始めに
アルツィバーシェフ『サーニン』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
アルツィバーシェフの作家性
アルツィバーシェフの作風を支える絶望と自己肯定の根源は、ドイツ哲学にあります。代表作『サーニン』の主人公は、まさにニーチェ的個人主義を極端な形で体現したキャラクターです。ショーペンハウアーにおける世界を意志と表象として捉える悲観主義は、生の虚無感や、逃れられない欲望の苦しみといったトーンが影響します。シュティルナーの徹底したエゴイズム、唯一者としての自己を重視する姿勢は、アルツィバーシェフの描く極端な個人主義に反映されています。
当時のロシア作家の例に漏れず、先行する巨匠たちの影は巨大でした。アルツィバーシェフは初期、トルストイの思想に心酔していました。しかし、晩年のトルストイが説いた禁欲や非暴力に対し、彼は肉体の解放と自己の欲求への忠実さを対置させることで、激しく反動しました。人間の心理の深淵、特に「地下室の手記」に見られるような自意識の過剰さや、極限状態での精神の揺らぎをドストエフスキーから継承しています。
自然主義とヨーロッパ文学から、社会の暗部や人間の動物的な側面を冷徹に描く手法も取り入れています。ゾラ、モーパッサンから刺激されました。
伝統批判
主人公サーニンは、国家、家族、友情、政治的理想といった自己の外側にある価値観をすべて否定します。他人のために犠牲になることを愚かとし、徹底的に自分の欲求に従います。ニーチェの思想を、より日常的で即物的なレベルに落とし込んだような生き方です。
当時主流だった禁欲的なキリスト教道徳や、トルストイ的な精神主義を真っ向から否定しました。性欲を自然なものとし、そこに罪悪感を持つことこそが不自然であると説きます。難解な哲学をこねくり回すよりも、美しい肉体や太陽の光、酒や女を楽しむことの中に真実があると考えました。
サーニンの周囲には、絶望して自殺するインテリ青年たちが登場します。彼らとの対比が、作品の重要なテーマです。理屈で世界を解釈しようとする者は、世界の矛盾に耐えられず自滅します。サーニンは、文明に毒されていない自然児のような強靭さを持って描かれています。一見、楽天的な快楽主義に見えますが、その根底には世界には何の意味もないという深い虚無感があります。
物語世界
あらすじ
物語は、1905年のロシア革命が失敗に終わり、重苦しい閉塞感と絶望が漂うロシアの地方都市を舞台に展開します。そこに、数年ぶりに故郷へ戻ってきた青年ウラジーミル=サーニンが、嵐のように既存の道徳をなぎ倒していく物語です。
主人公サーニンは、美男子で強靭な肉体を持ち、何事にも動じない自信に満ちた青年です。彼が故郷に戻ると、そこには将来への希望を失い、退屈な議論に明け暮れるインテリの若者たちがいました。
サーニンは彼らの高尚な議論をくだらないと一蹴し、自分の欲望に忠実になれと説きます。彼の極端な個人主義は、周囲の人間関係をかき乱していきます。
物語の大きな柱の一つが、サーニンの妹リーダをめぐるエピソードです。リーダは軍人のザルーディンに弄ばれ、妊娠してしまいます。当時の社会では、未婚の妊娠は絶望的な不名誉であり、リーダは自殺を考えます。
しかし、サーニンは動じません。彼は「不名誉なんて幻想だ。子供ができたなら産めばいいし、嫌なら始末すればいい。死ぬ必要なんてどこにある」と、冷徹なまでに合理的なアドバイスを送り、彼女を救います。同時に、ザルーディンを力で圧倒し、自殺へ追い込みます。
サーニンと対照的に描かれるのが、思索型の青年ユリーです。彼は人生の意味や道徳について悩み抜き、サーニンの快楽主義に反発しながらも、自分の弱さに絶望していきます。
結局、ユリーは生の意味を見出せず、ピストル自殺を遂げます。サーニンは彼の葬儀ですら、死んだ奴のことはどうでもいい、俺は生きて太陽を楽しみたい、という態度を崩しません。
物語のラスト、サーニンは列車に乗って町を去ります。しかし、途中で窮屈な客車の中に耐えられなくなり、走行中の列車から飛び降ります。彼は昇りゆく太陽に向かって、広大な平原を一人で歩き出します。




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