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ブレヒト『三文オペラ』解説あらすじ

ベルトルト=ブレヒト
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始めに

 ブレヒト『三文オペラ』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

ドイツ表現主義

 ブレヒトはドイツ表現主義を代表する作家です。フランク=ヴェーデキント、ゲオルク=ビューヒナー、エルヴィン=ピスカトールなどからの影響が大きく、全体的にリアリズム、バロックな発見的機知などをそこから継承します。

 加えて、マルクス主義からの影響が大きく、テーマ性はそこからの影響が大きいです。

叙事演劇

 ベルトルト=ブレヒトは叙事演劇を提唱しました。これは複数芸術である演劇において、具体的な事例を成立するプロセスに関する演出理論です。複数芸術とは、ビデオゲームや演劇など、観客の直接の経験となる事例の創造になんらかの手続きを必要とし、また事例が複数ありうる芸術ジャンルです。それと対照的なのが事例が一つに固定された単数芸術で、小説、映画、絵画、彫刻など多くの芸術をはらむものです。

 そして、ブレヒト叙事演劇は演劇において戯曲や演出に対して俳優が抱く違和感や態度を、演出に取り入れようとするものと言えます。

 ブレヒトの叙事演劇は、俳優が与えられた役になりきるのではなくて、それに対する違和感や相対的な意識を演技に取り入れ、それによって観客の側にも、周知の存在が新しいかたちで発見されたり伝統的なあり方を問い直されるという効果(=異化)を生むことにありました

 本作も、そのようなコンセプトで、論争的なテーマをはらんでいます。

マルクス主義的テーマ

 ブレヒトは左派で、マルクス主義者でした。そのため、それと通底するテーマが本作にあります。

​ 貧困層や犯罪者にとって、高尚な道徳や倫理は「腹が満たされている者」の特権に過ぎないという主張や、社会のルールを守れるのは、それを守る余裕がある人間だけだという、当時の資本主義社会への痛烈な皮肉が込められています。「銀行を襲うことよりも、銀行を設立することの方が大きな犯罪ではないか?」という本作の問いは有名です。

 主人公のマクヒース(泥棒)も、ピーチャム(乞食の親玉)も、自分たちの行為を「効率的なビジネス」として捉えています。また、警察署長タイガー=ブラウンと泥棒が癒着している様子を描くことで、法や権力の資本との結びつきを批判的に描きます。

​デウス・エクス・マキナ的ハッピーエンドの問題劇

 主人公のマクヒース(マック)は悪党ですが、彼を追い詰めるピーチャムは乞食を組織化してピンハネするという、より洗練された(=ブルジョワ的な)搾取者です。ピーチャムは自分の利益のために「道徳」や「法」を巧みに操ります。彼にとって、マックを絞首台に送るのは正義のためではなく、自分のビジネスを邪魔する目障りな競合相手を排除するためです。


​ 結局、マックが逃げ切れるか捕まるかは、彼自身の罪の重さではなく、権力者や資本家にとって彼が利用価値があるか、あるいは邪魔かという力関係だけで決まってしまいます。


​ ​物語の結末、処刑寸前のマックのもとに「国王の使者」が馬に乗って現れ、特赦と貴族の称号まで与えるという、あまりにもご都合主義なデウス・エクス・マキナ的ハッピーエンディングを迎えます。観客はこういう安っぽいハッピーエンドがお望みなんだという、当時の大衆演劇やブルジョワ的感性に対する風刺(異化効果)でもあります。


​ マックが救われたのは、彼が善人になったからではなく、「物語を強引にハッピーエンドにする」という劇界のルール(ブルジョワの嗜好)に従っただけなのです。

ジョン=ゲイ『乞食のオペラ』

 ジョン=ゲイ​『乞食のオペラ』が本作の元ネタです。

 
 『乞食のオペラ』は​当時のイギリスの腐敗した政治家(ウォルポール首相など)や貴族を、中身は泥棒と変わらないぜと揶揄する風刺劇でした。​風刺の対象はあくまで特定の悪い特権階級です。


​『三文オペラ』では、​ターゲットは特定の個人ではなく、資本主義という仕組みそのものです。​泥棒も乞食の親玉も、効率的な経営を考えるビジネスマンとして描かれます。犯罪が個人の悪徳ではなく、ビジネスになってしまっている社会の不気味さを描きました。


​ どちらも最後は処刑をやめてハッピーエンドになるというデウス・エクス・マキナへの風刺的、メタ的な終わり方をしますが、『乞食のオペラ』 では、ハッピーエンドじゃないと観客が納得しないという、当時の流行(イタリアンオペラ)へのジャンルパロディです。


 『三文オペラ』ではマルクス主義的階級批判が前面に出てきて、​現実にはありえない救済を派手に見せつけることで、観客に現実の残酷さとのコントラストを浮き彫りにし、観客が安住するブルジョワ社会への風刺を展開します。

物語世界

あらすじ

第1幕

 物語はジョナサン=ピーチャムの店から始まります。ピーチャムはロンドン中の乞食達を牛耳る元締めで、乞食としての訓練を施す見返りとして物乞いで得た金の上前をはねて稼いでいます。

 新顔の乞食フィルチがピーチャムの縄張りで物乞いをしていたところ絞り上げられ、彼の口利きで物乞いをさせてもらう代わりに稼ぎの半分を彼に収める羽目になります。

 ふと、ピーチャムは娘のポーリーが前の晩、家に帰らなかった事に気づきます。ピーチャムは娘がメッキーと付き合っている事に気づき、そして娘を自分の所有物の様に考える彼は二人の間を裂き、メッキーを葬ろうとします。

 場面は変わり、メッキーが自分のアジトでポーリーとの結婚の準備をしています。ここにはメッキーと彼の手下が盗んだ食べ物、家具、装飾品が揃っています。誓いの言葉は交わさないが、それでもポーリーは満足です。

 皆が宴の席に着きます。そこに警視総監のタイガー=ブラウンが現れ、手下達は驚くもののこれも宴の一部でしあ。ブラウンはかつてイングランドの植民地戦争でメッキーを支え、数年に渡りメッキーが逮捕を逃れる手助けをしていました。

 家に帰ったポーリーは反抗的な態度でメッキーとの結婚を宣言します。彼女は両親の咎めに感情的になり、うかつにもメッキーとブラウンの関係を漏らしてしまうのでした。

第2幕

 ポーリーはメッキーに父親が彼を逮捕させようと企んでいると警告します。メッキーはピーチャムの影響力を知りロンドンを離れる計画を立て、不在中ポーリーが仕事を仕切れる様に彼のビジネスの一部始終を教えます。

 街を離れる前にメッキーは行きつけの売春宿に寄り、そこでかつての恋人ジェニーと再会します。彼らは一緒にかつての日々に想いをはせるものの、ジェニーはメッキーのことを垂れ込むようにピーチャムに買収されていました。そしてメッキーは逮捕されます。

 ポーリーはメッキーのかつての恋人ルーシー=ブラウン(タイガー=ブラウンの娘)と鉢合わせとなり二人は激しいなじりあいとなります。その後、ルーシーはメッキーの脱獄を手助けします。

 これを知ったピーチャムはブラウンに迫り、メッキーを逮捕しなければ、女王の戴冠式のパレードの最中にロンドン中の乞食を集めてデモ行進をすると脅迫します。

第3幕

 ジェニーがピーチャムの元を訪ね、メッキーを垂れ込んだ報酬を要求するものの、ピーチャム夫人は払おうとしません。ジェニーはメッキーがスーキー=ダウドリーの家にいる事を漏らします。

 ブラウンがスーキーの家に着く頃にはデモ行進の準備がすっかり整い、恐れをなしたブラウンにはメッキーを逮捕、処刑するしか選択肢はありません。

 監獄に戻ったメッキーは絞首台の準備が進む中、出獄するための賄賂の金をかき集めようとします。ポーリーにも手下達にも、それだけの金を工面することは難しく、またそのつもりもない事を知り、メッキーは死を覚悟します。

 メッキーは自分の運命を嘆き、マルクス主義者の如く自問します。「泥棒と株を買うことは何が違うのか?」「銀行を襲うのと銀行を作ることの違いは何なのか?」「人殺しと人を雇う事の違いは?」メッキーは皆に赦しを乞います。

 ここで突然ピーチャムが「このオペラでは正義よりも慈悲が重んじられるのだ」と宣言します。ブラウンがメッセンジャーとして馬にまたがって現れ、メッキーが女王より恩赦を与えられ、称号と城を与えられたと告げます。そして最後は全員で懇願します。「人生はこんなにも厳しい、悪事には寛容であれ」

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