始めに
モリエール『病は気から』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
モリエールの作家性
モリエールに最も直接的な影響を与えたのは、当時パリで活動していたイタリアの劇団です。ティベリオ=フィオリッリから、モリエールは身体表現やコミカルな動きを学びました。
また古典主義の時代だったため、ギリシャ・ローマの古典は必須の教養でした。モリエール『守銭奴』は、プラウトゥスの『黄金の壺』を直接のモデルにしています。テレンティウスの洗練された会話やプロットの構成も、モリエールの性格喜劇の基盤となりました。
当時のフランス演劇界では、スペインの劇作法が流行していました。稀代の女たらしを描いた『ドン・ジュアン』の元ネタは、ティルソ・デ・モリーナ『セビリアの色事師と石の招客』です。またロペ・デ・ベガの複雑なプロットやどたばた劇からも影響があります。
コルネイユは悲劇で有名ですが、初期の喜劇(『嘘つき男』など)は、モリエールが風俗喜劇を確立する上での重要なヒントとなりました。加えてフランス土着の荒削りな笑いも大切にしていました。これが、知的な風刺とドタバタ劇を融合させるモリエール独自のスタイルに繋がっています。
タイトルの意味
主人公アルガンにとって、病気は単なる苦痛ではなく自分は何者かを証明するための手段になっています。彼は健康であることよりも、医者に認められた病人という役割を演じることに執着します。病気でいることで周囲の関心を引き、家庭内での支配権を握ろうとする心理が描かれます。
当時の医学界に対する風刺は、この作品の最も強力なエンジンです。 劇中の医師たちは難しいラテン語や専門用語を羅列しますが、実際には患者を治す力を持っていません。新しい発見(血液循環説など)を拒み、古い教条に固執する態度は、思考停止に陥った知識人階級への批判でもあります。
虚栄の風刺
この劇では、多くの登場人物が演技をしています。 アルガンの後妻ベラルドは、愛を語りながら彼の財産を狙う偽りの象徴です。逆に、女中トゥワネットや娘アンジェリックは、アルガンに死んだふりをさせるという偽りの装置を使って、周囲の人間たちの本音を暴き出します。最終的に、アルガン自身が医者の格好をして医者のフリをすることで物語が解決するという結末は、形式さえ整えば中身はどうでもいいという社会の空虚さを皮肉っています。
モリエールが自身の死を目前にしてこの劇を書いたという背景を考えると、これは死への恐怖を笑いに変えるという壮大な試みでもあります。アルガンは死を極端に恐れるあまり、かえって死を連想させる医療(浣腸や瀉血)に依存します。
生のエネルギーに満ちた喜劇という形をとることで、人間が避けられない死という不条理を笑い飛ばそうとする実存的な力強さが感じられます。
物語世界
あらすじ
第1幕:主人公アルガンは、健康そのものなのに自分は病気だと信じ込み、毎日大量の薬を摂取しては、その請求書の計算に明け暮れる資産家です。彼は、自分の主治医の甥であるトマ=ディアフォワリュスという医学生を、娘アンジェリックの結婚相手に決めます。その理由は、「身内に医者がいれば、いつでも無料で診察や治療をしてもらえるから」という極めて身勝手なものでした。しかし、娘にはすでにクレアントという想い人がいました。
第2幕:アルガンの後妻ベラルドは、彼を献身的に介護するフリをしていますが、本心では彼の遺産を狙っています。彼女はアルガンをそそのかし、娘を修道院に入れて財産を独り占めしようと画策します。一方、結婚相手として現れた医学生トマは、古い教科書の知識を暗唱するだけの、融通の利かない歩く百科事典のような男でした。アルガン以外の誰もが彼を馬鹿げていると感じますが、アルガンだけはさすが医者だと感銘を受けてしまいます。
第3幕:機転の利く女中トゥワネットとアルガンの弟ベラルド(後妻と同名ですが別人)は、アルガンの目を覚まさせるために一芝居打ちます。トゥワネットが名医に変装して現れ、デタラメな診断を下して医学の盲点を突いた後、アルガン死んだふりをさせて周囲の反応を見るよう提案します。後妻は夫が死んだと思った途端、やっとあの汚らわしい男が死んだと狂喜乱舞し、金庫の鍵を探し始めます。娘は父の死を心から嘆き、恋人との結婚も諦めて父の冥福を祈ろうとします。これを見たアルガンは飛び起き、後妻を追い出し、娘の結婚を許します。ハッピーエンドに向かいますが、アルガンの病気への執着だけは治りません。そこで弟は「お前自身が医者になればいいんだ。ガウンを着て、ラテン語のデタラメな呪文を唱えれば、それだけで立派な医者になれる」と提案します。最後は、アルガンが医者の仲間入りをするというナンセンスな祝祭のダンスで、物語は幕を閉じます。




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