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大江「セヴンティーン」解説あらすじ

大江健三郎
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始めに

 大江「セヴンティーン」解説あらすじを書いていきます。

 

背景知識、語りの構造

モデルの山口二矢

 本作の語り手である「おれ」のモデルは山口二矢です。1960年10月12日、政党代表放送で演説中の日本社会党の党首浅沼稲次郎を刃物で殺害したことでしられています。山口は逮捕され、東京少年鑑別所内で縊死したのでした。

 本作は続編の『政治少年死す』に続きます。『セヴンティーン』では、暗殺事件までは描かれず、語り手のおれが、右翼的な活動に埋没するまでを描いています。また『セヴンティーン』では明確なモデルとして山口二矢を設定しておらず(そもそも発表も二矢の事件のすぐ後なので、構想の段階からモデルではなかったかもしれません)匂わせるくらいで、『政治少年死す』では明確に山口を踏まえるキャラクターになっています。

 本作に描かれるおれは結構経歴や政治思想など、たとえばノンフィクションの沢木耕太郎『テロルの決算』などに描かれる二矢と比べてみても、大胆な脚色が多く、二矢と一致しない部分も多いです。

語りの構造

 本作の語り手である「おれ」は、コンプレックスが強く、不安定な自意識を抱えています。主人公の内面はさながらポー「黒猫」「ウィリアム=ウィルソン」、ドストエフスキー『地下室の手記』などを思わせる、病的な語りを展開していきます。

 口語的でアンバランスな病的な語りは『美しいアナベル=リィ』でオマージュをささげた、ナボコフの『ロリータ』と強く重なり、独特のリズムとユーモアを感じます。

ラディカリズムへの警鐘

 本作は右翼的な少年の内面の歪みを描いたものですが、作品のベクトルとしては新左翼の暴走を描く他の作品群とも重なります。

 語り手の「おれ」は、オナニーに熱中する少年で、あいまいな政治思想を持っていて、自分へのコンプレックスや不安を強固に持っています。そこで思いがけず、右翼的な活動に巡り合い、他者を傷つけることへの大義名分や、天皇という精神的な拠り所を得たことで過激な運動に没頭し、やがて続編での暗殺へと至ります。

 大江健三郎は左翼で、それゆえ新左翼の暴走を複雑な心情で創作に描いてきましたが、新左翼の暴走も「おれ」と重なるところはあるのかもしれません。すなわちコンプレックスの強い人間が政治活動に打ち込むとき、理想や精神的よりどころをえることで自己肯定感がしばしば高められはするものの、それが利他的な感情や正義、また個人の生や自由に根差すものでない限り、間違った方へと転がりうるといえるのだと思います。

天皇制批判

 本作は天皇制を批判する内容です。大江にとって天皇制は、民主主義や公共的徳とは相容れないもので、ナショナリズムのために動員される道具にすぎず、本作でもそれについて批判的に言及します。

 本作では語り手のおれは、天皇という存在に惹きつけられたことで、誇大妄想を拗らせて、歪んだ感情をエスカレートさせてしまいます。それは利他的な動機につながらず、自分本位で利己的な積極的自由を実現する縁にしかなっていません。

 『みずから我が涙をぬぐいたまう日』に、本作の天皇批判は継承されます。

物語世界

あらすじ

 主人公「おれ」は自涜に惑溺している少年です。十七歳の誕生日の食卓で「おれ」が皇室批判や自衛隊批判を口にしたところ、自衛隊の病院で看護婦をしている姉から論駁されます。「おれ」は逆上して姉を蹴るものの後悔し、自責から逃避的に自涜をします。

 翌日は、古文の定期試験でした。試験が終わり、東大志望の優等生の連中は試験問題の論評をしています。クラスの剽軽ものの「新東宝」は試験問題を下ネタにしてクラスの女の子を笑わせています。どちらも「おれ」には疎ましいのでした。

 試験の次の時間は体育の800m走です。「新東宝」は「おれ」が密かに恋情を抱いているクラスのマドンナの杉恵美子に、マスをかくやつはすぐへたばると怪情報を流したと冗談を言います。「おれ」は他の走者より完全に遅れてゴールインし、「おれ」は走りながら失禁しており嘲笑されます。

 絶望しながら自治会をさぼって帰宅する「おれ」に「新東宝」が声をかけます。右翼の街頭演説のサクラになるよう持ちかけます。連れ立って新橋駅前にいくと街宣車の上で「皇道派」の逆木原国彦が演説をしています。「あいつらは売国奴だ 、ヘドだ 。おれは誓っていいが、あいつらを殺してやる」「諸君、自分の弱い生をまもるためにあいつらを殺しつくそう、それが正義だ」と言っていて、「おれ」はこの言葉に胸を打たれます。

 気がつくと後ろに三人組の女事務員がおり「おれ」を指差して馬鹿にします。逆木原の演説に感化された「おれ」は、怒号します。

 「おれ」は「皇道派」に入党し、家を離れ「皇道派」本部で暮らします。

「おれ」の学校での立場は180度変わります。「皇道派」のサクラを隠れてやっていたことが負い目の「新東宝」が宣伝係となって、俺の《右》としての武勇伝を学校中で広めます。「新東宝」によると、800メートル走での「おれ」の失禁の失態は 、懲罰的にランニングをさせた体育教官への「軽蔑の 《右》的表現」ということになります。

「おれ」には他人の目が怖くなくなります。逆木原に言われてトルコ風呂に行き、自分の男根に自信を持ち、天皇への畏敬と自分が天皇陛下の御子である確信を強めます。

「おれ」は逆木原の書庫で谷口雅春の 『天皇絶対論とその影響 』を読み、求めていたものをかちとります。 「《忠とは私心があってはならない》」 「天皇陛下に精神も肉体もささげつくすのだ。私心を棄てる、おれのすべてを放棄する!」「おれ」は自分が恐れた死の恐怖からまぬがれているのをさとります。逆木原が「七生報国、天皇陛下万歳」と書いてくれた稽古着で「おれ」は柔道や空手に取り組みます。

 安保闘争の国会デモでは「おれ」は十万の 《左》どもに立ちむかう二十人の皇道派青年グループの最も勇敢で最も兇暴で右よりのセヴンティーンとなります。デモで女子学生が死んで、デモ隊が黙祷していた時、「おれ」は強姦者のオルガスムを感じ、黄金の幻影にみな殺しを誓う、唯一人の至福のセヴンティーンでした。

参考文献

小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』(筑摩書房)

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