始めに
チャールズ・ロバート・マチューリン『放浪者メルモス』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
マチューリンの作家性
マチューリンは、18世紀後半に流行したゴシック文学の伝統を色濃く受け継いでいます。アン=ラドクリフ、マシュー=グレゴリー=ルイスなどから影響されました。
マチューリンは聖職者でもあったため、古典的な文学や宗教詩からも強い影響を受けています。ジョン=ミルトン『失楽園』におけるサタンの造形は、『放浪者メルモス』の主人公メルモスの人物像に決定的な影響を与えました。またシェイクスピアの悲劇作品に見られる人間心理の深淵や、演劇的な独白のスタイルも継承します。
ウィリアム=ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』の影響も見て取れます。
スコットはマチューリンの才能をいち早く見抜き、批評を通じて彼を世に紹介しました。歴史的な背景を物語に組み込む手法において影響し合っています。バイロンはマチューリンの戯曲『バートラム』の公演を強力に後押ししました。バイロンが描く罪を背負った影のある英雄というモチーフは、マチューリンの創作意欲を刺激しました。
悪魔との契約
物語の中心にあるのは、悪魔と契約して150年の寿命を得たメルモスが、自分に代わってその地獄への運命を引き受けてくれる人間を探して彷徨うという構図です。メルモスは、飢餓、監禁、裏切りなど、人生のどん底にいる人々の前に現れます。どんなに過酷な状況にあっても、人は魂を売るのか、それとも尊厳を守って死ぬのかが描かれます。
マチューリン自身が聖職者でありながら、この作品ではキリスト教、特にカトリックの制度に対する激しい批判が展開されます。物語の多くは、修道院の閉鎖性や異端審問所の凄惨な拷問に割かれています。神の名を借りて行われる虐待や、信仰が狂気へと変わる瞬間を、マチューリンは容赦なく描き出しました。
宗教だけでなく、社会的な規範が人間を追い詰め、精神を破壊していく過程が大きなテーマとなっています。
主人公であるメルモスは、邪悪でありながら同時に深い哀愁を帯びた存在として描かれます。 誰とも結ばれず、死ぬことも許されず、ただ他人の不幸を観察し続けるしかないメルモスの孤独は、読者に奇妙な共感を抱かせます。人間を超越した力を持ちながら、誰一人救うことができず、自らも救われない。この美しき怪物的なキャラクター像は、後の吸血鬼文学やロマン主義文学に多大な影響を与えました。
語りの構造
この小説は、物語の中に別の物語があり、さらにその中に、という複雑な入れ子構造をしています。
17世紀から19世紀へ、アイルランドからスペイン、インドへと舞台が移り変わることで、いつの時代、どこの場所でも、人間は苦しみ、他者を虐げているという普遍的な絶望を表現しています。読者はバラバラな手記や告白を読み進めることで、メルモスという存在の影を追い、世界全体の歪みを突きつけられることになります。
物語世界
あらすじ
物語は、19世紀初頭のアイルランドから始まります。アイルランドの大学生ジョン=メルモスは、死にゆく伯父を看取るために古い屋敷を訪れます。そこで彼は、150年以上前の日付が記された不気味な先祖の肖像画と、古びた手記を見つけます。その手記には、時間を超えて現れる謎の男放浪者メルモスに翻弄された人々の記録が綴られていました。
肖像画の主、先祖のメルモスは、かつて知的好奇心と野心ゆえに悪魔と契約し、150年の寿命と超自然的な力を手に入れました。しかし、その対価は死後、永遠に地獄で苦しむことでした。彼が地獄を免れる方法はただ一つ。自分以上に絶望している人間を見つけ、その者に契約(呪い)を譲り渡すことです。
メルモスは150年の間、世界中を彷徨い、地獄のような苦しみの中にいる人々の前に現れます。魂を渡せば、この苦境から救ってやろうと耳打ちするためです。狂人病院の虜囚、異端審問所の犠牲者、無人島の少女など。メルモスは、彼らがあまりの苦しさに、魂を売ってでも逃げ出したいと願う瞬間を狙います。しかしどの物語の人物も極限の絶望の中でメルモスの誘いを拒絶します。
そして1816年。契約の期限が切れるその時、メルモスはアイルランドの屋敷に、疲れ果てた姿で戻ってきます。彼はジョンに対し、自分がいかに孤独で、誰一人として契約を代わってくれる者がいなかったかを悟り、自らの運命を受け入れます。
ある夜、屋敷から恐ろしい叫び声が響き渡り、翌朝、崖の下にはメルモスの遺体はなく、ただ彼が身につけていたスカーフだけが残されていました。




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