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クンデラ『存在の耐えられない軽さ』解説あらすじ

ミラン=クンデラ
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始めに

クンデラ『存在の耐えられない軽さ』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

ルネサンスとバロック

 クンデラはルネサンスやバロック、ロマン主義の作家からの影響が顕著です。ラブレー(『ガルガンチュアとパンタグリュエル』)、セルバンテス、スターンなどで、セルバンテス『ドン=キホーテ』やスターン『トリストラム・シャンディ』のような形式主義的実験が本作にも見えます。

 またロマン主義のルーツとなったフィールディングなどの艶笑コメディからの影響も本作に顕著です。

 また幻想文学の影響も顕著で、カフカ(『変身』)からの影響は大きいです。カフカと重なるような黒い笑いとペーソスはクンデラの特徴です。

異質物語世界の語り。作者の分身

 本作を特徴づけるのは、異質物語世界の語り手です。

 この異質物語世界の語り手は作者の分身のような存在で、司馬遼太郎の伝奇や歴史文学に近く、物語からの脱線を繰り広げます。さながらスターン『トリストラム・シャンディ』のようです。

 本作はこのような語りによって、作品がフィクションであることや人工物であることが強調されています。そして小説テクストが抱える固形性(小説は演劇やビデオゲームとは異なり単数芸術であって、経験の対象となる事例は一つです。『ドラゴンクエスト ユア=ストーリー』や7リメイクの記事を参照のこと)と小説が作者の人工物に過ぎないという重い事実は、そのなかの登場人物にとってさながら永劫回帰のようなものであり、その存在の矮小さを強調します。

永劫回帰

 本作はニーチェの永劫回帰という発想がモチーフになっています。これは宿命論的な時間論的なモデルであって、特定の宿命にそって時間は展開されて繰り返されているという見通しでそこに現代の神秘主義を見出しています。

 ラプラスの悪魔もそうですが、現代の物理学では、このような宿命論(特定の帰結に収束する形での時間の決定論)的な時間論は旗色が悪いため、科学の方面では支持されていません。それでもヴォネガット『スローターハウス5』など、こうしたデザインは人の心を捉えるものです。

 本作が永劫回帰というモデルで描こうとするのは、過去や歴史のダイナミクスの崇高さがその中に生きるエージェントにとってはさながら運命に等しい重さをもっているということで、それが登場人物の存在の矮小さ、軽さのコントラストになっています。また単数芸術であるところの小説のテキストは1回限りの普遍的な時間しか持たず、いくら読解を繰り返しても特定の帰結に従うために、さながら永劫回帰のようになっています。

 本作ではソ連とチェコの関係が描かれ、ソ連によるチェコ侵攻などの悲劇的な事件が描かれます。このような歴史的な事件やソ連という強大な存在の前に、個人の存在は取るに足りないほど軽いものです。さながら運命のごとく絶対性を帯びる過去や歴史の力学を目の前にして、個人は軽さを意識します。

重さと軽さの恋愛哲学

 本作は「重さと軽さ」がテーマになっていて、それを象徴するのがトマシュ、テレーザ、サビーナの3人の価値観です。トマーシュは人生というものを軽く考え、人との繋がりを軽薄なものに止めようとします。他方で、妻のテレーザは一度きりの人生を重く受け止めようとします。サビーナは、自由奔放な暮らしをしつつ、軽さと重さの間を揺蕩っています。

 トマシュとテレーザの人生はしかし、不意の事故で失われます。自然や歴史、戦争、事故(またテクスト)といった運命のような絶対性を帯びた崇高なものの前においては、個人の存在は取るに足りない軽いものでしかありません。けれどもその儚い軽さ故にむしろ、二人の生と死が読者には重さをもって受け止められます。

艶笑コメディ

 本作はモラヴィア(『軽蔑』)や川端(『眠れる美女』『みづうみ』)、村上春樹(『ノルウェイの森』)などのような艶笑コメディになっています。性と愛をテーマとしながら、運命や人生についての思弁が展開されていきます。

 こうした性愛と思索を絡めるデザインは、シュルレアリズムに影響したサド(『悪徳の栄え』)の文学を思わせます。サドが好んだフィールディングは、クンデラにも影響が大きいです。

物語世界

あらすじ

 1968年前後のチェコスロヴァキアのプラハ。主人公トマシュは優秀な脳外科医で、複数の女性と交際するプレイボーイです。彼は温泉街で、カフェのウェイトレスで写真家を志すテレーザに出会います。テレーザは、トマシュを追ってプラハに上京します。トマシュは彼女と同棲、まもなく結婚します。

 社会主義からの自由化の中で、幸福な新婚生活が始まったものの、自由奔放な画家のサビーナとトマシュの関係が続いています。彼女とは束縛し合わず、彼女にも愛人がいました。

 結婚生活に影が差すころ、1968年8月20日、ソ連軍によるチェコスロヴァキア侵攻の夜が来ます。 ソ連軍の戦車と、民衆の波に交じって、テレーザはカメラで撮影します。次第に、チェコの民衆は弾圧され、再びソ連による支配の重いムードが流れます。

 トマシュはテレーザと、先に亡命していたサビーナを頼り、スイスのジュネーブへと逃げます。テレーザはサビーナの紹介で、雑誌のカメラマンの職を得ます。トマーシュの女癖と、生への軽薄さに耐えきれずテレーザは、手紙を残して、愛犬を連れてひとりプラハへと帰ります。

 トマシュは失ったものの重さを悟り、プラハへと戻ります。2人はようやくお互いを理解します。やがて2人はプラハを逃れ、地方の農村で暮らすようになりましたが、事故で死にます。

 後日アメリカで暮らすサビーナのもとに、2人が交通事故で死んだと知らせる手紙が届きました。

参考文献

・Martin Škop”Milan Kundera and Franz Kafka – How Not to Forget Everydayness”

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