始めに
大西巨人『神聖喜劇』解説あらすじを書いていきます。
背景知識
マルクス主義
大西巨人はマルクス主義、社会主義を代表する左翼作家です。
本作も左翼作家の野間宏『真空地帯』への異議申しだてとして書かれたことがよく知られます。そこにおいて資本主義における抑圧的社会である日本の縮図としての軍隊が描けてないとして、本作ではそうした要素を描こうとしました。
終盤の展開に見られる通り、軍隊というものは資本主義社会、階級社会の象徴で、主人公の宿敵である上官の大前田も勤務中の規則違反で逮捕され、結局は上位の権力に搾取される存在にすぎないことが描かれます。
語りの構造
語りの構造としては、等質物語世界の語り手の東堂太郎が設定され、彼の超人的な記憶力のなかで、さまざまな近世や古代文学の引用などが展開されていきます。
近い構造を持っているのはメルヴィル『白鯨』、ヘンリー=ミラー『北回帰線』『南回帰線』、スターン『トリストラム・シャンディ』などです。いずれも、等質物語世界の語り手を設定し、その内的混沌が描かれ、百科全書的な知の体系が作品のなかに描かれていきます。
語り手は、アートワールドのなかの既存のテクストの歴史的実践の体系と意識のなかで対話し、自己の伝記的生とすり合わせるなかでそれを解釈し、理不尽な外の世界と争おうとします。
新古典主義、神話的象徴の手法
モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。
例えば『ユリシーズ』では冴えない中年の広告取りレオポルド=ブルームを中心に、ダブリンの1904年6月16日を様々な文体で描きます。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスに由来し、物語全体はホメロスの『オデュッセイア』と対応関係を持っています。テレマコスの象徴となる青年スティーブン=ディーダラス、オデュッセウスの象徴としてのレオポルド=ブルーム、ペネロペイアの象徴としての妻モリーのほか、さまざまな象徴が展開されます。
本作も、同様に、ダンテ『神曲』を作品の中心的象徴にします。ジョイスも『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』で『神曲』の影響がうかがえますが、本作もそれと重なります。
ダンテ『神曲』オマージュ
題名はダンテ=アリギエーリの『神曲』原題からとったものです。
『神曲』はルネサンス文学の代表格で、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、長編叙事詩です。
この『神曲』の地獄と煉獄めぐりのパートを踏まえて、地獄や煉獄の象徴としての軍隊における、語り手の東堂太郎によるその魂を賭けた戦いが展開される『神聖喜劇』になっています。
ただ惜しむらくは、地獄篇、煉獄篇の先の天国篇的な落としどころをうまく見つけられなかった印象がするというか、傑作とは思うものの最後の展開は、この長編の落としどころとしては野間『真空地帯』と変わらないくらいこじんまりとしていて尻すぼみです。
この『神曲』を踏まえるものには、ゲーテ『ファウスト』、ジョイス『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』、大江健三郎『懐かしい年への手紙』など、ロマン主義やモダニズム文学の古典的名作が多いです。
語りの構造
あらすじ
反戦活動で逮捕され九州帝大法学部を中退した東堂太郎は新聞記者になった後に従軍し、そこで法知識を駆使して上官と戦います。
冬木という男に惹かれ親しくなるものの、冬木は湯浅という兵の銃剣のホルダーをすり替えた事件で疑いがかかります。 東堂は法的知識を駆使して上官に対抗し、冬木はそれで難を逃れますが、東堂は真犯人を言い当てていたのに、すり替え事件の真犯人はウヤムヤにされます。
正真正銘のガンスイ(駄目な兵士)と呼ばれる末永が窃盗で上官から冗談で死刑の宣告を受けます。それを信じて死の恐怖に震える末永とそうして弄ぶ上官の姿を見た東堂と冬木は、飛び出して末永を救おうとします。 しかし二人は助けようとした村崎と同僚の兵もろとも重営倉入りになります。
また東堂も一度軽い規則を破ったことで大前田に法的に追い詰められ罰を受けます。 しかし大前田も勤務中の規則違反で逮捕されます。憲兵に未決監に連行される大前田と行き会った東堂は、無言で彼を見送るのでした。




コメント