始めに
今日はフォークナー『響きと怒り』についてレビューを書いていきます。大江健三郎や中上健次(『千年の愉楽』)への影響で知られます。また、映画の記事は姉妹サイトへ移行しました。
語りの構造、背景知識
ヨクナパトーファサーガ(バルザック、ゾラ、S=アンダーソン)、意識の流れ(トルストイ、ドストエフスキー、H-ジェイムズ、コンラッド)
フォークナーの手法の特徴はヨクナパトーファサーガと呼ばれる架空の土地の歴史の記述のメソッドです。フォークナーはバルザック(『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』)の影響から、人物再登場法の手法を取り入れています。これは同じ人物を他の作品の登場人物として何度も登場させる手法です。また、家族に注目する手法はゾラのルーゴン=マッカルー叢書(『居酒屋』『ナナ』)などに習っています。また、架空の土地創造の手法はS=アンダーソンに習っています。
コンラッド『闇の奥』の影響も顕著で、これによって複数の等質物語世界の語り手を導入したり、異質物語世界の語りと組み合わせたりしています。また、トルストイ(『アンナ=カレーニナ』)、ドストエフスキー(『カラマーゾフの兄弟』)、H =ジェイムズ(『ねじの回転』『鳩の翼』)のリアリズムの影響で、一人称的視点の再現について示唆を受けています。
同時期のモダニスト、ジョイスもデュジャルダンの『月桂樹は切られた』などの影響で、プルースト(『失われた時を求めて』)もベルクソンの現象学の影響で、それぞれ独自の意識の流れの手法について開発し、現象的経験の時間的に連続した経過の再現を試みていて、フォークナーもジョイスなどから刺激されました。
フォークナーもそうした手法によって、一個のエージェントの視点からの歴史記述を試みます。エージェントのフラッシュバックなど主観的タイムトラベルが展開されることで、時間が過去から現在へと縦横に移動し、土地の歴史を記述します。
プラグマティックな歴史記述
フレイザー『金枝篇』がT=S=エリオット『荒地』に導入されて以降、作家は語りの手法に民俗学、社会学的アプローチをも積極的に取り入れるようになっていきました。特に本作でも用いられているアナール学派的な、中央の事件史に抗する心性史としての歴史記述のアプローチは、ポストコロニアルな主題を孕みつつ、ガルシア=マルケス『族長の秋』『百年の孤独』などラテンアメリカ文学などへと継承されていきました。
旧来的な中央の事件史としての歴史記述においては、歴史の構造的理解に欠き、そこから捨象される要素が大きすぎましたが、アナール学派は特定のトポスに焦点を当てたり、ミクロなアクターの視点に注目したりして、歴史の構造的把握と、歴史を構成するアクターの単位の修正を図りました。本作も同様に、ミクロな歴史的アクターの一人称的視点に着目しつつ、その集積物として歴史を構造的にとらえようとするプラグマティックな歴史記述のアプローチが見えます。
歴史の中のミクロなアクターの視点、語りを通じて歴史を記述、再構築しようとするアナール学派的アプローチは、小説家にとっても強力な武器となったのでした。
シェイクスピア『マクベス』、家族の神話、キリスト
本作のタイトルはシェイクスピア『マクベス』からとられています。
Told by an idiot, full of ‘sound and fury’, Signifying nothing
という『マクベス』におけるマクベスの独白がタイトルの由来です。訳すと「愚者の戯言だ。やかましく、鬼気迫るが、たわごとだ」みたいな感じです。全体的に、朦朧とした非線形の語りについて、作品を象徴するのがこのフレーズと言えます。
本作品はシェイクスピアの4大悲劇(『オセロ』『マクベス』『リア王』『ハムレット』)からの影響が顕著で、それは『アブサロム、アブサロム!』においてもそうです。本作品は父との関係が中心となるドラマという点で『リア王』などからの影響も顕著です。
加えてドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』からの影響も大きいです。このように、本作品は過去の神話やフィクションなどのテクストの象徴、パロディとして描かれています。ジョイス『ユリシーズ』、T=S=エリオット『荒地』などにも共通する手法です。
また『八月の光』同様、キリストの神話の象徴としてコンプソン家が描かれています。「聖家族」という概念があり、これはイエス=キリスト、聖母マリア、そしてヨセフの3人からなる家族を指し、これはキリスト教において、家族の原形であり理想です。そんなキリストの神話の象徴としてのコンプソン家が南部の荒廃と没落を体現するのが皮肉です。
このような象徴的手法によって、アートワールドの中の既存のテクストの歴史的位置、その全体論的構造に、それへの批評という形で改訂が図られ、そうした戦略に認められる機知に対して読者は感銘を受けます。大江健三郎『水死』『取り替え子』などに近い感動があります。
モデル
フォークナーは自分の人生をもとに本作を手がけました。
一族は大佐だった曽祖父の時代から衰退していました。フォークナーが10歳の時、彼と二人の兄弟は従妹のサリーと一緒に暮らしていたました。四人はフォークナーが「ダムディ」と呼んでいた母方の祖母の死を経験します。
フォークナーはミシシッピー州オックスフォードに住むエドウィン=チャンドラーという知的障害者の男性と知り合いでした。
フォークナーの幼少期の恋人エステル=オールダムが他の男性と結婚し、取り乱したとき、フォークナーはコネチカット州ニューヘイブンに住む友人フィル=ストーンを訪ねることで彼女を忘れようとしました。この旅行は、クエンティンのハーバード大学での経験とルームメイトのシュリーブとの関係のベースです。シュリーブはストーンの友人であるスティーブン=ベネットをモデルにします。
ディルジーはフォークナー家の使用人であるキャロライン=バーをモデルにします。
南部の保守的風土。南部ゴシック
本作は南部の保守的な風土の中での登場人物の苦悩が描かれます。フォークナーの作品は南部ゴシックと形容され、これはホーソン(『緋文字』)、メルヴィル、トウェイン、ポー(『アッシャー家の崩壊』)などのアメリカのゴシック文脈を先駆とし、保守的風土のなかでの悲劇を描くジャンルですが、本作も同様です。
南部の悲劇を特に体現するのが、コンプソン家のクウェンティンとジェイソンです。クウェンティンは南部の保守的道徳に縛られつつ、南部の現在の道徳的荒廃に悩んで自殺します。
ジェイソンは強欲な守銭奴で、コンプソン家の中心となっている三番目の子です。不安になって泣き出したベンジーを、黒人召使の孫息子を暴力で傷つけることで泣き止ませる終盤の展開が印象的で、ただ暴力によってのみ秩序が保たれる南部の荒廃を伝えます。
複数の等質物語世界の語りと異質物語世界の語り
本作は南部の没落しゆくコンプソン家という家族に焦点が当てられ、コンプソン家の兄弟のベンジー、クウェンティン、ジェイソン=コンプソン4世が語り手になり、それと異質物語世界の語り手の四章があります。
ベンジーは知的障害があり、朦朧とした断片的な語りを展開します。物語が散漫で、解釈するのも一苦労で難解です。
クウェンティンは知的なインテリで、南部の騎士道道徳にこだわり、妹・キャディの貞操について思い悩み父に相談するも相手にされません。サリンジャーもフォークナー「あの夕陽」などから顕著な影響を受け、グラースサーガを創造したことが知られますが、道徳に思い悩み自殺するクウェンティンは「バナナフィッシュにうってつけの日」(『ナイン=ストーリーズ』)のシーモア=グラースや『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンを思わせます。強迫観念に囚われた語り手の狂気が印象的です。
ジェイソン=コンプソン4世は狡猾で強かな皮肉屋で、人種差別主義者です。邪ですが、語りは明快で分かりやすいものになっています。
第4部は、異質物語世界の語りで、黒人召使一家の女家長であるディルシーに主に焦点が当てらます。ディルシーは、没落するコンプソン家とは対照的に、その信仰から大きな強さを得ています。
物語世界
あらすじ
第1部「1928年4月7日」
ベンジャミン・”ベンジー”・コンプソンの語りです。ベンジーは、その白痴故に一家の恥の源です。ベンジーの世話を心から行うのは、ベンジーの姉のキャディと黒人女召使のディルシーです。ベンジーの語りは、全体に脈絡がありません。
この部では、ベンジーの3つの愛情が描かれます。炉火の光、かつてコンプソン家のものだった土地に造られたゴルフ場、および姉のキャディです。しかし、キャディは、生んだ子供が夫との間の子ではなかったために夫から離婚され、コンプソン家を去っています。一家は、長男のクウェンティンのハーバード大学での学費を調達するため、地元のゴルフクラブにお気に入りの牧場を売っていました。
ベンジーは、召使の少年ラスターと同行し、ゴルフ場のゴルファー達を見ながらお気に入りの姉の名前「キャディ」をゴルファー達が呼ぶのを聞こうと待っていました。ゴルファーの一人がゴルフ・キャディを呼んでいるとき、ベンジーの心の中では姉に関わる記憶が回想され、やがてコンプソン家の子供達4人の祖母が死んだ1898年が想起され、葬儀の間、子供達は外で遊ぶよう命令されていたのを思い出します。キャディは、庭の木に登り家の中を覗いていて、彼女の3人の兄弟であるクウェンティン、ジェイソン、ベンジーは、上を見上げていると、キャディの下着が泥で汚れていることに気付きます。ここからベンジーはキャディと樹木を結びつけて考えるようになります。
ベンジーの障害が明らかになった1900年に、それまでのモーリーからベンジーに名前が変えられ、モリーという名前は、伯父(母の兄)の名前を貰ったともわかります。
1910年のキャディの結婚と離婚、門の鍵が外れていた時に少女を襲ったことからベンジーが去勢されたことも語られます。
第2部「1910年6月2日」
コンプソン家の子供達の中でもっとも知的なクウェンティンは、ハーバード大学の一年生であり、ケンブリッジの通りをうろつきながら、死を考え、妹のキャディと家族が離反したことを回想します。クウェンティンの主要な妄想の対象は、キャディの処女性と純潔です。南部の騎士道精神に取り付かれ、女性の保護を必要と考えてます。
キャディが性的な放縦さに陥ったとき、クウェンティンは、父親に援助と相談を持ちかけますが実用主義のコンプソン氏は処女性は男が創作したものであり、深刻に考えるべきではないと告げ、時が全てを解決すると語ります。
1909年秋にクウェンティンがハーバードに向けて旅立つ直前に、キャディはドールトン=エームズの子供を妊娠し、クウェンティンはエームズと対決します。二人は戦い、クウェンティンが敗北します。キャディは、クウェンティンのために、二度とエームズとは話をしないことを誓います。クウェンティンは、父に近親相姦を犯したと告げるものの、父は嘘を見破ります。
クウェンティンは、キャディの罪に責任を取る必要があると感じています。妊娠し孤独を感じたキャディは、ハーバート=ヘッドと結婚、クウェンティンはヘッドとの結婚に反発します。彼女は出産する前に結婚しなければならないものの、ハーバートはその子供が自分の子ではないと分かり、母(キャディ)とその娘を恥辱の中に追いやります。
クウェンティンは、授業を抜けてハーバードをうろつき、キャディを失ったことに対する悲痛の過程を辿ります。また英語を話せないイタリア人移民の少女と出遭い、少女の家を見つけてあげようとするが、徒労に終わります。またクウェンティンは、南北戦争後の南部の凋落と浅ましさを悲観し、やがて自殺します。
第3部「1928年4月6日」
コンプソン家の母キャロラインのお気に入りで3番目の子供のジェイソンの語り。第1部の前の日、聖金曜日(復活祭前の金曜日)です。ジェイソンの部は即物的でシンプルな語りです。
1父の死後にジェイソンが一家の経済を支えています。母、ベンジーおよびミス=クウェンティン(キャディの娘)を養い、召使の家族も居ます。ジェイソンは、ミス=クウェンティンの唯一の保護者とキャディに認めさせ、キャディが娘のために送ってくる養育費を着服します。
ミス=クウェンティンの向こう見ずで感情的なところは祖父から、無慈悲な皮肉屋という性格は、母方から受け継ぎます。
聖金曜日、ジェイソンは、再び逃げ出したミス・クウェンティンを探すために仕事を放り出しています。
第4部「1928年4月8日」
第4部は、復活祭の日です。異質物語世界の語りで、黒人召使一家の強力な女家長であるディルシーに焦点が当てられます。ディルシーは、没落するコンプソン家とは対照的に、信仰から大きな強さを得ています。
復活祭の日に、ディルシーはその家族とベンジーを黒人教会に連れて行きます。ディルシーは、孫息子のラスターの助けでベンジーの面倒を見ており、彼を教会に連れて行きます。説教師の教えによって、コンプソン家のために泣き始めます。
一方、ジェイソンとミス=クウェンティンの間の対立が激しくなり、一家は、ミス=クウェンティンが夜の間に見世物小屋の雇い人と共に逃げ出したことを発見します。ミス=クウェンティンは、ジェイソンが箪笥の中に隠していた現金を発見し、自分の渡した養育費と金の亡者になっていた叔父が貯めてきた金を奪います。ジェイソンは、警察に行って金が盗まれたと告げますが、着服を認めることになるので、それ以上追求できません。自分で彼女を見つけようとするものの、近くのモットソンの町で彼女の足跡を見失います。
ディルシーは、教会の後で孫のラスターに、家族の老朽化した馬と馬車でベンジーを墓地まで連れて行くことを認めます。ラスターは広場の記念碑の周りをいつもと違う方向に曲がり、不安になったベンジーのヒステリックな泣き声と衝撃的な喚きを上げます。ジェイソンは、ラスターを突き飛し、馬車を回し、ベンジーはおとなしくなります。
ラスターが振り返るとベンジーが花を落としているのが分かり、ベンジーの目は再びうつろで、青々と澄みわたっています。
付録
付録はコンプソン家の歴史を編年体で完成させたものです。先祖のクウェンティン=マクラカンが1779年にアメリカに渡って来たときに始まります。特にキャロライン=コンプソンが1933年に死に、ジェイソンはベンジーを州立精神病院に送りつけたこと、黒人召使を解雇したこと、コンプソン家の最後の土地を売却したこと、その農業用品店の上にあるアパートの一室に転居したことが描かれます。またジェイソン自身がベンジーの法的な庇護者であることを利用してベンジーを去勢させたことも明かされます。
その後キャディは二度目の結婚と離婚を経験した後、パリに行ってドイツ占領下の時を過ごします。1943年、ヨクナパトーファ郡司書が雑誌の写真の中に、ドイツ軍参謀の将軍と共に居るキャディを発見し、ジェイソンとディルシーそれぞれに彼女を救おうと呼びかけます。しかしジェイソンはキャディに冷淡で、ディルシーはキャディが他に救うだけの値打ちのあるものが残されていないので、救われたいという思いもその必要もないことを理解したと悟ります。
関連作品、関連おすすめ作品
・『ジョジョの奇妙な冒険』(1.2.3.4.5.6.7.8):サーガの手法。
参考文献
大橋健三郎『フォークナー アメリカ文学、現代の神話 』(1993.中央公論新社)
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