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村田沙耶香『コンビニ人間』解説あらすじ

村田沙耶香
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始めに

始めに

そろそろ芥川賞、直木賞作品の発表ですね。実は私は過去の芥川賞、直木賞作品は全て読んでいます。そこで、過去の芥川賞をとった話題作、村田沙耶香『コンビニ人間』のレビューを書いていきます。

語りの構造、背景知識

シュルレアリスムの系譜(大江健三郎、吉村萬壱)、新即物主義(ジュール=ルナール)、表現主義の系譜(本谷有希子)

 村田沙耶香はエッセイでもシュルレアリスムの系譜を継ぐ作家(大江『僕が本当に若かった頃』、吉村萬壱)、新即物主義の作家ジュール=ルナール(『にんじん』)、表現主義の系譜の作家(本谷有希子『嵐のピクニック』)への好意的な言及が見え、そこからの影響が伺えます。

 ブルトンにおけるシュルレアリスムはアウトサイダーアートであって、現実の犯罪者へ着目するなど、ブルジョワ社会の規範、モラル、法に対するアンチテーゼとして犯罪を捉える視点がありました。

 同様に本作品も、一種のアウトサイダーアートであって、社会に馴染めない等質物語世界の語り手・恵子の視点から、人間の公共圏における実践が記述されます。それこそ私淑したジュール=ルナールのような、徹底的に冷たい筆致で公共圏における人々の実践を描写します。結婚や同棲をめぐる社会的な慣習、規範的実践が、相対的に描かれます。

ASDと思われる主人公

 主人公である語り手・古倉恵子はおそらくはASDなのだろうと思わせるように描かれています。社会生活に馴染めずコンビニのアルバイトとして三〇代まで過ごし、恋愛や人付き合いも苦手としています。

 ASDに関しては進化心理学の方面でも対人関係を司るモジュールの機能不全としての仮説が唱えられています。そしてそれによって、他者の理解や共同体へのコミットメントを不得意とするため、価値的世界の中での規範的、道徳的実践の中で、異端者としてのレッテルを貼られやすいという事情があります。

 ASDに関してはADHDにおけるコンサータやストテラのようなベーシックな投薬による治療もあまりなく、自身の状態やASDの特性を理解したうえで社会へコミットメントするためのカウンセリングなどが主流です。

 主人公の恵子は、自身の生きる場所をコンビニという、コミュニケーションが全てマニュアル化されたトポスに居場所と自己実現のフィールドを見出します。ASD傾向があるため他者理解の前提としての価値評価、価値判断が平均的なパターンからの逸脱を起こしやすく、それゆえコミュニケーションの様式がマニュアルとしてシステマティックにデザインされたコンビニに、自身の居場所を見出せたのです。そこでは決められた通りに動けば不適切な振る舞いを出力しづらいからです。アドリブで適切な振る舞いの出力をできないため、暗記によって適切な振る舞いをパターンとして身につけられるコミュニティが、恵子の居場所になり得たのです。

アウトサイダーのビルドゥクスロマン

 この作品は古倉恵子の成長物語になっています。公共圏における実践にうまくコミットメントできず、社会的な責務として課される役割や振る舞いに対してストレスを感じ続けてきた恵子が、自身の選好やトポスの性質についての理解を深め、自己実現を図るプロセスが描かれます。

世間一般の人の成長と形は違っていても、そこには確かな恵子の前進が見られます。

 かような異様な成長譚としてのテイストはベケット『マーフィー』を連想します。

物語世界

あらすじ

 主人公である語り手・古倉恵子は、三十代半ばまでアルバイトを続けています。古倉は子供の頃から変わり者で、コンビニで出会う人間の真似や妹の助言で、大学生くらいに普通の人間らしく振る舞う方法を身につけました。

 古倉は元バイト仲間の白羽という男と再会します。白羽は常連の女性客にストーカー行為を働いて店を解雇されています。

 白羽の頼みにより、二人は同居生活を始めます。古倉はやがて、白羽との関係を便利なものと判断します。

 やがて古倉はコンビニを辞め就活を始めます。しかし、立ち寄ったコンビニで、店のトラブルを解消し、コンビニ店員こそが自分の生きる道であることを再認識し、白羽との関係を解消し、コンビニに復職することを心に誓います。

参考文献

・村田沙耶香『私が食べた本』(2018.朝日新聞出版社)

・Mark Polizotti”Revolution of the MInd:The Life of Andre Breton”(Black Widow pr,2009)

・『進化心理学入門 』(2005/6/1)

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