始めに
ドストエフスキー『地下室の手記』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、物語世界
ゴーゴリからバルザック風のリアリズムへ
ドストエフスキーはキャリアの初期には特に初期から中期のゴーゴリ(「鼻」「外套」)の影響が強く、『貧しき人々』も書簡体小説で、繊細かつ端正なデザインですが、次第に後期ゴーゴリ(『死せる魂』)やバルザック(『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』)のリアリズムから影響されつつ、独自のバロック的な、アンバランスなリアリズム文学のスタイルを確立していきます。
本作は初期から中期によく見える作中作の手記による語りの設定が展開されているものの、『罪と罰』に代表されるようなアンバランスな語り手の自意識の描写が見えます。
承認欲求と自意識を描くリアリズム
本作においては語り手の心理をリアリスティックに展開していきます。
ドストエフスキーは『罪と罰』では、理想と承認欲求と孤独を拗らせ、自己の存在価値を確かめるために無意味な殺人に走るラスコリニコフを描きました。『悪霊』では実践に根ざさない理想主義がカルト的なコミュニティを形成し、破滅的な顛末を辿るまでが描かれました。
本作でも自意識をこじらせた語り手の妄想と失敗がコミカルに描かれます。『罪と罰』のラスコリ二コフと違って、本作の語り手は保守主義者であるドストエフスキーの見解と重なる部分が大きいですが、そんな自分の分身的語り手を相対的に描いています。
チェルヌイシェフスキー批判
第 1 部では、語り手は決定論や、人間の行動を論理ではかろうとする試みやチェルヌイシェフスキーなどのユートピア思想に批判を展開しています。
語り手は、人類は (ニコライ=チェルヌイシェフスキー『何をすべきか』の水晶宮に象徴される) 皆が調和してくらすユートピアを作ろうとしているものの、人間は不合理な存在で選好や信念、行動はバリエーションがあるため、理性的エゴイズムによるユートピアは机上の空論としました。
理性的エゴイズムとは他人の利益(自分が所属する集団の利益)を促進するために行動する人は、最終的には自分自身の利益にも役立つという見通しで、ここに利他的なユートピアの契機をチェルヌイシェフスキーは見出したものの、保守主義者であるドストエフスキーは、このようなモデルは実際の実践における選好や行動の複雑性を看過しているとみてネガティブに捉えました。
チェルヌイシェフスキーはドストエフスキー嫌いのナボコフも『賜物』で風刺しています。
物語世界
あらすじ
四十歳の小官吏の主人公は、自意識を拗らせて職を辞めて地下の自室に籠り手記を書いています。
手記の第一部では、合理的人間観と理性による社会改革の可能性を否定し、人間の本性は非合理性にあると言います。ユートピア社会は苦しみや痛みを取り除くものの、人間は両方を望み、幸せになるためにそれらを必要とすると語り手は考えます。社会から痛みや苦しみを取り除くことは人間の自由を奪うのです。
地下人は、チェルヌイシェフスキーがユートピア社会の基盤として提唱する理性的エゴイズムを嘲笑し、これに頼る文化システムや立法システムという考えこそが、語り手が軽蔑するものです。そのような理想に抗い、単に自分の存在を正当化し、個人として存在しているのが語り手自身だと話します。
正義が重要であると信じているため、語り手は自分の問題を自覚しており、復讐したいという欲求を感じていますが、それを美徳とは思っていません。
第二部では、かつての経験を語ります。まずかつてパブで自分を侮辱した警官に執着していることが語られます。この警官は、通りで頻繁に彼とすれ違います。語り手は通りで警官を見て、復讐の方法を考え、借金をして高価なコートを購入し、対等であることを示すためにわざと警官にぶつかります。しかし、警官はそれが起こったことにさえ気付いていないようです。
次に、旧友の送別会について語ります。市内から転勤する友人の 1 人、ズヴェルコフに別れを告げます。周囲は時刻が 5 時ではなく 6 時に変更されたことを語り手に伝えなかったので、語り手は早めに到着します。しばらくして語り手は 参加者4 人と口論になり、社会に対する憎悪を全員にぶつけ、彼らを社会の象徴といいます。最後に、他の参加者は語り手を残して売春宿に行き、地下の男は怒りに駆られて、彼らを追いかけます。語り手が売春宿に到着すると、ズヴェルコフと他の人たちはすでに売春婦と一緒に他の部屋にいました。そこで語り手は若い売春婦のリザに遭遇します。
物語は、リザと語り手が暗闇の中で一緒に静かに横たわっている場面に切り替わります。リザの個人的なユートピア的な夢に語り手が異議を唱え、彼女は自分の立場の窮状と、自分が徐々に役に立たなくなり堕落して、誰からも望まれなくなることを悟ります。ひどく不名誉な死を遂げるという考えは、リザに自分の立場を悟らせ、そして、語り手が社会の性質を理解していることにリザは魅了されます。彼は彼女に住所を伝え、立ち去ります。
その後、語り手は、リザから「英雄」のように思われた後、彼女が自分の荒れ果てたアパートに実際にやって来るのではないかという恐怖に襲われ、本当に召使いと口論している最中にリザがやって来ます。語り手はリザを罵倒し、自分がリザに言ったことを撤回し、実は彼女を笑っていたと言い、リザの惨めな立場の真実を繰り返します。語り手はただリザに対して権力を持ち、彼女を辱めたいと思っていただけだと言った後、涙を流します。語り手は自分自身を批判し始め、実際は自分の貧困に恐怖し、自分の状況に恥ずかしさを感じていると言います。リザは語り手がいかに哀れであるかに気づき、優しく彼を抱きしめます。
語り手はリザに対してひどい態度をとり、彼女が立ち去る前に、 5 ルーブル紙幣を押し付け、リザはそれをテーブルに投げます (セックスの対価か)。語り手はリザが通りに出るときに追いかけようとしますが、彼女を見つけることはできず、彼女からの連絡は二度とありません。彼は「空想」することで心の痛みを止めようとします。
語り手はこの瞬間を思い出すたびに不幸になるものの、社会に対する自分の憎悪と行動力のなさは結局、自分が軽蔑しているはずの人々と何ら変わらないということを伝えます。
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・マーティン=スコセッシ監督『タクシー=ドライバー』:本作のオマージュ。
参考文献
・桑野隆『バフチン』
・トロワイヤ『ドストエフスキー伝』
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