始めに
フィリップ・ロス『さようならコロンバス』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ロスの作家性
ロスが最も直接的で巨大な影響を与えたのが、少し上の世代のユダヤ系作家たちでした。ソール=ベローはロスにとって最大の英雄であり、師とも呼べる存在です。話し言葉と知的な文体を融合させた、活力ある文体は、ロスの初期から中期の文体に決定的な影響を与えました。マラマッドのユダヤ人のアイデンティティや苦悩を道徳的な文脈で描く手法は、ロスの『さようなら、コロンバス』などに影響を与えました。
ロスの作品における変身や不条理な罪悪感のテーマはカフカの影響が見えます。短編『乳房』はカフカの『変身』のパロディであり、後年の『プラハの狂女』などでもカフカへの執着が描かれています。
ロスの文体における精密さと、芸術に対する厳格な姿勢はフローベールから来ており、『ボヴァリー夫人』を熱愛しました。
アメリカ社会に潜む罪やピューリタン的禁欲主義への関心は、ホーソーンの系譜を継いでいます。特に『アメリカン・パストラル』などの「アメリカ三部作」には、その影が色濃く反映されています。また初期のロスは、ジェイムズのような緻密な心理描写と構成を模範としていました。
階級、属性。タイトルの意味
テーマは、持てる者と持たざる者の衝突です。ニールはニューアークの貧しい地区に住み、図書館で働く労働者階級、ブレンダはその恋人で、高級住宅地ショートヒルズに住み、父親がビジネスで成功した富裕層です。同じユダヤ系という背景を持ちながらも、住む場所、使う言葉、果ては冷蔵庫の中身に至るまで、埋められない溝があることを冷徹に描き出しました。戦後アメリカにおいて、ユダヤ系移民が成功を収め中流階級へと仲間入りしていくアカルチュレーションが描かれています。
ブレンダとその兄が受けた整形手術は、ユダヤ的な特徴を消し、よりアメリカ人らしく見せるための同化の象徴です。豊かさを手に入れる一方で、かつての苦労や宗教的文化的なアイデンティティが希薄になっていくことへの皮肉と哀愁が込められています。
ニールがブレンダを愛しているのか、それとも彼女が象徴する裕福で洗練された生活を愛しているのか、という問いが常に付きまといます。ニールはブレンダの家族のライフスタイルに惹かれつつも、同時にその俗物的な価値観を軽蔑しています。この憧れと嫌悪のアンビバレンスが、若者らしい自意識の過剰さと相まって、物語に独特の緊張感を与えています。
タイトルの「コロンバス」は、ブレンダの兄ロンが卒業したオハイオ州立大学(所在地がコロンバス市)への郷愁を指していますが、同時にアメリカ大陸を発見したコロンブスにもかかっています。ニールにとってブレンダとの恋は、未知の豊かな世界への発見の旅でしたが、最後にはその世界に自分の居場所がないことを悟り、その幻想にさようならを告げます。
物語世界
あらすじ
舞台は1950年代、ニュージャージー州。主人公のニール=クルーグマンは、ニューアークのしがない図書館員として働く貧しい青年。彼はある日、叔母の家の近所のカントリークラブで、富裕層の令嬢ブレンダ=パティムキンに出会い、一目で恋に落ちます。
ニールは労働者階級のユダヤ系、一方のブレンダはパティムキン=キッチン=シンクという会社を経営し、成功を収めた成り上がりのユダヤ系富豪。住む世界が違う二人でしたが、夏の間、ニールはブレンダに誘われ、彼女の家族が暮らす豪邸で過ごすことになります。
ニールは、ブレンダの家族の圧倒的な豊かさに驚愕し、同時に圧倒されます。食べ物で溢れかえる大きな冷蔵庫、贅沢なスポーツ、鼻の形をアメリカ人らしく変えたブレンダの整形手術。ニールはブレンダを深く愛しながらも、彼女の家族が持つ俗物的な価値観や、金で全てを解決しようとする姿勢に、言いようのない苛立ちと疎外感を覚えるようになります。
ニールは、二人の関係をより深いものにするため、また彼女が自分に従順であることを確認するために、ブレンダに避妊具を買うよう強く勧めます。最初は嫌がっていたブレンダも、最終的にはそれを受け入れます。
その後、ブレンダの兄ロンの結婚式が終わった後、ブレンダは大学のあるボストンへと戻り、ニールは彼女を追ってホテルで密会します。
しかし、そこで衝撃的な事実が発覚します。ブレンダが家に忘れていった避妊具を、彼女の母親が発見してしまったのです。
激怒した両親からの手紙を読み、ブレンダはニールを責めます。ニールはわざと見つかるように置いたのではないか(家族との縁を切る勇気がなかったのではないか)と彼女を問い詰めます。
結局、ブレンダは家族の庇護を捨てることはできず、二人の恋はあっけなく幕を閉じます。ニールは一人、図書館のあるニューアークへと戻り、鏡に映る自分を見つめながら、あの夏のきらめきに別れを告げるのでした。




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