始めに
コンスタンディノス・カヴァフィス『蛮族を待ちながら』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
カヴァフィスの作家性
カヴァフィスは一時期イギリスで過ごしており、初期は英文学の影響を強く受けていました。ロバート=ブラウニングからは特定の人物になりきって語る劇的独白の手法を学びました。これは後のカヴァフィスの歴史詩において、歴史上の人物に語らせるスタイルの基礎となりました。初期のロマン主義的な詩風はテニスンの影響が見られます。オスカー=ワイルドからは美を至上のものとする考え方や、退廃的なムード、社会の裏側に目を向ける姿勢に影響を受けました。
19世紀末のフランス文学も彼の血肉となっています。都市の憂鬱、倦怠、そして禁じられた愛や快楽を詩にする態度は、ボードレールの『悪の華』に通じるものがあります。ヴァルレーヌの音楽的で繊細な表現、そして情熱と悔恨が入り混じる叙情性に影響を受けました。
カヴァフィスにとって、歴史家は文学者と同等、あるいはそれ以上の影響源でした。プルタルコスの伝記『対比列伝』は、カヴァフィスの詩の最大のインスピレーション源の一つです。ギボン『ローマ帝国衰亡史』も精読していました。
E.M. フォースターはアレクサンドリアでカヴァフィスと出会い、彼の詩をヨーロッパに紹介しました。フォースターとの交流が、カヴァフィスのアレクサンドリアの詩人としての自覚を強めた側面もあります。
蛮族という解決
テーマは結びの言葉に集約されています。「蛮族が来ないとなると、我々はどうなるのだ。あの者たちは、一つの解決策であったのに」と。社会や国家が腐敗し、内側から崩壊しかけているとき、外敵の存在は、バラバラな国民を一つにまとめ、現状の不満を逸らすための便利な道具になります。市民も皇帝も、蛮族が来ることを恐れているフリをしながら、実は蛮族が来て、今の退屈で機能不全な日常をぶち壊してくれることを心のどこかで期待しているのです。
私たちは自分たちが文明人であると証明するために、野蛮な他者を必要とします。詩の中では、元老院議員も皇帝も、最高級の正装をして蛮族を迎えようとします。これは蛮族に見せつけるための虚飾です。しかし、蛮族が来ないことが判明した瞬間、彼らは自分たちのアイデンティティを失い、深い当惑に陥ります。敵がいないと、自分が何者であるかも分からなくなってしまうというアイロニーが描かれています。
詩に登場する人々は、蛮族を待つことを理由に、本来やるべき仕事をすべて放棄しています。蛮族が来れば法律なんて変えてしまうだろうから今は何もしなくていいという責任転嫁と怠慢が、国家を停滞させています。これは現代社会においても、特定の敵や危機を煽ることで、国内の問題から目を逸らさせる政治手法への鋭い風刺として読み解かれます。
物語世界
あらすじ
カヴァフィス『蛮族を待ちながら』は、問いかけと答えで進んでいく演劇的な構成の詩です。ある都市の広場で、人々が集まって何かを待っています。元老院は機能しておらず、議員たちはただ座っています。
なぜ議員たちは仕事をしないのかという問いに対し、今日蛮族がやってくるからだという答えが返ってきます。蛮族が来れば法律など無意味になるので、今は立法する必要がないという理屈です。
街の門では、皇帝が玉座に座り、王冠を戴いて待機しています。執政官や法官たちも、普段は見せないような豪華な刺繍の施されたトガ(正装)をまとい、輝く宝石を身につけています。
なぜそんなに熱心に静まり返っているのかという問いには、蛮族は、こういう派手な虚飾に圧倒されるはずだからだと答えられます。
いつもなら演説をぶつ弁論家たちも、今日に限っては一言も発しません。それは蛮族は雄弁な言葉を嫌うからです。彼らが来れば、言葉による議論など何の意味も持たなくなると誰もが悟っています。
やがて夜になり、街に動揺が走ります。国境から戻ってきた人々が蛮族はどこにもいなかったと報告したのです。人々は深く落胆し、うつむきながら家路につきます。そして、最後の一節でこの詩の真実が語られます。「蛮族が来ないとなると、我々はどうなるのだ? あの者たちは、一つの解決策であったのに」と。




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