始めに
ピンチョン『LAヴァイス』解説あらすじを書いていきます。
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ジョイス『ユリシーズ』の影響
本作もジョイス『ユリシーズ』の影響が顕著です。
モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。
またジョイスは美学においてエピファニーという発想を提唱しました。これは、「平凡な瞬間の中に、対象がふとした瞬間に見せるその本質の顕れ」のことです。ジョイスはイプセン(『民衆の敵』『人形の家』)という戯曲作家のリアリズムからの影響が顕著で、エピファニーの発想にも、それが手伝っています。
さらに『ユリシーズ』は全18話において各々パロディという形でさまざまなジャンル、作家のスタイルが導入されています。この語りの構造は『フィネガンズ・ウェイク』でさらにラディカルに展開されていきます。またこうした要素は村上春樹作品(『風の歌を聴け』)、ピンチョン作品(『重力の虹』)、クノー(『文体練習』)、伊藤整、ナボコフ(『ロリータ』)に継承されていきます。このようなさまざまな作家、ジャンルのパロディを展開することで、現実世界における言語的多様性を抱えつつ営まれる実践の再現を試みているとも解釈できます。トウェイン『ハックルベリ=フィンの冒険』の如く、方言などの多様なスタイルでもって綴られる作品世界は現実世界の再現として捉えられます。また認知言語学、記号学的な発想を汲み取ることができ、つまるところ各々の言語、作家のスタイル、ジャンルというのは積み上げられた歴史の集積物で、歴史的蓄積の中で構築された各々の言語の(メタファー、レトリックなどに見える)全体論的デザインや歴史的実践の中での変遷に着目するのがソシュール以降の記号学や認知言語学と言えますが、ジョイスやそれ以降のモダニストの他言語、ジャンル、作家パロディの実践はその歴史性へのコミットメントでありその中での合理性や機知の発現と評価できます。
タイトルの意味
原題の『Inherent Vice』は、卵が腐る、ガラスが割れる、古い紙が黄ばむなど、外部からの力ではなく、その物自体が持っている性質によって、放っておいてもいつかは壊れてしまう性質のことです。
これは1960年代のカウンターカルチャーが、外部からの弾圧だけでなく、自らの内側にある脆さや欲望によって崩壊していくことを暗示しています。「エントロピー」と近い象徴的ニュアンスです。
ピンチョンが描いたのは、反体制(カウンター)だと思っていたものさえ、実は体制(キャピタリズム)が肥大化するために必要な栄養素でしかなかったという絶望的なパラドックスです。
「インヒアレント・ヴァイス」とは、船や荷物が自重や性質で自壊するように、自由を求める運動が、その自由さゆえに、最も不自由な管理資本主義へと回収されてしまう性質を指しているとも解釈できます。「結局、俺たちは最初からあいつらの手のひらの上で踊らされていたのか」という、ドックが感じるパラノイアは、現代を生きる私たちが感じるすべてがシステム化された社会への違和感と直結しています。
マンソンファミリーの示すもの
ピンチョンにおけるマンソンは裏切り者でも例外的な狂人でもなく、カウンターカルチャーが資本主義と同型化していくときに現れる、もっとも露骨で不快な結晶として配置されています。
マンソン=ファミリーは、反体制を装った資本や国家のエージェントではありません。むしろ逆で、国家や資本がまだ前面に出てこなくても、資本主義的な支配の形式そのものが、カウンターカルチャー内部から自律的に生成されてしまうことを示した存在です。そこでは貨幣も企業も存在しないのに、カリスマ、序列、性の管理、労働の分配、暴力の独占が成立してしまいます。これは資本主義を単なる経済制度ではなく、欲望の編成様式・権力のミクロな技法として捉えたときに初めて見えてくる構図です。
マンソンが使った語彙は、愛、自由、共同体、音楽、ドラッグ、終末的救済といった、60年代のカウンターカルチャーそのものです。にもかかわらず、その内部で起きていたのは、徹底した搾取と支配でした。個々人の主体性は否定され、女性の身体は資源化され、信奉と恐怖によって集団は維持されます。この構造は、外見上は資本主義への拒否でありながら、中身においては資本主義が最も効率化された形で作動しているという倒錯を孕んでいます。だからマンソンは反体制が暴走した姿ではなく、反体制が資本主義と同型化した瞬間を象徴しています。
ピンチョンがここで示唆しているのは、カウンターカルチャーが資本主義に吸収されたという単純な物語ではありません。そうではなく、自由・流動性・脱中心性・反制度性といった価値それ自体が、管理と支配にとって極めて相性が良かったという事実です。中央集権的な命令がなくても、人は自発的に従属し、欲望を最適化し、他者を管理し始めます。マンソン=ファミリーは、その最悪の短絡回路を示したにすぎません。
マンソンは、資本主義の「外部」から来た怪物ではなく、資本主義の最も醜い側面が、カウンターカルチャーという培地の中で純化された存在です。彼らの暴力は、体制への反乱ではなく、体制が望む支配のミクロモデルを、先取りするかたちで実演してしまいました。その点でマンソンは、資本主義批判の失敗例ではなく、資本主義の成功例のグロテスクな縮図です。
反体制だと思っていた場所にこそ、体制の論理が最も純粋なかたちで現れてしまうという、絶望的な認識こそが、ピンチョンがマンソンを参照する理由です。
ノワールのパロディとして
ピンチョンはチャンドラー的ノワールが成立していた世界そのものが、もはや成立不可能になったことを描くために探偵小説のパロディを選んでいます。
チャンドラーの世界では、ロサンゼルスは腐敗しているものの、腐敗にはまだ輪郭がありました。金持ち、警察、ギャング、政治家といった悪役がいて、私立探偵はそのあいだを歩き回り、少なくとも誰が汚れているかは見分けられます。フィリップ=マーロウは皮肉な理想主義者です。都市は堕落しているものの、世界はまだ秩序があります。
ところが『インヒアレント・ヴァイス』の時代、同じLAはもうそうではありません。腐敗は個人や組織の悪徳として現れず、医療、保険、不動産、カウンターカルチャー、ドラッグ、心理療法といった善意や癒しの顔をした制度に拡散しています。悪は輪郭を失い、誰かを殴れば解決するような対象ではなくなります。チャンドラー的ノワールが前提にして、探偵がいて、依頼があり、失踪事件があり、怪しい女が現れ、裏社会を歩き回っても、物語は決して締まらないものです。手がかりは霧散し、陰謀は重なり、真相は解決されません。
ドック=スポーテロは、マーロウの後継者のはずなのに、決定的に違う存在です。ドラッグに溺れ、感傷的で、しばしば事態を取り逃がします。それでも彼は、マーロウが体現していた都市の腐敗を嗅ぎ分ける嗅覚だけは、時代遅れの形で引き継いでいます。ドックは、マーロウの理想主義を惰性とノスタルジーで引きずっている探偵であり、過ぎ去ったカウンターカルチャーの理想の象徴です。
チャンドラーの私立探偵は、制度の外部に立つ個人でした。しかしピンチョンの時代には、外部そのものが消えています。反体制ですら体制の一部になってしまう世界で、探偵という職業はもはや批評装置として機能しないものです。にもかかわらず、ドックは探偵を続け、ここにあるのは、外部が存在したと信じたいという、最後のフィクションです。
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あらすじ
舞台は1969年の冬から1970年の夏にかけてのロサンゼルスで、マンソンファミリーの逮捕や裁判が背景です。
探偵でポットヘッド(マリファナ常用者)のラリー=スポーテッロ(ドク)は元恋人で今は不動産業界の有力者ミッキー=ウルフマンと交際しているシャスタ=フェイ=ヘップワースの訪問を受けます。シャスタによると、ミッキーの妻スローンとその恋人であるリグズ=ワーブリングはミッキーを精神病院に入れる計画をしているらしく、シャスタはミッキーを助けるよう頼みます。
しばらくしてドクを訪問してきたタリク=カーライルという男が、ミッキーのガードマンであるグレン=チャーロックの居所を探して欲しいと頼みます。タリクは刑務所に収監されていたころ、グレンに金を貸しているそうです。
ドクはミッキーの開発土地を訪れるものの、襲われて気絶します。目が覚めると彼はLAPDのクリスチャン=ビョルンセン警部(ビッグフット)に尋問され、ドクはビッグフットからグレンが何者かに射殺され、ミッキーが失踪したことをきかされます。その後ドクのもとに故コーイ=ハーリンゲンというミュージシャンの未亡人ホープ=ハリンゲンが訪れます。ホープはドクにコーイが生きているらしいという噂の調査を依頼します。
ドクはナイトクラブでコーイを発見します。調査するうちにコーイはドクに「ゴールデン・ファング(黄金の牙)」という帆船が怪しいものを輸入していて、そこにミッキーとシャスタが乗り込んだという噂を語ります。コーイはスパイ兼エージェントとして働いていて家族とコンタクトを取ることを許されていないのでした。コーイ曰く、グレンが殺された日にパック=ビーヴァートンというガードマンがグレンと交替させられており、ミッキーは自身の無慈悲な実業活動に終止符を打つ計画のために働いていたそうです。
ドクはジャポニカ=フェンウェイという裕福な家庭の不良少女と会った場所でゴールデン=ファング社の本部へ訪問のための金を出します。するとジャポニカはクリスキロドン研究所という精神病院に居ることを明かします。
ドクは研究所を訪れ、コーイ=ハーリンゲンに再会します。コーイはミッキーが何者かに捕まえられたと推測しています。さらにグレン=チャーロックへの襲撃はロス市警のために「汚れた仕事」をするという自警団によって行われたそうです。
さらにドクはパック=ビーヴァートンと悪名高い高利貸しエイドリアン=プルシアの関係に気づきます。トリリウム=フォートナイトというパックの仲間を訪れた後、ドクはパックとトリリウムの共通のパートナーであるエイナーを探しにラスベガスへ向かいます。
ベガスでドクはキズミットラウンジのマネージャーのファビアン=ファッゾと賭博をし、ミッキーが自身の失踪を偽装しようとはしていなかったという方に賭けます。そしてドクは連邦組織の建物でミッキーを見たと確信し、その後ミッキーが砂漠に慈善住宅の開発計画をしていたことをききます。ドクはその場所を訪れ、この住宅計画の建築家リグズ=ワーブリングに出会います。彼はミッキーが再教育され、計画が白紙になり、建物も壊されることを恐れているのでした。
ロサンゼルスに戻ったドクはビッグフットの元パートナー、ヴィンセント=インデリカートとパック=ビーヴァートンが仇敵だったことを知ります。エイドリアン=プルシアは非公式に警察のために働く殺し屋であり、事実上法を免れています。彼はパックに雇われ、ヴィンセントを殺したのでした。ドクはエイドリアンを訪れますが、彼はゴールデン=ファング組織の影に隠れていると言い、一方パックはグレンが黒人マフィアから武器を提供されていたので処刑されたと主張しています。
ドクは拘束され致死量に近いドラッグを服用させられたものの、逃げ出してパックとエイドリアンを殺害します。ビッグフットはヴィンセントの死についてドクに調べさせる目論見があったようで、彼はドクを救い出して、盗まれた大量のヘロインをドクに渡します。
ドクはドラッグを隠すために任務を変更し、ゴールデン=ファングの仲介者クロッカー=フェンウェイ(ジャポニカの父)とコンタクトを取ります。 ドクは依頼を整理します。コーイは任務から解放され家族の元に帰ることを許されます。
その後、ドクと弁護士のサンチョはゴールデン=ファングの帆船が港を出たことを耳にします。ゴールデン=ファングを追う沿岸警備隊は船が目的であったが、巨大な波がやってきたあとに船が乗り捨てられているのを発見します。サンチョとドクは警察に取られた帆船の権利を主張することに決めます。
ドクはファビアン=ファッゾからミッキーの賭けのことで大金を受け取ります。ドクはコーイがホープと娘のアメジストと元どおりになったことを知るのでした。




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