始めに
堀辰雄『聖家族』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
モダニズムと象徴主義
堀辰雄は広くモダニズムや象徴主義、ロマン主義の作家から影響を受けました。師匠筋の芥川龍之介のほか、萩原朔太郎、ジャン=コクトー、レイモン=ラディゲ、メリメ、スタンダール、ジッド、ポール=ヴァレリー、リルケ、ボードレール、プルースト、アポリネール、ジョイスなどからの影響があります。
またショーペンハウアー、ニーチェなど、ドイツ観念論の思想家の影響も大きいです。
作家性の傾向としては、ラディゲや後輩の三島由紀夫とか、カポーティみたいな感じで、モダニズムの反俗的、反ブルジョワ的なコンセプトは継承しつつ、スタイルとしては古典的なスタイルを採用する印象が顕著です。
本作もラディゲ的な、クラシックな心理主義的な描写が見どころです。
モデル
『聖家族』の主人公扁理は堀辰雄自身で、扁理が師事していた九鬼のモデルは芥川龍之介です。
九鬼の恋人細木夫人のモデルは、片山広子(松村みね子)で、彼女の娘の片山総子が絹子のモデルです。堀は総子に片想いしていました。
踊り子のモデルは、浅草カジノ・フォーリーのレビューの踊り子春野芳子とされます。
ラファエロ『聖家族』
タイトルはラファエロ『聖家族』に由来します。
ラファエロはそこにおいて、室内で幼児キリストを抱きかかえる聖母マリアとその隣で杖を突く聖ヨセフを描いています。
本作では、聖母マリアを細木夫人、キリストを絹子が象徴しています。またおそらくは、ヨセフにあたるのが九鬼といえます。
細木と九鬼、そして絹子と扁理の複雑な三角関係の構図を、『聖家族』に象徴させます。
物語世界
あらすじ
3月のある日、九鬼の告別式に向う車や群集で道が混雑する中、一人の美しい貴婦人が車から降ります。河野扁理はその女性が、細木夫人だとわかります。
細木夫人はやがて扁理のことを思い出します。数年前に軽井沢のマンペイ=ホテルで、九鬼と会った際に彼の傍らにいた15歳の少年が河野扁理でした。細木夫人は、成長した扁理を、九鬼を裏がえしにしたような青年だ、と感じます。
九鬼の死後、扁理は遺族から頼まれて彼の蔵書の整理をしました。メリメの書簡集に、何か古い、女の筆跡の手紙の切れはしがありました。それから「どちらが相手をより多く苦しますことが出来るか、私たちは試して見ましょう」という文句を繰り返すようになったのでした。
扁理のアパートに細木夫人の手紙が届き、その字は本に挟まっていた紙の文字と似ていました。夫人の家での二度目の面会で、九鬼と細木の相愛を扁理は意識します。夫人には絹子という娘がありました。夫人は、絹子が古本屋で、九鬼という蔵書印のあるラファエロの画集を見つけたことを話します。扁理は、それを売ってしまったのは自分だと、彼女たちに伝えます。
ある晩、扁理の夢の中に九鬼が現れ。九鬼は画集を扁理に渡し、ラファエロの聖家族らしき絵を示します。その画のなかの聖母の顔は細木夫人のようでもあるし、幼児のそれは絹子のようでした。目を覚ますと、枕元に細木夫人からの封筒があり、「ラファエロの画集を買い戻しなさい」という手紙と、一枚の為替がありました。
細木夫人は買い戻した画集をめくりながら、九鬼の煙草の匂いを嗅ぎます。やがて絹子は、自分の母の眼を通して扁理を見つめます。彼の中に、母が見ているように、九鬼を見たのでした。絹子と同じように扁理も、彼女に惹かれるものの、自分もまた九鬼のように傷つけられないうちに、彼女たちから早く遠ざかってしまった方がいいと考えます。
扁理はカジノで会った踊り子と付き合いだします。ある日、細木夫人と絹子は公園をドライブ中、女と歩いている扁理を見たものの、母子は気づかないふりをします。扁理の友人の斯波から、女の素性がただの踊り子だと聞くまで、絹子は嫉妬に悩みます。
細木家を訪問した扁理は、一年ほど旅行に出ると告げます。踊り子との偽りの関係に疲れた扁理は出発します。
海辺の町を歩きながら、扁理は九鬼も今の自分と同じような苦痛を感じていた気がします。扁理は自分の裏側にたえず死んだ九鬼が生きているのを感じます。
扁理の出発後、絹子は病気になります。
海岸の町に滞在している扁理の絵はがきが来ます。絹子は母に、扁理が死ぬのではないかと問います。夫人は娘を見つめながら、絹子が扁理を愛していることを確信します。夫人は娘の問いを否定し、「…それはあの方には九鬼さんが憑ついていなさるかも知れないわ。けれども、そのために反ってあの方は救われるのじゃなくって?」と答えます。
絹子は母を見上げていたものの、やがてその少女の眼差しは、古画の幼児キリストに似てゆくように思われます。
参考文献
・竹内 清己 (著)『堀辰雄: 人と文学』



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