始めに
『風の歌を聴け』(1979)は村上春樹の代表的な作品です。本作品は村上の処女作で、たしかに若書きの印象はあるものの、充実した内容であると思っています。村上は最初期の作品は充実したものである一方、次第に作品が水っぽく安易なものとなっていくため、『風の歌を聴け』はいまもなお新鮮な感動をもって受け止めることができます。そんな作品についてレビューを書いていきます。
語りの構造
初期三部作
本作は本作、『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』からなる初期三部作の一作目です。
本作と『1973年のピンボール』はあまりストーリー性がなく、描写中心です。『羊をめぐる冒険』からかっちりしたプロットがデザインされていきます。
三部作で中心となるのは直子の自殺です。
失われたときを求めて
『風の歌を聴け』は等質物語世界の語り手である「僕」が時間的に過去のできごとを後置的に物語る構造になっています。また、カットアップの手法が用いられ、出来事は時間軸に沿って直線的に配列されず、非線形の配列がなされています。
それは類似の語りの構造を持つヴォネガット『スローターハウス5』と似ていて、心的外傷を抱えた語り手の中に起こるフラッシュバックやマインドワンダリングの再現と言えそうです。語り手の中に止めどなく沸き起こる、失われた悲劇的な過去の記憶が語りの中に描かれています。
このような語り手の精神的な混乱を表現するのがカットアップの手法です。『キャッチ=22』という作品と類似しています。
決定された宿命としての過去
村上においては代表作の『ノルウェイの森』でも後置的な語りが展開されています。どちらの作品においても、女性の自殺のような確定した過去の絶望的な出来事が、宿命として現在に生きる主人公の精神的自由を脅かすのです。「過去」という時間は、現在に生きる人間にとっては抗いがたい決定されたものです。そんななかで各々のエージェントは、マインドワンダリングやフラッシュバックのような形で主観的な時間のなかで過去へと遡及し、自分が取るべきだった、あるいは取り得た行動についてのリハーサルを繰り返します。『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』も、きっとそうした主観的なタイムトラベルの過程を描いたものなのではないでしょうか。失われたときの記憶の欠片を手繰り寄せて、失われた命について思いめぐらせ、取りえた自分の行動をめぐるアポリアのパズルを必死に解こうと組み立てるかのようです。
同様の構造を持つ日本文学史上の作品として夏目漱石『こころ』、大江健三郎『取り替え子』があります。『こころ』においては、語り手の「私」は「先生」と呼ばれる男から遺書を受け取り、それが後編部分のテクストを占めています。その遺書は「K」の自殺とその背景となった「先生」と「K」の関係について綴られています。Kは一見「先生」の行動によって自殺したかのように見えるし、またそれ以外にも「K」の「こころ」は解釈可能になっています。過去の自分の有り様について誰かからの意見や共感、あるいは赦しを求めて「先生」は「私」に遺書を送ったかのようです。
また『取り替え子』では、主人公「長江古義人」は「塙吾良」の自殺について「田亀」と呼ばれるカセットレコーダーのセットを通じて回想します。『取り替え子』ではまたエリオット『荒地』などの歴史的に構築された膨大なテクストの体系・アートワールドとの関連の中で、作者自身の伝記的な生が作品のなかに再構築されています。
アートワールドの歴史性へのコミットメント
村上の作品は、いずれも固有名詞に溢れています。それは大江『取り替え子』にも似て、膨大なテクストの歴史的実践であるところのアートワールドに対して、引用という形でコミットメントが図られています。村上や大江のそうした作品の要素が我々のこころを捉えるのは、アートワールドのなかに置かれたテクストに対して、新たな解釈を与える機知を見出だせるからではないでしょうか。例えば作中に現れるフローベル『感情教育』は、二月革命前後の時代を背景に、狂騒の中で喪われていった儚い過去に思いを馳せるドラマです。それはちょうど『風の歌を聴け』というテクストの中核をなす主題でもあります。
『風の歌を聴け』というテクストが持つ過去のテクストへの批評性は、アートワールドの歴史にひとつのピースを加え、原典が位置するアートワールドの中での位置を再定義する性質のものであり、作家のそのようなテクストの生産の営みは、宿命としての過去に脅かされつつも、懸命に自己の自由を実現しようとする、『風の歌を聴け』という作品の主題そのものと通じるものがあります。「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」というのは作中に現れ根幹をなすテーマですが、完璧なテクストがないからこそ過去のテクストに対する批評性によって再びそのテクストに輝く契機が生まれ、そこにこそ作家にとっての希望があるのではないでしょうか。
物語世界について
世界観
1970年、主人公の「僕」は東京の学生でした。当時の生活がカットアップの手法によって綴られています。友人である鼠や、関係を持った後に自殺した女性のエピソードなどが印象的です。
登場人物
- 僕:主人公であり語り手。東京の学生。
- 鼠:僕の友人。『グレート・ギャッツビー』のように金持ちでありつつ、金持ちを嫌っています。
関連作品、関連おすすめ作品
・村上春樹『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』:続編です
・夏目漱石『こころ』、大江健三郎『取り替え子』:自殺の心的外傷を巡るドラマです。
・カート=ヴォネガット『スローターハウス5』:心的外傷によって起こる主観的な現象としての時間の再現としてカットアップの手法を用いています。
・フローベール『感情教育』、ルーカス監督『アメリカン・グラフィティ』:狂騒のなかで喪われていった、過去のなかの青春のドラマです。



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