始めに
アイン=ランド『肩をすくめるアトラス』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ランドの作家性
ランドは文学における自分のお気に入りはロマン主義であると公言していました。ユーゴーはランドが絶賛した人物です。ユーゴーの描く英雄的な人物像や善悪の壮大な対立は、ランドの作品の構成に決定的な影響を与えました。彼女はユーゴーの抽象的なテーマを具体的なドラマに落とし込む手法を継承しています。ランドは、ロスタンのシラノの持つ不屈の精神や妥協を許さない自尊心を、自らが理想とする人間の魂の象徴として愛しました。
ランドは、自分に影響を与えた哲学者はたった一人、アリストテレスしかいないと断言しています。特に矛盾律という論理学の基礎を、彼女は自らの哲学の第一原理として採用しました。アリストテレスの理性こそが現実を把握する唯一の手段であるという考え方が、客観主義の土台となっています。
若い頃のランドは、ニーチェの超人思想や個人の卓越性を称揚する姿勢に強く惹かれました。処女作『われら生きるもの』の初期稿にはその影響が色濃く残っています。しかし、後に彼女はニーチェの非合理主義や力への意志が客観的道徳に欠けるとして、彼を厳しく批判し、距離を置くようになりました。
イザベル=パターソンは『機械の神』の著者であり、ランドの重要な友人・メンターでした。パターソンからアメリカの政治史や資本主義のメカニズムについて多くを学び、それが後の『肩をすくめるアトラス』における社会経済的な描写の裏付けとなりました。
リバタリアニズム
この物語の最大の特徴は、世界を動かしているのは、一握りの優れた知性と創造性を持つ個人であるという視点です。もし、発明家、経営者、芸術家といった能力のある人々が、自分たちを搾取する社会に愛想を尽かして姿を消したらどうなるか。ランドは、社会を支えるアトラス(ギリシャ神話で天を支える巨人)たちが肩をすくめて荷を下ろしたとき、世界は崩壊するという結末を描きました。
ランドは、自分の幸福を追求することこそが最高の道徳的目的であると主張しました。他人のために自分を犠牲にすることを悪とし、自分の能力を最大限に発揮し、正当な対価を得ることを善と定義しています。作中の名言「私は、他人のために生きることも、他人に私のために生きることを求めることも決してしない」にこの思想が凝縮されています。
資本主義とは
物語の重要な概念に犠牲者の同意があります。能力のある者が、無能な者や略奪者から不当な要求を飲まされているのは、実は能力のある者自身がそれを道徳的だと認めてしまっているからだ、という指摘です。主人公たちはこの同意を撤回し、自分たちの価値を認めない世界への協力を拒否します。
ランドにとって資本主義は単なる経済システムではなく、唯一の道徳的なシステムでした。力や必要性ではなく、価値と価値の交換によって人間が関わり合う唯一の形が自由市場であると説いています。
物語世界
あらすじ
舞台は、過度な政府規制と社会主義的な政策によって経済が衰退しつつあるアメリカ。鉄道会社タガート=トランスコンチネンタルの副社長ダグニー=タガートは、崩壊しかけている鉄道網を立て直そうと奔走します。彼女は、天才的な実業家ハンク=リアデンが開発した革新的なリアデン・メタルを使い、新路線の建設を強行します。
しかし、社会では「誰がジョン=ガルトか?(Who is John Galt?)」という、絶望と諦めを象徴する謎の言葉が流行し、なぜか世界中の有能な科学者や実業家たちが次々と姿を消していくという不可解な現象が起こります。
ダグニーは、姿を消した天才たちを追い、ついにその真相に辿り着きます。失踪した人々は、謎の人物ジョン=ガルトに導かれ、隠れ里ガルトの峡谷で自給自足のコミュニティを作っていました。彼らは、自分たちの知的能力を社会への義務として搾取し、規制で縛り付ける政府や大衆に対し、知性のストライキを起こしていたのです。
ダグニーは、崩壊していく現実世界を救いたいという執着と、ガルトたちが掲げる自由な個人の理想の間で激しく葛藤します。
政府の失策により、ついにアメリカの経済とインフラは完全に沈没します。ジョン=ガルトは全米のラジオ放送をジャックし、約3時間に及ぶ伝説的な演説を行います。彼は犠牲に基づく道徳を捨て、理性を唯一の指針とせよと宣言します。
物語のラスト、社会を支えていたアトラス(能力者たち)がいなくなった世界は暗闇に包まれ、文明は一度完全に停止します。
ダグニーもついにガルトたちと合流し、彼らは理性と自由な取引に基づく新しい世界の再建を誓って、物語は幕を閉じます。




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