はじめに
ジェイムズ『ボストンの人々』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造
国際性
ジェイムズはアメリカ(ニューヨーク)生まれですが、若い頃からヨーロッパに長期滞在し、フランスやイタリアを旅し、最終的にはイギリスに帰化しました。彼の人生そのものが「アメリカ的背景」から「ヨーロッパ的文脈」への移動であり、その異文化的な距離感・観察者の立場が小説に反映されています。
ヘンリー・ジェイムズのテーマを「国際性(international theme)」と呼ぶのは、まさに批評史のなかでよく言われることです。
影響したメリメも『コロンバ』『マテオ=ファルコーネ』などにも、そのような制度論的な視座があります。
初期から中期にかけての代表作『アメリカ人』『デイジー・ミラー』『ある婦人の肖像』などでは、アメリカの「新世界」的な単純さ・純真さ・エネルギーと、ヨーロッパの「旧世界」的な洗練・伝統・複雑さの価値体系の衝突や交流を中心に物語が展開されます。批評家たちはこれを「国際テーマ」と呼び、ジェイムズ文学の重要な特徴とみなしています。
本作ではアメリカの南部の保守主義と北部ボストンのリベラリズムが対比されます。
政治と個人
本作はボストンの急進的な女性参政権運動家オリーヴ=チャンスラー、南部伝統主義の弁護士バジル=ランサム、そして天賦の弁舌才能を持ちながら自律性の揺らぐ若い女性ベレーナ=タラントの三角関係が描かれます。
オリーヴは女性解放運動に魂を捧げているが、その献身はしばしばベレーナへの個人的な愛情、あるいは所有欲と結びつき、理念そのものが別種の支配に転じる様相を帯びます。バジルは恋愛感情と保守的価値観の双方からベレーナを取り戻そうとし、これもまた保護の名目のもとに個人の自由を拘束しようとする行為です。
この三者の関係の中心にいるベレーナは、自ら演説し、人々を魅了する力を持ちながら、その声は常に誰かに利用されます。彼女の説得力は同時に説得されやすさと不可分です。ベレーナは自由を希求しながらも、自らの願望を決定的に言語化できず、オリーヴとバジルの力学に揺れ動きます。
南部と北部
ジェイムズは北部リベラルと南部保守というアメリカの政治的象徴性を背後に設定しながらも、どちらにも完全には与しません。本作が描くのは、政治的立場そのものではなく、政治がしばしば個人の感情、欲望、虚栄、恐れといった私的要素の上に構築されるという根本的な事実です。
最終的にベレーナはバジルとともに去るものの、その結末はロマンティックな解放ではなく、不安と痛みを孕んだ曖昧な未来を示します。オリーヴの絶望が象徴するのは、理念の敗北という単純な構図ではなく、信念が他者の主体性に寄りかかったときに避けられない崩壊であり、また個人の自由がいかに脆弱であるかという現実です。
ボストンというトポス
ジェイムズの作品において、ボストンは単なる「アメリカ」を象徴する都市ではなく、旧世界ヨーロッパの深い影を帯びた独自の文化圏として描かれます。しばしばジェイムズの初期小説を国際テーマの始まりと呼び、アメリカの無垢とヨーロッパの洗練の対比として理解する読みが流布しているものの、実際にはアメリカ内部、特にニューイングランドの文化は純粋な新世界ではありません。
『ヨーロッパ人』に描かれるウェントワース家の禁欲的で格式ある生活様式は、むしろヨーロッパのプロテスタント的伝統の延長線上にあり、アメリカ的自由とは程遠いものです。ガートルードの息苦しさの原因はアメリカの抑圧ではなく、アメリカに残存するヨーロッパ的規範社会です。
このことは『ボストニアン』でも一層明確になります。フェミニズム運動と社会改革の熱に包まれるボストンは、一見革新的な都市に見えるものの、その政治的理性主義や道徳的高潔さには、依然として旧世界的な厳格さが宿っています。オリーヴ=チャンスラーの道徳的純粋さと、ベレーナをめぐる使命感に満ちた束縛は、伝統的な宗教的禁欲の転化とも読めます。つまり、ボストンの改革運動は、ヨーロッパ的禁欲の世俗化した形態として立ち現れており、単純にアメリカ的自由主義の現れとは言えないものです。ここには『ヨーロッパ人』に見られる敬虔で抑圧的なニューイングランドの精神が、そのまま政治的・社会的イデオロギーへと姿を変えている連続性があります。
『ヨーロッパ人』も、ヨーロッパとアメリカという二項対立ではなく、むしろヨーロッパ内部の価値体系の断層が、アメリカの土壌に複雑な形で移植された結果を描いた小説といあます。ユージニアは宮廷的・貴族的なヨーロッパを象徴し、計算と虚飾、政治的配慮と階級意識の文化を体現します。他方、フェリックスは芸術的で軽やかな第三のヨーロッパ、すなわち宮廷でもニューイングランドでもない、個人主義的な美学と自由の体現者です。このこのフェリックスこそが、ボストンの女性ガートルードに自由の可能性を開く存在です。つまりガートルードを束縛から解放するのはアメリカではなく、むしろ別種のヨーロッパともいえます。
『ボストニアン』でも、ボストンの改革者たちは、アメリカ的進歩を掲げつつも古い道徳的厳格さを引きずった存在であり、その改革精神には解放と抑圧が同居しています。
ジェイムズにとって重要なのは、文化が国境ではなく精神的類型として人間に表れることを描きます。ボストンはアメリカの都市でありながら、旧世界の禁欲と理想主義を色濃く残したヨーロッパ的アメリカであり、そこに別種のヨーロッパとしての芸術的で軽快なヨーロッパのフェリックスが衝突し、個々の人物の心理と選択が揺さぶられます。ガートルードの自由はアメリカから生まれたのではなく、むしろヨーロッパから来た異質な価値観によって触発されたものであり、ジェイムズはこの多重的なヨーロッパ性のせめぎ合いこそが、近代的主体の形成を促す力であると描いています。
フェリクスとランサムの対比
『ヨーロッパ人』に登場するフェリクスは、一見“旧世界の人間”でありながら、実は旧世界的規範をほとんど自分の内側に持たない、極めて特異な存在だ。王侯貴族の残影を背景に持ちながら、その制度的重さはすでに失われており、彼自身はむしろ自由に浮遊する“ヨーロッパ的コスモポリタン”として振る舞います。
道徳的禁欲の重さを欠き、軽々と越境するピカレスク的流動性、イギリス的コモンセンスの世俗的な自由を持っていて、新世界の楽観の延長線上にあります。フェリクスは自由を「他者を縛らない自由」として体現しており、その点で“新世界の陽性の側面”を戯画的に表しています。
これに対し、『ボストニアン』のバジル=ランサムは、自由の問題を一気に複雑化させる人物です。彼は南部出身の保守的な弁護士であり、その内部には二つの要素が同居しています。
バジルは南部的保守道徳(宗教的敬虔、家父長制、ジェンダー規範、女性の公的参与への懐疑)を内面化しています。バジルにとって自由とは秩序の中に置かれた自由であり、実際には権威性の裏返しである場合が多いです。
ところが同時にバジルはフェリクスと重なる個人的な誠実さ、人格的一貫性、感情の率直さを備え、理念を振りかざすボストン的急進主義よりも、生身の人間の苦悩を重視するという意味での自由主義も持っています。
この二層が矛盾を孕みながら同居しているため、バジルは自由を語るが、自由を奪うこともできる男として描かれます。この両義性こそ、フェリクスには全く欠けている部分です。
ベレーナは、フェミニズム運動の象徴として理念的自由を背負わされる一方で、バジルが示す個人的自由にも魅力を感じます。その引力は、オリーヴの政治的使命感には欠けている身体性です。しかし彼女が惹かれるのはバジルの保守道徳ではなく、バジルのコモンセンス的な親密さ、人間への信頼に満ちた自由です。
しかしその自由の奥には、家父長的規範や旧世界的抑圧、女性の主体性を包み込む力が潜んでいるため、惹かれれば惹かれるほど、ヴェレナは自己の自由と自律を失う危険にさらされます。
最終章でベレーナは、涙ながらにバジルと逃避します。この駆け落ちは、19世紀恋愛小説の結末としては通常救済を意味します。しかしジェイムズは、それをあえて不吉に描きます。ベレーナの未来は幸福である保証がなく、彼女が選んだのは自由ではなく、新たな束縛かもしれないという予感だけが残されます。
ボストンの急進主義は理念による抑圧であり、バジルの保守主義はモラルによる抑圧です。彼女が選べる領域は最初から自由ではなく、むしろ自由を求める運動そのものが、自由を奪う複数の場の中に閉じ込められています。
集合行為における一個のアクターの視点から描く心理劇
本作品とコンセプトとして重なるのは漱石『こころ』やロブグリエ『嫉妬』、谷崎潤一郎『卍』『痴人の愛』、芥川『藪の中』、フォークナー『響きと怒り』、リンチ監督『ブルー=ベルベット』と言えます。集合行為における一部のアクターを語りの主体にしたり、または一部のアクターにしか焦点化をしないために、読者も登場人物と同様、作中の事実に不確かな認識しか得られるところがなく、限定的なリソースの中で解釈をはかっていくことしかできません。
ロシアとフランスのリアリズムの影響。集合行為を追う物語
ヘンリー=ジェイムズという作家はツルゲーネフ(『父と子』『初恋』)を通じて知己を得たフローベール(『ボヴァリー夫人』『感情教育』)、ゾラ(『居酒屋』『ナナ』)、モーパッサン(『脂肪の塊』『女の一生』)などから影響を受けたことが知られます。そうした縁もあってロシアとフランスのリアリズム文学の影響を強く受けたのでした。またバルザック(『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』)の作品をこのみ影響されました。
本作品もさながらドストエフスキーの『罪と罰』などを連想させられます。
他の作品では例えば冨樫義博『HUNTER×HUNTER』、ハメット『マルタの鷹』『血の収穫』、谷崎潤一郎『卍』、エドワード=ヤン監督『エドワード=ヤンの恋愛時代』などに近いですが、物語は偏に特定のテーマや目的に従うべくデザインされている訳ではなく、エージェントがそれぞれの選好、信念のもと合理性を発揮し、これが交錯する中でドラマが展開されていきます。このようなデザインは、現実社会における政治学・社会学(システム論、エスノメソドロジー)や制度論、国際関係論におけるリアリズム/リベラリズム/ネオリベラリズム/ネオリアリズムが想定する人間関係や国際関係に対するモデルと共通しますが、現実世界における実践に対する見通しとして経験的根拠の蓄積のある強固なモデルといえます。
メリメ、モーパッサンらの影響
ヘンリー=ジェイムズはモーパッサン(『脂肪の塊』『女の一生』)などから影響を受け、モーパッサンも枠物語構造をとりれた作品があって、それが永井荷風の『ふらんす物語』へ影響し、そこで「おもかげ」と呼ばれる作品をものしております。コンラッド『闇の奥』にもモーパッサンの影響があります。本作の非線形の語りはモーパッサン、それからメリメの影響が大きいでしょう。
メリメは『カルメン』のオペラ化が有名ですが、ゴシック文学を広く手がけております。伝聞による語りや翻訳文学のパロディなどを孕んだ、豊かな語り口が特徴の作風で、『カルメン』も枠物語の構造です。
ジェイムズの非線形の語りにはこうした作家の影響も関わります。
物語世界
あらすじ
ミシシッピ州の弁護士で南北戦争の退役軍人でもあるバジル=ランサムは、裕福な従妹オリーブ=チャンセラーを訪ね、ボストンに住みます。彼女はランサムを政治集会に連れて行き、そこでベレーナ=タラントがフェミニストの演説をしていました。強硬な保守派のランサムはその演説に憤慨するものの、演説者に魅了されます。
ベレーナを一度も見たことのないオリーブも同様に魅了されます。オリーブはベレーナを説得して実家を出て一緒に暮らします。一方、ランサムはニューヨークでの弁護士事務所に戻るものの、業績は芳しくありません。ベレーナに魅了されたランサムは、再びボストンを訪れ、ケンブリッジへ行き、印象的な南北戦争記念館を含むハーバード大学の構内をベレーナと一緒に散策します。ベレーナはカリスマ性のあるランサムに惹かれていることに気づき、そのことを彼に告げずに、オリーブに二人の出会いを告げないでほしいという要求に従います。オリーブは南部の従兄弟に強く反対しており、ランサムが自分とベレーナの間に割り込むことを恐れています。
オリーブは、ベレーナをフェミニズムと男性支配からの女性の解放を訴える演説家に育てようと準備していました。そんな中、彼女はニューヨークで行われる女性たちの集まりで講演するよう、バーレイジ夫人から依頼を受けます。バーレイジ夫人は非常に裕福な社交界の女性で、彼女の息子ヘンリーはハーバード大学在学中、ボストンでベレーナに求愛したが振られたことがありました。
ベレーナの依頼でバーレイジ夫人に招待されたランサムは、彼女の講演に参加します。オリーブは、ベレーナがランサムに招待を依頼し、ボストンで彼から手紙を受け取っていたことを知ると、ランサムが自分の若き保護対象を奪い去ってしまうのではないかと不安になります。
二人が10番街の仮住まいに戻り、ヘンリー=バーレイジと食事に出かける前に、二人は2通のメモを見つけます。1通はランサムからのもので、ベレーナに1時間の時間を割いてほしいという内容で、もう1通はバーレイジ夫人からオリーブを自宅に招く内容でした。オリーブはバーレイジ夫人との面会中に、自分がヘンリーの代理で行動していることに気づきます。ヘンリーはまだベレーナとの結婚を望んでいます。
男性を軽蔑し、ベレーナをつなぎとめておきたいオリーブですが、バーレイジ夫人が家を出た後、彼女のプロポーズを支持することを真剣に考えます。しかし、10番街に戻ると、ベレーナがランサムと散歩に出かけていることに気づきます。散歩中、ランサムは、女性は妻として、そして母親として家庭内においてこそ本来の役割を果たすべきであり、女性に参政権や男性との法的平等を与えるべきではないという自身の信念を説き明かします。ランサムの態度と人柄に惹かれながらも、その考え方に愕然としたベレーナは、彼を見捨て、オリーブのもとへ戻り、ニューヨークをすぐに引き払い、ボストンに戻るよう涙ながらに懇願します。
それから暫く後。オリーブとベレーナはケープコッドの架空の海辺の町マーミオンで8月の休暇を過ごしていました。ベレーナはそこで、フェミニズムの擁護者として初めて重要な公の場に出る準備をしていました。オリーブは代理人を雇い、ベレーナのスピーチのためにボストンミュージックホールを借り切りました。
マーミオンに現れたランサムは、保守的な見解を述べた論文の出版が迫っている今、彼女と分かち合える未来が開けたと確信し、ついにプロポーズできるとベレーナに告げます。ベレーナはこれまで以上にランサムに惹かれますが、借りていたコテージで共に暮らしていた、著名な改革者であり奴隷制度廃止論者でもあった老バーズアイ夫人の死をきっかけに、ベレーナは再び逃亡することにします。バーズアイ夫人の理想を捨て、オリーブを傷つけるという考えに耐えられなくなった彼女は、ランサムに追われないように身を潜めます。
その後。ボストンミュージックホール。ベレーナは演説のために舞台に上がる直前、観客席にバジルがいるのを見つけ、そのまま続けることを拒否します。舞台裏のドアには警官が警備していたにもかかわらず、バジルはなんとか舞台に入り、ベレーナを説得して駆け落ちさせようとします。
二人は駆け落ちしますが、二人の先行きは不穏です。



コメント