始めに
イヴリン=ウォー『大転落』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ウォーの作家性
ウォーの初期の作風に最も技術的な影響を与えたのは、世紀末デカダンスの流れを汲むロナルド=ファーバンクです。断片的な対話の構成や、ミニマリズムに影響しました。またウォーはP.G.ウッドハウスを師匠と呼び、その完璧な英語の文章を崇拝していました。
H. ベロックとG.K. チェスタトンは、ウォーが1930年にカトリックに改宗する精神的な支柱となりました。ブルジョワ社会への懐疑、保守主義を継承しました。特にベロックの好戦的なカトリシズムと、文明の衰退に対する歴史観から示唆を受けています。
また詩人エリオットが『荒地』で描いた「荒地」のイメージは、戦間期の混乱を生きるウォーの世代に共通の背景を与えました。代表作『一握の塵(A Handful of Dust)』のタイトルは、エリオットの『荒地』の一節から取られます。
ほかにサッカレーも、ウォーの諷刺家としての視点に影響を与えています。上流階級や中産階級の虚飾を剥ぎ取る社会諷刺の姿勢を受け継ぎます。
転落劇
主人公ポール=ペニーフェザーは、品行方正で控えめな青年ですが、物語を通じて何一つ悪いことをしていないのに、ひたすら不運に見舞われるという役割を担います。
酔っ払った学生たちの悪ふざけの被害に遭っただけなのに、なぜか公然わいせつの罪を着せられてオックスフォード大学を退学になります。彼は常に誠実に行動しますが、その誠実さが原因で、詐欺や人身売買(知らぬ間に加担させられる)の片棒を担がされ、最終的に刑務所へ送られます。
タイトルの『大転落(Decline and Fall)』は、ギボンの名著『ローマ帝国衰亡史』から取られています。ウォーは当時のイギリス社会を、滅びゆく帝国のように道徳が崩壊した場所として描いています。刑務所送りになったポールとは対照的に、彼を罠に嵌めたような悪党や、冷酷な富豪たちは何の罰も受けず、むしろ社会的に成功し続けます。ポールが流れ着く私立学校ランアバ=キャッスルは、教育とは名ばかりの、嘘と見栄と無能が支配する場所として徹底的にカリカチュアされています。
ピカレスク
本作はピカレスクのモードを踏まえる内容です。
ピカレスクはスペインの文学ジャンルで、特徴としては自伝的な記述の一人称で書かれます。社会的地位が低いアウトローの主人公が機転を利かせて立ち回る、小エピソード集の形式です。平易な言葉やリアリズム、風刺などがしばしば見えます。「悪漢小説」と訳されるものの、ピカレスクの主人公が重大な犯罪を犯すことは少なく、むしろ世間の慣習や偽善に拘束されない正義を持ったアウトローとして描かれやすいです。主人公は性格の変化、成長はあまりしません。
本作でもポールの視点を通じて英国の腐敗を描くと同時に、ポールが成長しないのも印象的です。
ピカレスク的な反成長
この物語のユニークな点は、主人公ポールが過酷な経験を経ても精神的に成長しないことです。物語の最後、彼は偽装死を経て、再び別人のふりをしてオックスフォードに戻り、以前と同じ神学の勉強を再開します。激動の嵐に巻き込まれながらも、中心にいるポール自身は全く動かず、元の場所に戻ってくるという構造になっています。
作中で印象的な比喩として登場するのが、回転木馬(メリーゴーラウンド)です。人生は狂ったように回転する乗り物であり、外側にいるほど激しく振り回され、中心に近づくほど静止していられる。ポールはこの社会の狂乱から抜け出すために、あえて無関心で静かな場所へ戻ることを選びます。
物語世界
あらすじ
主人公のポール=ペニーフェザーは、オックスフォード大学で神学を学ぶ地味で真面目な学生でした。しかしある夜、貴族の子弟たちの乱痴気騒ぎ(ボリンジャー=クラブの暴動)に巻き込まれ、ズボンを剥ぎ取られてしまいます。
大学当局は、騒ぎを起こした金持ち学生たちを罰するどころか、なぜか被害者のポールを公然わいせつという名目で退学処分にします。ここから彼の人生の転落が始まります。
職を求めたポールは、ウェールズにある怪しげな私立学校ランアバ・キャッスルの教師になります。そこは、経歴詐称の重婚者のグライムズ、信仰心を失った元牧師のプレンダーガスト、金儲け主義の校長のフェイガンといった、社会の脱落者たちの集まりでした。ここでポールは、美貌の未亡人マーゴット=ベステチェトウィンドに出会い、彼女の息子の家庭教師を頼まれます。ポールは富豪であるマーゴットと恋に落ち、婚約。ついに上流社会への切符を掴んだかに見えました。
結婚式の直前、彼は彼女の仕事を手伝うためにフランスへ送られますが、実は彼女の事業の正体は白人女性の人身売買(売春宿の経営)でした。何も知らないポールは、その罪をすべて着せられ、結婚式の当日に逮捕。懲役7年の刑を言い渡されます。
刑務所に入ったポールですが、そこでかつての学校の同僚たちと再会するなど、相変わらず奇妙な出来事に遭遇します。
最終的に、有力者と再婚したマーゴットが手を回し、ポールを釈放させるための偽装工作が行われます。彼は病院で手術中に死んだことにされ、別人のふりをして自由の身となります。
物語の最後、ポールは口ひげを生やして変装し、死んだポールの親戚という設定で、再びオックスフォード大学に戻ってきます。彼は以前と同じように静かに神学の勉強を再開し、自分をどん底に突き落とした世界に対して怒ることもなく、ただ平然と元の生活に戻っていくのでした。




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