はじめに
大江健三郎『われらの時代』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
ヘミングウェイの影響。行動主義
タイトルはヘミングウェイ『われらの時代』にならったもので、ニック=アダムスものを思わせる青春物語です。
大江健三郎はサルトルやオーデンへの傾倒など、行動主義、現実参画の文学、哲学からの影響が顕著で、ヘミングウェイへの着目もそれに由来するものと思われます(ヘミングウェイはキャリアの初期には政治へのコミットメントをさけてましたが)。
サルトルと実存主義
大江健三郎は、サルトルや実存主義からの影響が顕著で、そこから表現を組み立てて行きました。
サルトルに関しては、ざっくり話すとハイデガーの実存主義哲学、プラグマティズムや、セリーヌ作品(『夜の果てへの旅』)などからの影響を受け、一個のエージェントがその伝記的な背景などを背景に世界にコミットメントするプロセスに関して、構造的な把握を試みたものです。対自存在(自分自身を対象として意識する存在。志向する対象とする存在)てしての人間は、世界の中にある他のエージェントからの相互的な役割期待があり、世界の中で自分自身をデザインしていく自由と責任があることをモデルとして提起しました。
またサルトルは実存主義において、未来に向かって現在の自己を抜けでて自覚的に自己を創造していくことをもとめ、さらにそれが社会や世界に対して、そして人類の未来に対して責任を負うアンガージュマン、社会参画を唱えました。
サルトルからの大江健三郎への影響
サルトルからの大江健三郎における影響は、もっぱら1.古典主義者としての姿勢、2.行動主義者としての姿勢3.言語行為としてのフィクションへの着目に整理できます。
大江健三郎の文学は『水死』『取り替え子』に見えるように、既存のテクストの歴史であるアートワールドの体系へのコミットメントによって成立しています。自己物語と関連付ける中で、既存の芸術史の体系へと参画していく姿勢に実存主義の影響が見えます。
また、『見る前に跳べ』などからみえる現実参画を多とする行動主義者としての作家大江健三郎のあり方には、実存主義の影響が見えます。
また、創作が現実参画として社会になんらかの影響を与えるという、言語行為としての創作プロセスへの着目は、『水死』などにも見えますが、ここにもサルトルの実存主義の影響が見えます。
自由と責任
本作もサルトルの実存主義が掲げた自由と責任をテーマにします。主人公の靖男は、自分の自由な意思によって選択し、頼子とのつながりや留学のチャンスを失います。アンガージュマンのなかで主体が問われる責任を描いています。
こうした主題は晩年の『さようなら、私の本よ!』などにも見えています。
異都への憧憬と日常の倦怠
ヘミングウェイの作品のうち、本作は『日はまた昇る』に内容的には重なって、虚無的な性交渉やそれが演出する閉塞感など、そのあたりの主題が共通します。
また『個人的な体験』などへも描かれる、逃避願望が留学への欲求という形で描かれ、それが政治参画により頓挫してしまいます。
物語世界
あらすじ
仏文科の学生である南靖男は、中年の娼婦の頼子と同棲して、性交を繰り返しています。その生活から虚無的な考えに取り憑かれている靖男にとって唯一の希望は、日仏の相互関係をテーマとした懸賞論文に当選してフランス留学する機会が与えられることです。
南靖男の弟の滋は、ジャズトリオ「不幸な若者たち」でピアノを弾いています。彼らは、天皇の車の手前で手榴弾を爆発させる事件を思いつきます。しかし怖気付いて計画を実行できなかった彼らは、手榴弾を使って度胸試しをします。それでメンバー二人は死に、警察から逃亡する過程で滋も死にます。
懸賞論文が当選して靖男にフランス行きの機会が与えられます。靖男は頼子から妊娠を告げられてフランス行きを引き止められるものの、それを受け入れず二人の関係は終わります。靖男は左翼活動家の八木沢を介してアルジェリアの民族戦線のアラブ人と知り合い、共鳴します。靖男は彼との連帯の意志をフランス大使館員に示し、フランス留学の機会を失います。
靖男は八木沢から左翼活動へ参加することを提案されるものの、参加しません。すべてを失い、ここで自殺が頭によぎるも、実行しません。
参考文献
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)




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