始めに
クライスト『こわれがめ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
クライストの作家性
クライストの人生を決定づけたのは、哲学者カントの思想との出会いです。これを「カント危機」と呼びます。カントの『純粋理性批判』などを読み、人間は物事の真理をありのままに認識することはできないという結論に達し、激しい絶望に陥りました。 彼の作品の多くで、登場人物が真実だと思っていたことが実は違ったという状況に混乱し、崩壊していくのはこの哲学的な不安が根底にあります。
若き日のクライストは、ルソーの「自然に帰れ」という思想に強く共鳴しました。文明社会の虚飾を嫌い、スイスの島で農耕生活をして自給自足の暮らしをしようと試みたりもしています。
ヴィーラントは当時のドイツ文学界の大御所であり、若きクライストの才能をいち早く見抜いた人物です。
クライストの劇作における劇的な構成や、人間のドロドロとした内面、残酷なまでの運命の変転は、シェイクスピアの影響が色濃いです。当時のドイツではシュトゥルム・ウント・ドラングの流れを汲んでシェイクスピアが神格化されており、クライストもその洗礼を受けています。
カント危機とタイトルの意味
作品の核心は客観的な真実など存在するのかという問いです。犯人である裁判官アダムが、自分自身の罪を裁かなければならないという究極の皮肉が描かれます。 登場人物たちはそれぞれ自分が見たものを主張しますが、記憶は曖昧で、言葉は誤解を生み、真実は断片化されていきます。これはクライストが抱いていた「カント危機」の喜劇的な表現でもあります。
タイトルにもなっている「こわれがめ」は、単なる器以上の意味を持ちます。割れたかめは、ヒロインのエーファの「失われた処女」のメタファーです。かめが割れたことで、彼女の名誉と結婚の約束が危機に瀕します。またかめにはオランダの歴史的な場面が描かれていました。それが粉々になることは、権威や歴史という確固たる虚飾の崩壊を暗示しています。
裁判官の名前が「アダム」であることは非常に象徴的です。彼は裁判官という公的な権威でありながら、性欲や自己保身という私的な欲望にまみれています。最後にアダムが正体を暴かれ、窓から逃げ出す姿は、エデンの園を追われたアダムのパロディです。クライストは、正義を司る者でさえも逃れられない人間の業を描きました。
この劇では、アダムがいかに言葉を使って真実を煙に巻くかというプロセスが延々と描かれます。饒舌な言い訳、論理のすり替え、証人への威嚇など、言葉は真実を伝えるためではなく、真実を隠すために使われるという側面を暴いています。
神話パロディ
本作は「アダムとイヴ」の楽園追放と「オイディプス王」の悲劇を皮肉たっぷりに風刺しています。
この作品は、聖書的なモチーフをこれでもかと詰め込んでいます。主人公の悪徳判事の名前はアダム。そして、彼が夜這いをかけようとした娘の名前はエヴァ(イヴ)です。アダム判事はエヴァの部屋から逃げ出す際に窓から飛び降り、顔を怪我して足を引きずっています。これは人類の堕落を物理的な「落下」として茶化しているのです。壊された「かめ」は、エヴァの処女(純潔)や、それまでの平穏な秩序が壊れたことの象徴です。
ソフォクレスの『オイディプス王』は、犯人を追う者が、実は自分自身が犯人だと気づくという構造ですが、クライストはこれを喜劇として再構築しました。オイディプスは真実を知るために自分を追い詰めますが、アダム判事はいかに真実を隠蔽しながら裁判を進めるかに全力を注ぎます。オイディプス(腫れ足)と同様に、アダムも逃走時の怪我で足を引きずっています。高貴な悲劇の印であるはずの身体的特徴が、ここでは悪事の証拠という情けない記号に成り下がっています。
物語世界
あらすじ
舞台はオランダの田舎町。物語は、裁判官アダムが全身傷だらけで朝を迎えるシーンから始まります。
村の未亡人マルテ夫人が、家宝の大切な水がめを壊されたと訴え出てきます。彼女は、娘エーファの部屋に夜這いに来た婚約者ルプレヒトが犯人だと主張し、彼を訴えます。
しかし、裁判を仕切るアダムは気が気ではありません。なぜなら、昨夜エーファの部屋に忍び込み、逃げる際にかめを割り、窓から飛び降りて傷を負った真犯人はアダム自身だからです。
さらに運の悪いことに、その日は上局から監査官のヴァルターが抜き打ち検査に来ていました。アダムは、ヴァルターの目の前で「公正な裁判」を演出しつつ、なんとかルプレヒトを犯人に仕立て上げようと、めちゃくちゃな論理で裁判を誘導します。
自分の顔の傷は「ベッドから落ちた」、失くしたカツラは「ネコが子供を産み落として汚した」など、無理のある嘘を重ねます。
裁判が進むにつれ、目撃者の証言からカツラを被った怪しい人物が現場にいたことが判明します。さらには、現場に落ちていたアダムのカツラまで持ち出され、言い逃れができない状況に追い込まれていきます。
エーファはアダムに弱みを握られていた(婚約者が兵隊に取られないようにしてやるという嘘の約束)ため黙っていましたが、ルプレヒトが犯人にされそうになったところで、ついに真実を暴露します。
正体がバレたアダムは、法衣を脱ぎ捨てて窓から逃走。村中から失笑を買う中で幕が閉じます。最終的に、誤解が解けたエーファとルプレヒトは仲直りし、監査官ヴァルターが事態を収拾します。




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