PR

中上健次『地の果て 至上の時』解説あらすじ

中上健次
記事内に広告が含まれています。

始めに

中上健次『地の果て 至上の時』解説あらすじを書いていきます。三部作(1.2.3)の3です。

語りの構造、背景知識

シュルレアリスム、ロマン主義、セリーヌ、ジュネ。口語的世界、アウトサイダーアート

 中上健次はシュルレアリスム(瀧口修造、稲垣足穂)の影響が当初から強く、ファンタジックな要素にその影響が見えます。またシュルレアリスムにおいて着目されたサド(『悪徳の栄え』)、ランボーなどの作家の影響も顕著です。グランギニョルな青春残酷物語としての性質にそれが現れます。

 またセリーヌ(『夜の果てへの旅』)の影響も顕著です。セリーヌは大江健三郎も顕著な影響を受けたラブレーの伝統を継ぐフランスの作家で、その口語的で豊かな語り口はトウェイン(『ハックルベリー=フィンの冒険』)にも引けを取らぬほどエネルギッシュです。また艶笑コメディとしての性質もラブレー(『ガルガンチュアとパンタグリュエル』)、セリーヌに由来します。

 シュルレアリスムは既成の芸術やブルジョア社会へのカウンターカルチャー、アウトサイダーアートとしての側面がありましたが、中上健次自身も部落出身というマイノリティ、アウトサイダーでありつつ、ジュネなどのアウトサイダーのモダニズムに惹かれました。

フォークナーの影響。フォークナーについて

 本作はフォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)からの影響が顕著です。

 フォークナーの手法の特徴はヨクナパトーファサーガと呼ばれる架空の土地の歴史の記述のメソッドです。フォークナーはバルザック(『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』)の影響から、人物再登場法の手法を取り入れています。これは同じ人物を他の作品の登場人物として何度も登場させる手法です。また、家族に注目する手法はゾラのルーゴン=マッカルー叢書(『居酒屋』)などに習っています。また、架空の土地創造の手法はS=アンダーソンに習っています。

 コンラッド『闇の奥』の影響も顕著で、これによって複数の等質物語世界の語り手を導入したり、異質物語世界の語りと組み合わせたりしています。また、トルストイ(『アンナ=カレーニナ』)、ドストエフスキー(『カラマーゾフの兄弟』)、H =ジェイムズ(『ねじの回転』『鳩の翼』)のリアリズムの影響で、一人称的視点の再現について示唆を受けています。同時期のモダニスト、ジョイスもデュジャルダンの『月桂樹は切られた』などの影響で、プルースト(『失われた時を求めて』)もベルクソンの現象学の影響で、それぞれ独自の意識の流れの手法について開発し、現象的経験の時間的に連続した経過の再現を試みています。

 フォークナーもそうした手法によって、一個のエージェントの視点からの歴史記述を試みます。エージェントのフラッシュバックなど主観的タイムトラベルが展開されることで、時間が過去から現在へと縦横に移動し、土地の歴史を記述しました。

中上健次におけるフォークナー受容

 中上健次のフォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)受容は、先に挙げたセリーヌやそこから起こったサルトルの実存主義をリファレンスしつつ展開されていきます。

 サルトルの実存主義は、ざっくり話すとハイデガーの実存主義哲学、プラグマティズムや、セリーヌ作品(『夜の果てへの旅』)などからの影響を受け、一個のエージェントがその伝記的な背景などを背景に世界にコミットメントするプロセスに関して、構造的な把握を試みたものです。対自存在(自分自身を対象として意識する存在。志向する対象とする存在)てしての人間は、世界の中にある他のエージェントからの相互的な役割期待があり、世界の中で自分自身をデザインしていく自由と責任があることをモデルとして提起しました。

 そしてセリーヌの文学作品は、そのようなアンガージュマンと実存主義の世界といえます。なぜならばセリーヌの文学作品は自己の伝記的バックグラウンドを背景に、対自存在としての作家が現実社会、世界へのコミットメントを果たす中で紡がれていく表現だからです。

 『夜の果てへの旅』などもセリーヌの自伝的な内容となっています。

 同様に、中上健次も自己の伝記的背景をベースにフォークナーを翻案していきます。

南部ゴシックと路地

 中上は和歌山部落の出身であって、この部落周辺のコミュニティをフォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)文学の南部ゴシック風の世界として展開していきます。

 フォークナー(『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』)文学のような、血と因習に囚われて破滅していく血族の物語を、自伝的な要素を踏まえて展開していきます。

ラテンアメリカ文学の刺激

 中上に影響したガルシア=マルケスもフォークナーの影響が顕著で、『百年の孤独』『族長の秋』をものしました。中上はラテンアメリカ文学に刺激され、『千年の愉楽』『奇蹟』などのように、語り口を洗練させていきます。

 また三部作(1.2.3)の3作目の本作になると、ラテンアメリカ文学、マジックリアリズムの影響が見えます。

マージナルなトポスとしての路地

 中上健次が自身の出生も相まって部落のコミュニティや韓国、朝鮮を描いた背景にあるのは、オンタイムの社会学、歴史学の動向です。

 国家や帝国の矛盾や不正義を暴き、中心化を妨げる存在に焦点を当てるアプローチは、アナール学派のような心性史的な歴史学の潮流の動向と相まって、ポストコロニアル文学、批評に影響しました。中上健次に影響した網野善彦の「聖/俗」(デュルケーム由来ですが)「無縁」概念、大江健三郎にも影響した山口昌男の「中心/周縁」概念などが典型的です。

 網野善彦は「無縁」という概念でもって寺社などの聖なるトポスを世俗のシステムや権力からのアジールとして捉え、そこにおける固有の実践を評価しました。

 山口昌男は「中心/周縁」と政治的世界を捉え、中心的な世界と周縁的な世界の相互作用のなかで政治のダイナミズムをとらえ、周縁的な世界が中心世界にもたらす文化的多様性に着目しました。

 本作における「路地」は世俗のシステム、秩序から一定の独立性を持ち、「無縁」で開かれたトポスであり、それ故にさまざまなネーションの歴史が無秩序に流入する空間です。ちょうど大江健三郎『同時代ゲーム』やガルシアマルケス『百年の孤独』に描かれる世界に似て、中心と周縁的のマージナルな位置にあるトポスにおける無秩序な文化的な氾濫が展開されます。

物語世界

あらすじ

 『枯木灘』において、龍造の子・異母弟の秀雄を殺害した竹原秋幸は大阪の刑務所での三年の刑期を終えて新宮に戻ります。

 紀伊半島での高速道路や原発の建設により土地改造ブームが起きており、故郷の「路地」は更地になっています。

 秋幸の異父姉の美恵の夫の実弘や、異父兄の文昭はそれぞれ土方の組を率いており、彼らは開発公社にはいり仕事を請け負っています。秋幸は出所後は、龍造のもとで山仕事をします。新宮の土地開発のスキームの背後には、龍造がいました。

 元路地の更地にはバラックが建ち浮浪者が住み着いており、そこに龍造と悪行を重ねたヨシ兄がいました。ヨシ兄は薬物中毒で自分をジンギスカンの末裔だと信じています。ヨシ兄は路地跡を占拠して火を焚いて騒擾を起こし、開発の邪魔をします。

 整地された路地の裏山跡から清水が湧き、「水の信心」という新興宗教がおこっています。秋幸の異母妹のさと子、義父の姉ユキ、飲み屋の女将モンらはその信仰をしています。「水の信心」の道場での修行で、教祖の母親が死亡し、腐乱死体となっていることが発覚します。

 ヨシ兄の息子鉄男は、秋幸が殺害した秀雄の跡目をついで地元の暴走族の頭となっていました。彼は警官から拳銃を盗み、拳銃は一時、秋幸の手に渡ります。

 秋幸と龍造がシシ狩りに行った夜、酒盛りの席で鉄男は龍造を殺そうとします。ヨシ兄が龍造をかばい、鉄男はヨシ兄を拳銃で射ちます。 龍造はヨシ兄が入院した翌日の早朝、秋幸の目の前で縊死し、ヨシ兄も死にます。

 秋幸は路地の跡地の草原に火を放ちどこかへと消えます。

参考文献

・高山文彦『中上健次の生涯 エレクトラ』

・網野善彦『無縁・公界・楽』

・山口昌男『知の祝祭』

コメント

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました