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ピンチョン『ヴァインランド』解説あらすじ

トマス=ピンチョン
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始めに

 ピンチョン『ヴァインランド』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

ピンチョンの作家性

 ピンチョンは覆面作家なのでよくわかっていませんが、おそらくはナボコフとジョイスからは直接的な影響があります。

 ​ウラジーミルナボコフはコーネル大学時代のピンチョンの恩師です。ナボコフの緻密な言語構成やパズル的な物語構造は、ピンチョンの文体に大きな影響を与えたとされています。

​ ジョイス『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』に見られる、言語の実験性、重層的な神話の引用、そしてすべてを網羅しようとする百科事典的な志向は、ピンチョンの創作の核となっているといえます。

 他にも種々の影響が見えます。​ウィリアム=ガディス 、​ウィリアム=S=バロウズの形式主義的実験とも重なります。

​ ​ヘンリー=アダムズは19世紀アメリカの歴史家・作家です。彼の提唱した熱力学の法則を歴史に適用するという考え方や、エントロピーという概念は、ピンチョンの全作品を貫く重要なテーマになっています。​ノーバート=ウィーナーはサイバネティックスの提唱者です。情報理論や通信におけるノイズと意味の境界線という科学的テーマが、ピンチョンの描く陰謀論やパラノイアの構造を支えています。​ また​ハーマン=メルヴィル、カフカとの共通点も多いです。

ジョイス『ユリシーズ』の影響

 本作もジョイス『ユリシーズ』の影響が顕著です。

 モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。

 またジョイスは美学においてエピファニーという発想を提唱しました。これは、「平凡な瞬間の中に、対象がふとした瞬間に見せるその本質の顕れ」のことです。ジョイスはイプセン(『民衆の敵』『人形の家』)という戯曲作家のリアリズムからの影響が顕著で、エピファニーの発想にも、それが手伝っています。

 さらに『ユリシーズ』は全18話において各々パロディという形でさまざまなジャンル、作家のスタイルが導入されています。この語りの構造は『フィネガンズ・ウェイク』でさらにラディカルに展開されていきます。またこうした要素は村上春樹作品(『風の歌を聴け』)、ピンチョン作品(『重力の虹』)、クノー(『文体練習』)、伊藤整、ナボコフ(『ロリータ』)に継承されていきます。このようなさまざまな作家、ジャンルのパロディを展開することで、現実世界における言語的多様性を抱えつつ営まれる実践の再現を試みているとも解釈できます。トウェイン『ハックルベリ=フィンの冒険』の如く、方言などの多様なスタイルでもって綴られる作品世界は現実世界の再現として捉えられます。また認知言語学、記号学的な発想を汲み取ることができ、つまるところ各々の言語、作家のスタイル、ジャンルというのは積み上げられた歴史の集積物で、歴史的蓄積の中で構築された各々の言語の(メタファー、レトリックなどに見える)全体論的デザインや歴史的実践の中での変遷に着目するのがソシュール以降の記号学や認知言語学と言えますが、ジョイスやそれ以降のモダニストの他言語、ジャンル、作家パロディの実践はその歴史性へのコミットメントでありその中での合理性や機知の発現と評価できます。

カウンターカルチャーの敗北

 『ヴァインランド』という小説が描いている中心的なテーマは、失われた革命の夢と、その後に訪れた管理社会です。​ピンチョンは、1960年代のヒッピー文化が、なぜ1980年代の保守的な空気(レーガン政権)に変貌してしまったのかを描きます。

 ​1960年代、若者たちは権力に反抗し、「自由」を求めました。しかし、1984年の世界では、彼らの多くがテレビ(作中では「チューブ」)という新たな支配者に夢中になっています。物理的な暴力による弾圧よりも、娯楽や消費による精神的な去勢の方が、人々を支配する上で効果的でした。

  また​ヒロインの母フレンジェシが、かつての仲間を裏切って権力側のブロックの協力者になったエピソードは重要です。人間は理想だけでは生きられず、恐怖や欲望によって簡単に「転向」してしまう弱さを持っています。そして、その裏切りの記憶が、次の世代にどのような影響を与えるのかを描いています。

 作中には、死んでいるのか生きているのか分からない「タナトイド」という奇妙な人々が登場します。彼らはテレビを眺め、過去の恨みを抱えながらも、行動を起こすエネルギーを失っています。社会全体が過去に起きた虐殺や弾圧を忘れ生ける屍のように現状を受け入れていることへの批判と言えます。 

カウンターカルチャーの希望?

​ 他方でピンチョンの他の作品が、世界の崩壊や巨大な陰謀を描いて終わるのに対し、今作は家族の再会で幕を閉じます。巨大な国家権力やテクノロジーの支配に対して、個人のレベルで対抗できる唯一の手段は、人間同士の絆の回復であるという、ピンチョンなりの小さな希望が示されています。

 親から子への記憶、断片的な共同体、バカバカしいが消えない友情や愛情といった、大きな歴史に回収されきらない持続が希望として、カウンターカルチャーの理想の残滓としても描かれています。

コンテンツ

あらすじ

 1984年、ロナルド=レーガンが再選された年のカリフォルニア。

 元ヒッピーのゾイド=ウィーラーが、精神障害手当を受け取るために毎年義務付けられている窓からの飛び込みのあと、連邦捜査官ブロック=ヴォンドが再び姿を現し、捜査官小隊を率いてゾイドと14歳の娘プレーリーを家から追い出します。

 彼らはブロックと、ゾイドの過去に関係のある麻薬取締官ヘクター=ズニガから身を隠していました。ゾイドはズニガがゾイドの旧友と共にブロックと共謀していると疑っています。

 プレーリーはボーイフレンドのイザイア=ツー=フォーと一緒にマフィアの結婚式に行き、そこで、ニンジェットで家族の元友人であるDLチャステインに遭遇します。彼はプレーリーに気づき、ブロックがウィーラー一家を狙っている動機を説明します。

 1960年代、ヒッピー全盛期に、架空のサーフ大学(架空のトラセロ郡にあり、南カリフォルニアのオレンジ郡とサンディエゴ郡の間に位置するとされている)がアメリカ合衆国から分離独立し、ヒッピーと麻薬喫煙者の国、ロックンロール人民共和国(PR³)となりました。ブロックはPR³を倒そうと企み、フレネシ(プレーリーの母)に協力的な協力者を見出そうとしていました。彼女は24fpsという過激な映画集団のメンバーであり、自由とヒッピーの理想に対する「ファシスト」の侵害を記録しようとしています。フレネシは抑えきれないほどブロックに惹かれ、PR³の事実上のリーダーであるウィード=アトマンという数学教授の殺害を企てる二重スパイとして活動します。

 フレネシは裏切りの後、逃亡し、今日までブロックの助けを借りて証人保護プログラムの下で暮らしてきました。そして今、彼女は姿を消しています。24fpsのメンバー、ブロック、そしてヘクターは、それぞれ異なる動機で彼女を探しています。

 24fpsは彼女を見つけ出し、プレーリーは母に会うという目標を達成します。フレネシの家族、トラバース家とベッカー家の大同窓会においてでした。

 D=L=チャステインと「カルマ調整」のパートナーであるタケシ=フミモタは、ウィード=アートマンや他のタナトイドと過ごしている最中に、ブロックのニュースを耳にします。

 DEAの資金を握るブロックは、監視ヘリコプターでプレーリーを見つけ、ゾイドではなく自分が彼女の本当の父親だと主張して彼女を捕まえようとします。しかし彼女の上空をホバリングしている間に、政府は麻薬撲滅運動への資金提供への関心をなくし、突然彼の資金提供を打ち切ります。人々が麻薬撲滅運動に便乗するようになったため、予算が減ったのでした。

 相棒のロスコーは、ヘリコプターを飛ばして立ち去ります。ブロックは直ちにヘリをヴァインランドに無理やり運ぼうとするものの、その途中で亡くなったようです。

 一方、家族の再会とタナトイドのバーでは、ブロックの失踪の知らせが祝われ、またプレーリーがブロックに誘拐されそうになった場所に戻り、彼が戻ってきて連れ戻してくれることを願う場面で終わります。

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