、などのような、ラディカリズムとテロリズムを扱う小説になっています。

 システムの中心化を拒否する戦争機械足らんとする青年たちのテロリズムへの誘惑に、暴力を否定しつつも引き寄せられてしまう古義人が描かれます。

行動主義と『われらの時代』

 本作は『われらの時代』と内容的に重なります。このタイトルはヘミングウェイ『われらの時代』にならったもので、ニック=アダムスものを思わせる青春物語です。大江健三郎はサルトルやオーデンへの傾倒など、行動主義、現実参画の文学、哲学からの影響が顕著で、ヘミングウェイへの着目もそれに由来するものと思われます(ヘミングウェイはキャリアの初期には政治へのコミットメントをさけてましたが)。

 『われらの時代』では、主人公は、念願の留学のチャンスを、左翼的活動へのコミットメントで失い、また主人公の弟はテロルに失敗し、仲間を失い、自身も死にます。

 本作では、主人公の古義人はウラジーミル、清清が所属する組織「ジュネーブ」のテロ計画に巻き込まれ、活動にかかわる帰結となり、その結果、テロ計画で仲間を死なせてしまい、古義人も社会的な地位を喪失します。

実存主義

 大江健三郎は、サルトルや実存主義からの影響が顕著で、そこから表現を組み立てて行きました。

 サルトルに関しては、ざっくり話すとハイデガーの実存主義哲学、プラグマティズムや、セリーヌ作品(『夜の果てへの旅』)などからの影響を受け、一個のエージェントがその伝記的な背景などを背景に世界にコミットメントするプロセスに関して、構造的な把握を試みたものです。対自存在(自分自身を対象として意識する存在。志向する対象とする存在)てしての人間は、世界の中にある他のエージェントからの相互的な役割期待があり、世界の中で自分自身をデザインしていく自由と責任があることをモデルとして提起しました。

 またサルトルは実存主義において、未来に向かって現在の自己を抜けでて自覚的に自己を創造していくことをもとめ、さらにそれが社会や世界に対して、そして人類の未来に対して責任を負うアンガージュマン、社会参画を唱えました。

 本作は作家が現実参加の中で自身の行為の責任を世界から追及され社会的地位を失います。それでもなお、行動主義の作家であろうとする作家の決意を描きます。

創作をめぐる小説

 本作は創作についての物語になっていて、椿繁という男から、長江をバルダミュ、自分をロバンソン(セリーヌ『夜の果てへの旅』)に見立てた「ロバンソン小説」を書かないかと古義人がけしかけられます。

 三部作も本作で完結ですが、とはいえ古義人は三部作ののちの作品である『水死』『晩年様式集』にも登場します。また、創作をめぐる創作として、『水死』のほうが、本作よりも古義人の物語の集大成と呼ぶにふさわしい内容です。

物語世界

あらすじ

 『憂い顔の童子』で大怪我を負って入院していた長江古義人のもとに、建築家・椿繁が見舞いに来ます。 退院した古義人は、繁とともに夏を北軽井沢の別荘「小さな老人」で過ごします。別荘に繁がアメリカの大学の教鞭をとっていたころの教え子のロシア人ウラジーミルと中国系アメリカ人清清が合流します。

 古義人は、彼らが国家に対抗して東京の高層ビル爆破を行う計画をたてていること知り、軟禁状態におかれます。繁はこの「大勝負」を題材にして、長江をバルダミュ、自分をロバンソン(セリーヌ『夜の果てへの旅』)に見立てた「ロバンソン小説」を書かないかと古義人をけしかけます。古義人は暴力は是認しないが、彼らの計画に巻き込まれていきます。 計画の具体化にあたり、ネイオ、武、タケチャンの三人の若者が加勢し、古義人は彼らと打ち解けていきます。

 ウラジーミル、清清が所属する組織「ジュネーブ」が最終的な実行許可を出さなかったためビル爆破の計画は頓挫します。繁、武、タケチャンは計画を仕切り直し、繁の手によるビル爆破の教本「破壊する(アンビルド)」をインターネットでゲリラ的に頒布することにします。そのデモンストレーションのために「小さな老人」を爆破させようとする作業の最中、事故でタケチャンが死亡します。

 事件は大ニュースとなり、巻き込まれたものとはいえ事件に関わった古義人はバッシングを受け、四国の故郷の森に隠棲します。古義人はそこで世界の崩壊の予兆を各国語のニュース記事から拾い上げ「徴候」と題する書き物にまとめています。古義人を訪ねてきた繁は「徴候」の最後のページはエリオットのイースト・コーカーの詩行がふさわしいと述べます。「老人は探検者になるべきだ/現世の場所は問題ではない/われわれは静かに静かに動き始めなければならない」と。

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