始めに
イプセン『ペール=ギュント』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
イプセンの作家性
イプセンの作品に流れる個の追求や社会的妥協への拒絶は、キルケゴール、ブランデスたちの影響が色濃いと言われています。初期の傑作『ブランド』は、キェルケゴール的な精神を体現した人物像と言われています。ゲオルグ=ブランデスはデンマークの批評家で、文学が社会問題を議論に付すことを提唱しました。彼の講演に触発され、イプセンはロマン主義的な作風から、社会の虚偽を暴く写実主義へと大きく舵を切ることになります。
劇作家としての技法において、彼は伝統的な手法を学び、それを解体・再構築しました。ヘルマン=ヘットナー『18世紀の現代ドラマ』は、イプセンが歴史劇から現代劇へ移行する際の理論的支柱となりました。内面的な心理の葛藤をどう描くかという視点を与えたと言われています。
若き日のイプセンはシェイクスピアの史劇に深く傾倒していました。性格描写の深みや、詩的な台詞回しは、初期の韻文劇にその名残が見られます。
ウジェーヌ=スクリーブの当時流行していたフランスの「よく練られた劇(Well-made play)」の構成術を学びました。イプセンは後にこの形式を批判しつつも、その精緻な伏線回収や構成のテクニックを吸収しリアリズム演劇へと昇華させました。
ビョルンスティエルネ=ビョルンソンはノルウェーの国民的作家であり、友人でありライバルです。二人は互いに刺激し合いながら、ノルウェー文学をヨーロッパの第一線へと押し上げました。
ペールの生の哲学
劇中でペールは、人間とトロールの生き方の違いを突きつけられます。人間の道は汝自身であれ、トロールの道は自分自身に満足せよ、ということ。
ペールは一生を通じて、自分を高める自分自身であることから逃げ、ただ欲望のままに「自分さえ良ければいいというトロールの生き方を選択し続けます。彼は自由を求めているようでいて、実はエゴイズムの奴隷になっているという皮肉が描かれています。ペールは貧しい現実を直視できず、常に壮大なホラ話や空想の世界に逃げ込みます。彼にとって物語は自分を大きく見せるための手段ですが、それが結果として彼を現実の責任から遠ざけ、中身のない空虚な人生へと導いてしまいます。
物語の終盤、老いたペールは玉ねぎの皮をむきながら自分自身の人生を振り返ります。皮をいくらむいても芯が出てこない。これは、彼がその時々の状況に合わせて自分を偽り、表面的な役割を演じてきただけで、本当の自分という核が存在しないことを象徴しています。
最終的に、彼を破滅から救うのは、彼を待ち続けた女性ソルヴェイグです。本当のペールはどこにいたのか、という問いに対し、彼女は「私の希望、私の信仰、私の愛の中にいた」と答えます。自分勝手に生きたペールが、他者の愛の中にのみ自分の存在価値を見出すという、救済の物語で幕を閉じます。
物語世界
あらすじ
主人公のペール=ギュントは、没落した一家の息子。働くのが嫌いで、いつもホラ話ばかりして母オーセを困らせています。
村の結婚式に乱入したペールは、花嫁イングリをさらって山へ逃げますが、すぐに飽きて彼女を捨ててしまいます。山中で「山の魔王」の娘と出会い、トロールの世界へいきます。そこで自分自身に満足せよ(自分勝手に生きろ)という教えを植え付けられます。
純真な娘ソルヴェイグと愛し合いますが、自分の過去の罪である魔王の娘との間にできた醜い子供に怯え、彼女を置き去りにして海外へ逃亡します。逃亡前、死の間際の母オーセのもとへいきます。彼は得意のホラ話で、死にゆく母を天国の門まで馬車で送る幻想を見せながら看取ります。
数十年後、中年のペールはモロッコの海岸にいます。奴隷貿易や武器商人で大成功し、成金になっています。しかし、仲間に裏切られて財産を失います。砂漠で預言者になりすまし、部族の娘アニトラを誘惑しますが、またしても金品を奪われて逃げられます。エジプトのスフィンクスの前で自分とは何かを問い続け、最後には精神病院で自己の王として祀り上げられるという皮肉な経験をします。
老いたペールは、ようやく故郷ノルウェーへ戻る船に乗りますが、船は難破。命からがら海岸に辿り着きます。そこで死神のような「ボタン作り」が現れます。そして、お前は善人でも悪人でもない中途半端なクズだから、溶かしてボタンの材料(ただの塊)にしてやると言われます。ペールは自分が自分であった証拠を探して奔走しますが、玉ねぎの皮をむくように、自分の人生には芯がないことに絶望します。
最後の最後、かつての小屋に辿り着くと、そこには白髪になったソルヴェイグが彼を待っていました。彼女の愛と信仰の中にこそ、本当のペールが存在していたことが分かり、彼は彼女の膝元で安らかに目を閉じます。



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