始めに
ジョン=バース『キマイラ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
バースの作家性
バースを語る上で最も欠かせないのが、アルゼンチンの作家ボルヘスです。バースの有名なエッセイ『枯渇の文学』は、ボルヘスの手法を称賛したものです。
バースは物語を語ることと生きることを同一視していました。『千夜一夜物語』の語り手シェヘラザードは、彼にとって最大のヒーローの一人です。代表作『キマイラ』では、彼女を直接登場させているほどです。語り続けることで死を先延ばしにするという構造は、バースの小説の核となっています。
バースは19世紀的な写実主義よりも、その前段階にある型破りな形式を好みました。ローレンス=スターン『トリストラム・シャンディ』で見られる、脱線だらけで一向に話が進まないメタ的な構成は、バースの遊び心あふれる文体のルーツです。セルバンテス『ドン・キホーテ』における虚構と現実の境界が曖昧になる感覚を、バースは現代的にアップデートしました。
モダニズムの巨匠たちからも刺激されました。ジョイスやベケットの形式主義的実験から影響されました。
メタフィクション。語りの構造
『キマイラ』の最大のテーマは、物語はいかにして語られるかというプロセスそのものです。第一部ドニアザーディアドでは、現代の作家(バース自身を思わせる「精霊」)が過去にタイムスリップし、『千夜一夜物語』のシェヘラザードにこれから彼女が語るはずの物語を教えるという、奇妙な入れ子構造が登場します。登場人物たちが、自分たちが物語の中の存在であることを自覚し、その形式やパターンに苦悩したり、それを利用しようとしたりします。
バースの持論である既存の形式は使い果たされたという認識が色濃く反映されています。新しい物語を生み出すのが難しい時代に、あえて古びた神話という形式を借り、それをパロディ化したり、裏側から描いたりすることで、文学の新しい可能性を模索しています。
第二部、第三部では、ギリシャ神話の英雄ペルセウスとベレロフォンが主人公ですが、彼らは全盛期を過ぎた中年として描かれます。 彼らはかつての栄光をもう一度と願い、神話的な英雄のパターンを強迫観念のようになぞろうとします。
特にベレロフォンは、自分が本物の英雄ではなく、単なる英雄の模倣者に過ぎないのではないかという不安に苛まれます。これはオリジナリティとは何かという創作上の問いでもあります。『千夜一夜物語』がベースにある通り、語り続けなければ殺されるという状況が、創作の比喩として使われています。物語を語ることは、相手を魅了し、関係を結ぶことであり、語りが止まることは死を意味します。バースにとって、小説を書くことはまさに生きるための執念そのものです。
物語世界
あらすじ
『キマイラ』は、3つの中編からなるオムニバス形式の小説です。それぞれが独立した物語でありながら、物語ることで絶望から逃れるという共通の糸で結ばれています。
・ドニアザーディアド:『千夜一夜物語』の裏側を描いた物語です。語り手シェヘラザードは、王を満足させる物語が尽きかけて絶望しています。そこへ現代から「精霊(ジニー)」と名乗る作家(バース自身の投影)がタイムスリップして現れます。この作家は未来で『千夜一夜物語』を読んでいるため、結末を知っています。彼はシェヘラザードに、君が未来で語ることになっている物語を逆輸入して教えるという奇妙な協力関係を結びます。妹のドニアザードの視点から、物語がいかにして女性たちの命を救い、権力構造を逆転させたかが語られます。
・ペルセイアド:メドゥーサを退治した英雄ペルセウスのその後を描いた物語です。 かつての英雄ペルセウスもいまや中年。妻アンドロメダとの冷え切った関係に悩み、自分はもう一度輝けるのかという中年の危機に陥っています。彼は自分の過去の栄光が描かれた神殿の壁画をたどりながら、再び不死を求めて旅に出ます。彼はかつて殺したメドゥーサと再会しますが、彼女は彼が思っていたような怪物ではありませんでした。ペルセウスは過去を反復するのではなく、螺旋状に進化することを選択し、最後には星乙女とともに星座となって永遠の命を得ます。
・ ベレロフォニアド:天馬ペガサスに乗った英雄ベレロフォンの物語です。ベレロフォンは、先行するペルセウスの成功を強く意識しています。彼は英雄たるもの、こうあるべきだという英雄のパターンが書かれた教科書を忠実に守り、完璧な英雄になろうと執着します。しかし、彼は自分は本物の英雄ではなく、ただの模倣者ではないかという疑念に突き動かされています。無理にパターンをなぞろうとする彼の旅は、喜劇的で混沌としたものになっていきます。完璧な英雄になれなかった彼は、最終的に物語そのものへと変貌します。彼自身が文字になり、紙になり、私たちが今読んでいるこの『ベレロフォニアド』という文書そのものになって完結するという、強烈なメタフィクション的結末を迎えます。




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