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ジェイムズ『ねじの回転』解説あらすじ

H=ジェイムズ
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始めに

ジェイムズ『ねじの回転』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

等質物語世界の語り手、非線形の語り

 等質物語世界の語り手・「私」が設定され、「私」はある屋敷に宿泊した一人で、そこで開かれた怪談の集まりに加わっているのですが、そのうち一人(ダグラス)が、かつて自分の家庭教師(ガヴァネス)だった女性について、彼女から来た手紙の朗読などを通じて語ります。最初に現れた「私」はもっぱら聞き手になっています。

 コンラッド『闇の奥』などと共通するデザインです。

メリメ、モーパッサンらの影響。ゴシック文学

 ヘンリー=ジェイムズという作家はツルゲーネフ(『父と子』『初恋』)を通じて知己を得たフローベール(『ボヴァリー夫人』『感情教育』)、ゾラ(『居酒屋』)、モーパッサン(『脂肪の塊』『女の一生』)などから影響を受けたことが知られます。モーパッサンも枠物語構造をとりれた作品があって、それが永井荷風の『ふらんす物語』へ影響し、そこで「おもかげ」と呼ばれる作品をものしております。コンラッド『闇の奥』にもモーパッサンの影響があります。本作の非線形の語りはモーパッサン、それからメリメの影響が大きいでしょう。

 メリメは『カルメン』のオペラ化が有名ですが、ゴシック文学を広く手がけております。伝聞による語りや翻訳文学のパロディなどを孕んだ、豊かな語り口が特徴の作風で、『カルメン』も枠物語の構造です。

一人称視点の不確かさ

 本作品とコンセプトとして重なるのは漱石『こころ』やロブグリエ『嫉妬』、谷崎潤一郎『』『痴人の愛』、芥川『藪の中』、フォークナー『響きと怒り』、リンチ監督『ブルー=ベルベット』と言えます。集合行為における一部のアクターを語りの主体にしたり、または一部のアクターにしか焦点化をしないために、読者も登場人物と同様、作中の事実に不確かな認識しか得られるところがなく、限定的なリソースの中で解釈をはかっていくことしかできません。 

 本作で主な語り手となるガヴァネスの女性の報告は朦朧としていて、統合失調などによる幻覚なのか、それとも現実なのか、読者には分かりません。なので読者には解釈が開かれています。エイクマン、デラメアへと継承される、一人称視点の不確かさを効果的に恐怖につなげています。

物語世界

あらすじ

 ある屋敷に宿泊した人々が、一人ずつ怪談を語っていて、「私」もそこに混ざっています。

 そのうちの一人ダグラスが、かつて自分の家庭教師だった女性からの手紙に書かれた体験談を読み始めます。

 20歳の「私」は田舎の古い屋敷で住み込みの家庭教師(ガヴァネス)になります。不安もありつつ、天使のような娘フローラと家政婦のグロースさんに歓迎されます。しかし、フローラの兄のマイルズの学校から手紙が届き、マイルズが退学処分になったと知ります。数日後、マイルズは夏休みで屋敷に戻るものの、退学になったことは口にせず、「私」も本人に聞くことができません。

 間もなく、兄妹と家政婦、使用人しかいないはずの屋敷で、見知らぬ男を見かけます。グロースさんの話では使用人だったクイントに違いありません。クイントは主人が屋敷を出た後、冬に居酒屋からの帰りに転倒し、死亡したそうです。「私」は幼い2人をクイントの霊から守ろうとします。

 大きな池の近くでフローラと遊んでいるとき、「私」は喪服を着た女の幽霊を見ます。前任の家庭教師ジェスル先生と思われます。

 2人の霊は兄妹に邪悪な影響を与えているようです。ある日、フローラは1人でボートを使って池の向こうまで行ってしまい、「私」とグロースさんを心配させます。ジェスル先生のことを尋ねるとフローラは反発し、「私」にはもう会いたくないというのでした。フローラとグロースさんには屋敷を出てもらうことにします。

「私」とマイルズは2人で話します。退学になった理由を問い詰めると、学校で口をすべらせたことが原因だといいます。そのとき窓越しにクイントの姿が見えます。マイルズは男の名を口にします。ようやく白状させ、呪縛は解けたのです。

 「私」はマイルズを強く抱きしめるが、やがて彼の小さな心臓が止まっているのを知ります。

参考文献

・Fred Kaplan ”Henry James: The Imagination of Genius, A Biography”

 

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