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綱淵謙錠『斬』解説あらすじ

た行の作家
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はじめに

綱淵謙錠『斬』解説あらすじを書いていきます。

語りの構造、背景知識

T.S.エリオットのモダニズムなどの影響

 綱淵謙錠は編集者で、やがて小説をものしました。

 新潮社にて谷崎潤一郎の担当になるなどし、1960年には尊敬しているモダニズム作家エリオット全集を出し、子母澤寛「蝦夷物語」「逃げ水」などにも関わります。

 その他長谷川伸や海音寺潮五郎の史伝的作品にも関心を寄せました。

 傾向として、モダニズムからの影響と、歴史小説、史伝からの影響があります。

モダニズムと歴史小説

 フレイザー『金枝篇』がT=S=エリオット『荒地』に導入されて以降、作家は語りの手法に民俗学、社会学的アプローチをも積極的に取り入れるようになっていきました。

 特に本作でも用いられているアナール学派的な、中央の事件史に抗する心性史としての歴史記述のアプローチは、ポストコロニアルな主題を孕みつつ、ガルシア=マルケス『族長の秋』『百年の孤独』などラテンアメリカ文学などとモードを共有します。

 旧来的な中央の事件史としての歴史記述においては、歴史の構造的理解に欠き、そこから捨象される要素が大きすぎましたが、アナール学派は特定のトポスに焦点を当てたり、ミクロなアクターの視点に注目したりして、歴史の構造的把握と、歴史を構成するアクターの単位の修正を図りました。

 本作もブローデル『地中海』などと同様に、歴史の中の特定のトポスや存在に焦点を当てながら歴史を記述しようとします。編集を担当した谷崎『台所太平記』などとも重なるコンセプトです。

日本の夜明けと山田家の斜陽

 本作は日本の夜明けである明治維新のなかで、斜陽を迎えた山田一族に焦点を当てて、同時代を描きます。

 「首斬り浅右衛門」の異名で恐れられ、七代二百五十年に渡り世襲として罪人の首を切り続けた山田家の一族でしたが、明治政府により試し切りが禁止され、最終的に1882年に斬首刑が廃止されたことで、「首斬り浅右衛門」の歴史に終止符がうたれます。

物語世界

あらすじ

 「首斬り浅右衛門」の異名で恐れられ、七代二百五十年に渡り世襲として罪人の首を切り続けた山田家の一族。

 1869年の2、3月頃に東京府では、試し斬りが差し止められます。収入源を失うことを危惧した山田浅右衛門は、同年6月に試し斬りの継続を求めた嘆願書を提出するものの、1870年4月15日には太政官布告により、刑死者の試し斬りと人胆などの取り扱いが禁止されます。

 1880年には旧刑法の制定により、死刑は絞首刑となります。翌1881年7月27日に市ヶ谷監獄にて強盗目的で一家4人を殺害した岩尾竹次郎、川口国蔵の2人の死刑執行が、日本最後の、山田浅右衛門による最後の斬首刑となります。

 1882年には刑法が施行され、斬首刑は廃止されます。吉豊は1874年に斬役職務を解かれ、吉亮も1881年に斬役から市ヶ谷監獄の書記となり、翌年退職します。

 「人斬り浅右衛門」としての山田浅右衛門家は消滅したのでした。

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