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ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』解説あらすじ

ジェイムズ=ジョイス
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始めに

 ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

新古典主義、神話的象徴の手法

 モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。

 『フィネガンズ・ウェイク』は、商店主ハンフリー・チップデン・エアウィッカー (HCE) 、その妻アナ・リヴィア・プルーラベル (ALP) 、その間の2人の息子シェムとショーン、娘イザベルを主人公とします。

 ハンフリーは”Here Comes Everybody “「ここにくるすべての人」で、人類の歴史に登場するさまざまな人物の象徴です。HCEはイエス・キリスト騎士トリストラム卿などを中心的象徴とします。妻の ALP もまた、ダブリンを貫流するリフィー川、トリスタンの恋人イゾルデ、すべての女性の象徴です。

 トリスタンとイゾルデの伝説は、アイルランドの王女イゾルデ、コーンウォールの騎士トリスタン、叔父のマーク王の悲劇的な三角関係を描くもので、トリスタンとイゾルデは不倫の恋をしてしまい、マーク王は悩みます。ユリシーズ』にもあった三角関係の構図を継承しています

 HCE と ALP の双子の息子は、作家のシェム・ザ・ペンマンと郵便配達員のショーン・ザ・ポストで、父親に取って代わることや妹のイッシーの愛情をめぐってライバル関係にあります。ショーンは社会の期待に従う冴えない郵便配達員、シェムは芸術家でありジョイスの分身です。

 シェムとショーンは本の中では「キャディとプリマス」、「メルシウス」と「ジャスティス」 、「ドルフとケビン」、「ジェリーとケビン」など、様々な名前で呼ばれます。2人は、オシリスの物語のセトとホルス、聖書のヤコブとエサウ、カインとアベル、聖ミカエルと悪魔、ロムルスとレムスなど、神話の兄弟の象徴です。

モダニズムと輪廻

 T=S=エリオット『荒地』の下敷きとなった文化人類学者フレイザー『金枝篇』が、ネミの森の王殺しの儀式の伝統に対して、自然の象徴である森の王が衰弱する前に殺すことで、自然の輪廻と転生のサイクルを維持するためだという解釈を与えています。ここから以降のモダニズム文学に輪廻や転生のモチーフが現れるようになりました。

 たとえばサリンジャー『ナイン=ストーリーズ』などにもその影響が伺えます。中上健次『千年の愉楽』、三島『豊饒の海』シリーズ(1.2.3.4)、押井守監督『スカイ・クロラ』などにも、モダニズムの余波としての転生モチーフが見えます。

 本作はさまざまな作品への引用が見えます。アイルランドのバラード『フィネガンズ・ウェイク』、イタリアの哲学者ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィーコの『新科学』、[エジプトの『死者の書』、シェイクスピア、聖書やコーランなどですが、その多くは「死と再生」「循環」「輪廻」という主題を持っています。

 引用されるジャンバッティスタ・ヴィーコは著書『新科学』で歴史の循環論を提唱しました。ヴィーコは文明は神の時代、英雄の時代、人間の時代の 3 つの時代が繰り返される循環で螺旋的に発展すると主張しました。神の時代の巨人たちは、人間や自然現象を比較し、理解するために隠喩に頼り、英雄の時代には換喩と提喩が、理想化された人物によって体現された封建的または君主制的な制度の発展を支え、人間の時代は民衆による民主主義と皮肉による反省によって特徴づけられ、この時代には、合理性の台頭が反省の野蛮さにつながり、文明は再び詩の時代へと下ります。歴史のサイクルはこのように螺旋状に循環しながら進化するという見通しを与えました。

 これらの考えは『フィネガンズ・ウェイク』に大きな影響を与えています。実際のところ、ヴィーコの歴史哲学は細かい抽象化のレベルでは歴史学や政治学から受け入れにくいとは思うものの、とはいえ「ある種のトレンドを繰り返しながら、時間的な蓄積の中で過去のことが因果となりながら進化、変遷する」くらいにとれば、それは文化、政治に関していいうると思いますし、ジョイス自身もそのような視点を文学の進化に認めていたと思います。

 そのような視点からジョイスは後述のパロディのスタイルを展開し、過去のテクストに言及しつつ、それに対するオマージュをささげながら、さまざまなトレンドを繰り返しながら時間的な蓄積のなかで螺旋的に進歩発展する文学史、アートワールドの特性について言及するデザインになっていてその集大成を図っています。そのような精神を反映するのが「輪廻」「死と再生」のテーマと言えます

 他にジョイスは古代エジプトのオシリスの物語と、呪文や祈祷文を集めたエジプトの『死者の書』を参照しています。『死者の書』は埋葬時に死者の復活と再生のための呪文を集めたものです。

 物語の最終章は冒頭の部分に繋がっていて、テクスト自体も「円環」「循環」「輪廻」の主題を帯びています。

一人称的視点のリアリズム、意識の流れ。プラグマティズム、現象学

 モダニズム文学に典型的な手法が意識の流れです。意識の流れという手法は、現象学や心理学を背景に、一人称的視点への構造的理解と再現を図ろうとするものです。

 ジョイス『ユリシーズ』、フォークナー『響きと怒り』、ウルフ『ダロウェイ夫人』などに見える意識の流れの手法は、現象学(フッサール、ベルクソン)、精神分析などの心理学、社会心理学、プラグマティズム的な知見を元に一人称視点のリアリズムをラディカルに押し進めたものでした。

 プルースト(『失われた時を求めて』)もベルクソンの現象学の影響で、ジョイスもデュジャルダンの『月桂樹は切られた』などの影響で、それぞれ独自の意識の流れの手法について開発し、現象的経験の時間的に連続した経過の再現を試みています。

意識の流れとは

 意識の流れというデザインで描く人間の意識の特性というのは、時間軸の中での全体論的特性です。

 例えば、人間は一人口笛を吹いている自分を発見したとき、その曲がその日目にしたドラマや映画、CMを聴いたことに由来したりするものだったりします。また、人間はコミュニケーションにおいて、相手の現在の振る舞いを観察しながら、過去の振る舞いと示し合わせてそれを解釈し、未来に相手や自分が取りうる、取るべき行動を予測し、現在の行動にフィードバックします。

 このように人間の意識的経験やそれにドライブされる行動は、時間軸の中で全体性を持っています。主観的な時間の中で過去と現在と未来とは、相互に干渉し合って全体を形作っていきます。

 過去の経験や知覚が因果になり、さながら一連の流れとも見えるように、意識的経験は展開されます。こうした主観的時間の時間論的全体性を描くのが意識の流れの手法です。

パロディ、認知言語学、記号学的な視点

 ジョイスはこの作品のためだけに、独自の多言語、イディオグロッシアを発明しました。この言語は、約60から70の世界の言語の合成語で構成されており、 複数の意味を同時に伝えることを目的とした語呂合わせや混成語やフレーズを形成しています。

 『ユリシーズ』からあった言語遊戯と特定作家に対するオマージュ、パロディの手法をさらに突き詰めている感じです。

 このようなさまざまな作家、ジャンルのパロディを展開することで、現実世界における言語的多様性を抱えつつ営まれる実践の再現を試みているとも解釈できます。トウェイン『ハックルベリ=フィンの冒険』の如く、方言などの多様なスタイルでもって綴られる作品世界は現実世界の再現として捉えられます。

 また認知言語学、記号学的な発想を汲み取ることができ、つまるところ各々の言語、作家のスタイル、ジャンルというのは積み上げられた歴史の集積物で、歴史的蓄積の中で構築された各々の言語の(メタファー、レトリックなどに見える)全体論的デザインや歴史的実践の中での変遷に着目するのがソシュール以降の記号学や認知言語学と言えますが、ジョイスやそれ以降のモダニストの他言語、ジャンル、作家パロディの実践はその歴史性へのコミットメントでありその中での合理性や機知の発現と評価できます。

物語世界

あらすじ

パート1

 舞台は「ハウス城とその周辺」(ダブリン地域)。壁を建設中に梯子から転落して死亡するダブリンの荷運び人「フィネガン」が紹介されます。 フィネガンの妻アニーは、通夜に会葬者にふるまう食事として彼の遺体を出すものの、食べられる前に彼は姿を消しました。喧嘩が起こり、ウイスキーがフィネガンの死体に飛び散り、死んだフィネガンは棺から起き上がり、ウイスキーを求めて泣き叫び、会葬者たちが彼を安らかに眠らせ、今いる場所のほうが幸せだと説得します。


 船乗りの王様が通る料金所で、逆さまにした植木鉢を棒に刺してハサミムシを捕まえようとしているチンプデンに遭遇し、船乗りの王様から「イアウィッカー」というあだ名を付けられた「ハロルドまたはハンフリー」チンプデンの物語に移ります。この名前のおかげで、イニシャル HCE で知られるようになったチンプデンは、ダブリンの社交界で「Here Comes Everybody」として有名になります。その後、ダブリン中に広まり始めた噂によって彼は落ちぶれます。フェニックスパークで2人の女の子にみだらな悪戯をした噂でした。

 フェニックス パークで HCE が「パイプをくわえた悪党」に遭遇します。悪党は HCE にゲール語で挨拶し、時刻を尋ねるものの、HCE はその質問を告発と誤解し、悪党がまだ聞いていない噂を否定することで自らを追い込みます。

 この噂はすぐにダブリン中に広まり、勢いを増して、ホスティーという人物が書いた「パース オライリーのバラッド」と呼ばれる歌に変わります。その結果、HCE は身を潜め、閉ざされたパブの門の前で、営業時間外に飲み物を探しているアメリカ人が彼を取り囲みます。 HCE は告発にも暴言にも反応せず、フェスティ キングという名前で裁判にかけられます。彼は最終的に解放され、再び潜伏します。裁判では、妻のALPが書いたHCEに関する手紙という重要な証拠が提出され、さらに詳しく調べられます。

 ALP の手紙はALP が作家である息子のシェムに口述し、配達を郵便配達員であるもう一人の息子のショーンに託したものです。手紙は目的地に届くことはなく、最終的に貝塚にたどり着き、ビディという名の雌鶏によって掘り起こされます。

 手紙の筆者である筆記者シェムは、「ショーンが弟シェムを中傷する」という内容で、この秘儀芸術家は贋作者で「偽者」であると描写し、「シェムは母親 [ALP] に守られ、母親は最後に息子を守るためにやって来ます」と続きます。

 2人の洗濯婦が、リフィー川で洗濯をしながら、夫HCEに対する告発に対するALPの反応について噂話をします。ALPは、夫に飽きたと宣言する手紙を書いたそうです。噂話はその後、彼女の若い頃の情事や性的関係に逸れ、朝刊でHCEの有罪が公表され、妻が夫の敵に復讐する話に戻ります。彼女は息子のショーン・ザ・ポストから「郵便袋」を借りて、111人の子供たちにプレゼントを届けるそうです。最後に、2人は木と石に変身し、シェムまたはショーンの物語を聞かせてほしいと頼みます。

パート2

 子供たちがゲームをしていて、このゲームでは、シェムは目を使って女の子たちが選んだ色を 3 回推測するよう要求されます。視力の悪さから答えることができなかったシェムは追放され、ショーンは女の子たちの愛情を勝ち取ります。最後に、HCE がパブから出てきて、雷のような声で子供たちを中に呼びます。

 シェムがショーンにユークリッドのやり方を指導します。シェム (ドルフ) がユークリッド図を描くのを手伝うと、ショーン(ケヴ)は自分が ALP の性器の図を描いたことに気づき、ケブはドルフを殴るものの和解します。2人は彼らは両親に打ち勝ちたいという願いで団結しています。

 HCE が接客する間、バーのラジオとテレビで 2 つの物語が放送されます。「ノルウェー人大尉と仕立て屋の娘」と「バックリーがいかにしてロシアの将軍を撃ったか」です。

 前者は、仕立て屋の娘との結婚を通じて飼い慣らされるノルウェー人大尉として HCE を描いています。後者は、バットとタフによって語られ、クリミア戦争中にイギリス軍にいたアイルランド人兵士、バックリーに撃たれるロシアの将軍として HCE が描かれています。

 後者の物語の間ずっと、HCEは ALP に階上に呼び出されていました。戻ってくるものの、バックリーが将軍を撃ったことはシェムとショーンがHCEに取って代わったことの象徴であると見る客から非難されます。この非難により、HCEは若い女の子に対する近親相姦的な欲望を含む彼の犯罪の全面的な告白を強いられます。

 最後に警官が到着し、酔っ払った客を家に帰らせ、パブは閉まり、客が夜に歌いながら消える中、酔ったHCEはバーを片付け、残されたグラスの残りを飲み込み、古代アイルランドのハイ・キング、ロリー・オコナーに変身して気絶します。

 酔って眠っているHCEの夢のなかで、トリスタンとイゾルデの旅を追跡する4人の老人(マシュー、マルコ、ルーク、ヨハネ)を描きます。マルコ王のような老人が、彼のいない未来へと船で出航する若い恋人たちから拒絶され、見捨てられる様子が描かれます。

パート3

 ショーンは再び目を覚まし、樽に乗ってリフィー川を下る途中、彼が持っている手紙の意味と内容に関する 14 の質問を投げかけられます。

  尋問の後、ショーンはバランスを崩し、彼が浮かんでいた樽が横転し、彼は後ろに転がって語り手の耳の届かないところまで行き、その後完全に視界から消えます。

 ショーンは「陽気なジョーン」として再び登場し、妹のイッシーと、聖ブリジット学校の 28 人の同級生に、長くて性的な意味合いのある説教をします。

 ショーンはしだいに退行していき、老人から大きな赤ん坊に変わり、最終的に霊媒を通して HCE の声が再び聞こえる器に変わります。

 ポーター夫妻(HCEとALP)の寝室で、子供たちのジェリーとケビン(シェムとショーン)、イザベルが 2 階で寝ていて、外が夜明けを迎えているときに、2 人が性交しようとするところで終わります。

 ジェリーは恐ろしい父親の悪夢から目覚め、ポーター夫人は性交を中断して彼を慰めます。

 彼女はベッドに戻り、パートのクライマックスで彼らの性交の終わりに雄鶏が鳴きます。

パート4

 ALP の手紙のバージョンと独白で物語を締めくくります。独白では、ALP は眠っている夫を起こそうとし、「起きなさい、フースの男よ、あなたは長い間眠っていた!」と言います。

 独白の終わりに、ALP はリフィー川のように夜明けに海に消えていきます。この本の最後の言葉は断片ですが、本の冒頭の言葉につながります。

 川沿いの最後の孤独な道は、イブとアダムを通り過ぎ、岸の曲がり角から湾の曲がり角まで、循環の広い道を通ってハウス城とその周辺に戻ります。

参考文献

・リチャード=エルマン 宮田恭子『ジェイムズ=ジョイス伝』(みすず書房.1996)

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