始めに
デュラス『モデラート・カンタービレ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
デュラスの作家性
デュラスが最も初期に影響を受けたのがスタンダールです。登場人物が抱く情熱や、心理描写、ロマン主義はスタンダール譲りと言えます。
ヘミングウェイからは、ハードボイルド風の端正な描写に影響が見えます。プルーストからは代表作『ラマン(愛人)』に見られるような、過去と現在が混濁し、記憶の断片を繋ぎ合わせる手法における影響が見えます。
またデュラスはアラン=ロブグリエらを中心としたヌーヴォーロマンの運動に一時的に身を置き、影響されます。
エロスとタナトス。タイトルの意味
主人公アンヌ=デバレートは、資産家の妻として何不自由ない生活を送っていますが、その内実は息の詰まるような退屈に支配されています。彼女がカフェで労働者のショヴァンと会う行為は、階級という境界線を越える逸脱です。目の前で起きた男が愛する女を殺した事件に執着するのは、彼女自身が死に至るほどの激しい情熱を、自分の空虚な生活の中に求めているからです。
この小説の核心にあるのは究極の愛は死によってのみ完成するというエロスとタナトスの結びつきです。アンヌとショヴァンは、実際に起きた殺人事件を言葉で再構築していくことで、自分たちの関係をその悲劇的な結末へと近づけていきます。二人は肉体的に結ばれるのではなく、酒を飲み、言葉を重ねるという儀式を通じて、精神的な心中を試みます。
タイトルの「中くらいの速さで、歌うように」という音楽用語は、作品の構造そのものを象徴しています。ピアノのレッスンで子供が強いられる「規律(モデラート)」と、心の底から溢れ出す「歌(カンタービレ)」の対立です。物語は淡々と進みますが、その内側ではアンヌの平穏な日常が、叫び声やワインの酔いとともにゆっくりと崩壊していきます。
物語世界
あらすじ
フランスの小さな港町。資産家の妻であるアンヌ=デバレートは、幼い息子をピアノの先生のもとへ連れて行きます。息子が「モデラート・カンタービレ(中くらいの速さで、歌うように)」という指示を無視して練習を拒んでいる最中、近くのカフェから女の凄まじい悲鳴が聞こえます。
外に出ると、一人の男が自分が殺したばかりの女の死体に覆いかぶさり、狂ったように接吻していました。アンヌはこの愛ゆえの殺人に強く惹きつけられます。
翌日から、アンヌは取り憑かれたように現場のカフェを訪れるようになります。そこで彼女は、以前夫の工場で働いていたという男、ショヴァンと出会います。
二人はワインを飲みながら、あの日起きた殺人事件について語り合います。なぜ男は女を殺したのか、二人の間に何があったのか。確かな事実は何一つないまま、二人は想像だけで事件の輪郭を埋めていく対話の儀式を繰り返します。
アンヌはショヴァンとの密会を重ねるごとに、ワインに溺れ、母親としての義務や上流階級の節度を失っていきます。ショヴァンとの対話は、いつしか自分たち自身を殺した男と殺された女になぞらえるような、擬似的な心中の様相を呈していきます。
ある晩、アンヌの自宅で豪華な晩餐会が開かれます。しかし、ショヴァンと会って深酒をしていたアンヌは、大幅に遅刻したうえにひどく酔っ払って現れます。
着飾った客たちが優雅に食事を楽しむ中、アンヌは吐き気に耐えながら、自分が住む世界の虚飾に耐えられなくなります。彼女の異様な様子に、夫や周囲は当惑し、彼女の社会的地位は完全に崩壊します。
後日、アンヌは再びカフェでショヴァンと会います。二人の「ごっこ遊び」は終わりを迎えます。「もういい、行ってくれ」「死んでほしい」「これで、終わった」などと短い言葉を交わし、アンヌはカフェを去ります。それは、肉体的な死ではなく、彼女を縛っていた妻・母親・資産家の夫人という記号としての自分の死を意味していました。




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