始めに
ジョン=バース『旅路の果て』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
バースの作家性
バースを語る上で最も欠かせないのが、アルゼンチンの作家ボルヘスです。バースの有名なエッセイ『枯渇の文学』は、ボルヘスの手法を称賛したものです。
バースは物語を語ることと生きることを同一視していました。『千夜一夜物語』の語り手シェヘラザードは、彼にとって最大のヒーローの一人です。代表作『キマイラ』では、彼女を直接登場させているほどです。語り続けることで死を先延ばしにするという構造は、バースの小説の核となっています。
バースは19世紀的な写実主義よりも、その前段階にある型破りな形式を好みました。ローレンス=スターン『トリストラム・シャンディ』で見られる、脱線だらけで一向に話が進まないメタ的な構成は、バースの遊び心あふれる文体のルーツです。セルバンテス『ドン・キホーテ』における虚構と現実の境界が曖昧になる感覚を、バースは現代的にアップデートしました。
モダニズムの巨匠たちからも刺激されました。ジョイスやベケットの形式主義的実験から影響されました。
実存的苦悩
主人公ジェイコブ=ホーナーが抱える精神的症状宇宙眼が、作品のテーマです。あらゆる物事を宇宙的な視点から見つめてしまうため、どの選択肢も等価値に思え、椅子から立ち上がることさえできなくなる意志の麻痺を描いています。絶対的な価値観が失われた世界で、人間はどうやって動く理由を見つけるのか、という問いが突きつけられます。
謎の医者がホーナーに授ける治療法が神話療法です。人間には核となる人格などない。あるのは状況に応じた役割だけだ、という考え方です。自分を特定のキャラクターだと思い込むことで、麻痺から脱しようとする試みは、同時に本当の自分の喪失という皮肉な結果を招きます。
タイトルの意味
ホーナーとは対照的な人物として、同僚のジョー=モーガンが登場します。ジョーは徹底した合理主義者であり、夫婦関係から道徳まで、すべてを論理と合意で割り切れると信じています。ホーナーの空っぽな虚無とジョーの過剰な理性が、ジョーの妻レニーを巻き込んで衝突したとき、理屈では制御できない悲劇が起こります。
バースはこの作品で、インテリたちが繰り広げる思考のゲームがいかに脆いかを暴いています。主人公たちは饒舌に議論し、分析し合いますが、最終的には一人の女性の死という物理的な事実の前に、彼らの言葉は完全に無力化されます。タイトルの『旅路の果て』は、こうした思考や理屈が通用しなくなる終着点を暗示しています。
物語世界
あらすじ
物語は、主人公ジェイコブ=ホーナーが、ボルチモアの駅で「宇宙眼(コスモプシス)」に陥り、一歩も動けなくなっているところから始まります。彼は何を選んでも意味がないという無力感に囚われていました。
そこへ、怪しげな医者が現れ、彼を自分の診療所に連れて行きます。医者はホーナーに「神話療法(ミソセラピー)」を処方します。これは、確固たる自分など捨てて、状況に合わせて適当な役割を演じて生きろ、という荒治療でした。
医者の指示で、ホーナーはメリーランド州の大学で英文学を教えることになります。そこで彼は、歴史学者のジョー=モーガンとその妻レニーに出会います。ジョーは徹底した合理主義者で、感情に流されず、妻との関係もすべて論理的な合意に基づいていると信じている男です。レニーはジョーを崇拝し、彼の理性的なルールに従って生きようとする女性です。ホーナーは、この完璧に理性的な夫婦に興味を持ち、彼らの生活に入り込みます。
ある日、ホーナーとレニーは、ジョーが一人でいる時に見せる滑稽で人間臭い姿(鼻をほじりながら変な顔をするなど)を目撃してしまいます。ジョーの絶対的な理性が揺らいだ隙に、ホーナーとレニーは衝動的に不倫の関係を持ってしまいます。
ジョーは不倫を知っても、怒り狂うのではなくなぜそうなったのかを3人で徹底的に議論し、分析しようとします。しかし、この言葉による解決の試みが、事態をさらに泥沼化させていきます。
やがて、レニーの妊娠が発覚します。父親がホーナーかジョーかわからない状況で、レニーはもしジョーの子でなければ自殺すると言い出し、中絶を望みます。
ホーナーは必死で医者を探し出し、違法な中絶手術を依頼します。しかし、手術中にレニーは嘔吐し、その吐瀉物を喉に詰まらせてあっけなく窒息死してしまいます。
ジョーは大学を追われ、愛する妻を失い、その理性は崩壊します。ホーナーは、自分の役割遊びが招いた取り返しのつかない悲劇を前に、再び深い虚無に襲われます。
彼は医者の後を追い、タクシーに乗ってターミナルへと向かいます。そこで彼が口にする最後の言葉は「タクシー」という、もはや何の感情も意味も持たない記号的な一言でした。



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