始めに
三島由紀夫『絹と明察』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ジャン=コクトー、ラディゲ流の新古典主義。シュルレアリスム
三島由紀夫は私淑したラディゲ(『ドルジェル伯の舞踏会』『肉体の悪魔』)、コクトー(『恐るべき子供たち』)流の新古典主義が特徴です。端正な線で対象を流離に描く姿勢はここでも発揮されています。
ラディゲはコクトーなどのモダニスト、シュルレアリストと親交があって、前衛的な文学的潮流と接触していたものの、本人はフランスの心理小説(コンスタン『アドルフ』、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』)やロマン主義文学(ミュッセ)に習いつつ、古典的な小説スタイルでもって小説を展開していきました。『ドルジェル伯の舞踏会』もクラシックな心理小説『クレーヴの奥方』の翻案として、王宮文学としてのメロドラマを展開します。
近江絹糸争議
本作は、1954年6月2日から9月16日にわたり、近江絹糸紡績(現オーミケンシ)で発生した近江絹糸争議をモデルにしています。
同社は自社経営の近江高等学校生徒を工員のように扱って滋賀労働基準局から摘発されたり、工員の近江高校の転校を強制したり、女子は結婚すると退社、男子も結婚すると転勤になったり、人権侵害を繰り返していました。工員の自殺や会社からの弾圧に対する抗議の自殺などもあるなど、同社の悪辣な経営スタイルは多くの犠牲者を生みました。
『絹と明察』は、保守主義者である三島由紀夫の立場から、会社側を肯定的に描いたもので、作品の描写が当時の近江絹糸紡績の実態に合致しているかというと、首をひねる部分があります。
近江絹糸紡績と駒沢紡績
近江絹糸紡績をモデルとする駒沢紡績は、近江絹糸紡績と重なる部分もありつつ、重ならない部分もあります。
本作における駒沢紡績は、その郵便物も確認して私生活にも介入して、徹底的な管理体質で労働強化をするなど、人権軽視の趣はあるものの、駒沢善次郎は善人で、社員を家族のようにとらえていて、すべては善意に基づくもので、争議による自身の追放に関しても相手を許します。実際の当時の近江絹糸紡績は人を人とも思わない人権軽視の企業でありましたが、本作における駒沢紡績は戦後の欧米由来の自由主義の価値観とは相容れないものの、日本的な情緒的家族的な会社運営を体現する共同体として描かれています。
また争議もライバル会社が送り込んだスパイの岡野の扇動的活動により引き起こされたものとして描かれていて、その岡野も最後には駒沢の人徳の前に、精神的には敗北します。
ただ、個人的には他のモデルのある『金閣寺』『宴のあと』『青の時代』と比べても、作者の伝えたいテーマのためにモデルの問題点などを美化して描いていて、ちょっとモラルとしてどうなのかと疑います。
物語世界
あらすじ
55歳の駒沢善次郎は近江の駒沢紡績の社長です。人情のひとである駒沢は日本的家族意識で、古い会社経営によって業績を伸ばし、近代的な大手紡績会社に迫る成長を遂げていました。駒沢社長は工員たちの労働条件だけでなく、その郵便物も確認し、私生活にも介入して、徹底的な管理体質で労働強化をしました。
駒沢紡績に凌駕されつつある近代的アメリカ流の経営に専念してきた他社の経営者たちは、政界財界の闇に通じる岡野を使って、駒沢紡績に労働争議を起させようとします。岡野はハイデッカー思想に傾倒し、ヘルダーリンの詩を愛唱する人物です。岡野は知り合いの40歳の芸者である菊乃を駒沢に近づけ、寮母となった菊乃から工場をスパイします。
やがて岡野は、工員同士で恋人となっていた若者こ大槻と弘子と知り合い、大槻を誘導して若い工員たちに労働争議を起させます。銀行や新聞マスコミにも岡野は圧力を加え、工員たちの争議は勝利し、駒沢紡績の体質は「封建制」「偽善」として批難されました。
会社を追われ、駒沢は脳血栓で倒れて入院します。
駒沢は家族的心情から、仇をした者をもゆるし、金戒光明寺の暁鐘を聴きつつ「四海みな我子」ととらえます。
駒沢の死後、岡野は駒沢の地位を継承するものの、軽蔑していた駒沢の人間性に惹かれていた自分に気づき、自分の周囲にある「駒沢の死」を感じます。
岡野は自分の得る利得は永久に退屈な利得につらなる予感がしたのでした。




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