はじめに
李良枝『由熙』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
私小説として
作者の李良枝は、在日韓国人であって、そうした伝記的な背景が前提になっています。
本作は在日韓国人の由煕が留学先の韓国で味わった孤独をテーマにしています。
フォースター的な異文化理解のドラマ
本作はジェイムズ(『使者たち』)やE.M.フォースター(『インドへの道』)作品のような、異文化理解を巡る作品になっています。
イギリスにはグランドツアーという慣行がありました。イギリスからフランス、イタリアなどの文化的先進地へ旅行して、他者や異文化を知るものでした。フォースターやジェイムズ(アメリカの作家ですが)も、ヨーロッパやその他海外への「グランドツアー」を通じて国際的な視点を養い、創作の背景としていきました。
本作に描かれるのは、言語の壁が齎す異文化理解の困難さです。こうしたテーマを題材とする作品は珍しいので、新鮮な感動を得られます。
由熙と私
「由熙」というタイトルですが、語り手は由熙ではなく、由熙のホームステイ先の「私」という韓国人女性です。
「私」は由熙の性格にシンパシーを感じるものの、同じ「韓国人」でありながら日本語にとらわれて、韓国にとって外国人であるところの由熙に違和感を感じ、すれ違っていきます。
由熙も同様に、在日韓国人であって韓国にルーツを持つものの、言語や民族という障壁に拒まれ、いずれの故郷にとっても他者であるところの自分を強く意識し苦悩し、やがては日本に帰国します。
問い直される私のナショナリズム
本作ではまた、由煕と同様に「私」のナショナリズムも問い直されていきます。
私は、由煕が日本語の本ばかり読んでいて、韓国のネガティブな側面にばかり着目すると捉えて由煕を批判的に捉えるようになり、由煕とすれ違っていきます。
由煕が韓国という外国に触れて戸惑ったように、私も由煕という外国人に戸惑いを覚えます。最初は由煕という個人の人柄に惹かれていたはずなのに、韓国人としての規範と理想を彼女に押し付けようとしてしまい、「普通の韓国人」になれない由煕を異端者として否定的に捉えてしまって、由煕という個人を認められなくなってしまう私の心理が描かれていきます。
物語世界
あらすじ
「私」と叔母のもとに、下宿生として日本から在日韓国人での女子学生である由熙がやってきます。「私」は 三十代の韓国人女性で、由熙に親近感を抱き、また由熙の神経質さと内向性にシンパシーを感じ、由熙を見守ります。叔母も当初は日本から来た由熙を警戒していたものの、飾らない真面目な性格に好感を持ちます。
しかし「私」は、由熙の韓国語が未熟なこと、由熙が外国人留学生枠で韓国の名門大学に入ったこと、日本語の本ばかり読んでいること、韓国の悪い面ばかり見ていることなどから、由熙とすれ違います。同じ民族でありつつ日本語にとらわれる由熙に違和感を抱き、日本人を嫌悪する叔母にまで民族主義者と言われます。
やがて由熙は韓国の大学を中退して帰国、その後も「私」は由熙が忘れられず、彼女が残していったレポートなどを読みながら思いを馳せるのでした。




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