始めに
ヘンリク・シェンキェヴィチ『クォ・ヴァディス』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
シェンキヴィッチの作家性
シェンキヴィッチの根底には、ポーランドの誇りと歴史を称えるロマン主義の精神が流れています。アダム=ミツキェヴィチはポーランド最大の詩人で、彼の愛国心やナショナリズムの表現は、シェンキヴィッチが歴史小説を書く際の精神的支柱となりました。ヤン=フリゾストム=パセクは17世紀の貴族による回想録の作者で、まシェンキヴィッチは彼の著作から、17世紀当時の生きたポーランド語の言い回しや風俗を学びました。
スコットの過去を舞台に冒険とロマンスを描く手法は、シェンキヴィッチのスタイルの原型です。アレクサンドル=デュマ=ペール 、ユーゴーからの影響も見て取れます。
シェンキヴィッチは一時アメリカに移住しており、その経験が彼の視野を広げました。ブレット=ハルトはアメリカの西部劇作家で、シェンキヴィッチは彼の短編に感銘を受け、初期の作品にはその影響が見られます。
ゾラの自然主義には批判的でしたが、現実を冷徹に観察する手法そのものは、彼の初期の現代小説やルポルタージュに反映されています。
キリスト教
本作の最大のテーマは、興隆するキリスト教と崩壊しつつある異教ローマ帝国の文明的・精神的衝突です。ローマ側は権力、富、享楽、そして暴力に象徴される物質文明ですが、内実は道徳的に腐敗し、末期的な虚無感に包まれています。
キリスト教側は愛、自己犠牲、許し、そして死後の希望に象徴される精神世界で、虐げられながらも、彼らはローマの権力者が持たない心の平安と真の強さを持っています。 最終的に、物理的な力では圧倒的なローマが、精神的な力に敗北していく過程が描かれています。
若き将軍ヴィニキウスと、キリスト教徒の王女リギアの恋愛を通じて、情欲から真実の愛への変容が描かれます。最初、ヴィニキウスはリギアを単なる所有物として欲望しますが、彼女の信仰に触れるうちに、利己的な愛が相手の幸せを願う献身的な愛へと進化していきます。この個人の魂の救済は、読者に人間はいかにして高潔になれるかという普遍的な問いを投げかけます。
ヒューマニズム
シェンキヴィッチがこの小説を書いた当時、彼の祖国ポーランドはロシア、ドイツ、オーストリアに分割占領されていました。キリスト教徒を迫害するネロは、当時のポーランドを弾圧する占領軍の暗喩でもありました。
弾圧に耐え、信仰を守り抜くキリスト教徒の姿に、シェンキヴィッチは不屈のポーランド魂を重ね合わせ、同胞を励まそうとしました。
タイトルの言葉は、伝説に基づいています。迫害を逃れてローマを去ろうとする使徒ペトロの前にイエスの幻影が現れます。ペトロが「主よ、どこへ行かれるのですか(Quo Vadis, Domine?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるなら、私はもう一度十字架にかかりにローマへ行く」と答えます。ここには指導者としての責任や苦難から逃げずに立ち向かう勇気というテーマが込められています。
美食家で審美眼を持つ貴族ペトロニウスの存在も重要です。彼はネロの宮廷で美を追求しますが、最終的にはその美意識が道徳なき権力と相容れないことを悟ります。美は善と切り離されたときにいかに無力で虚しいものになるか、という点もこの小説の深いテーマの一つです。
物語世界
あらすじ
舞台は西暦1世紀、暴君ネロが統治するローマ帝国。若き将軍ヴィニキウスは、リギア族の王女で人質としてローマにいるリギアに一目惚れします。彼は叔父である美の審判者ペトロニウスの知恵を借り、権力を使って彼女を強引に自分のものにしようとします。
しかし、リギアは熱心なキリスト教徒でした。彼女はヴィニキウスの独占欲を拒絶し、キリスト教徒たちの助けを借りて姿を消します。
リギアを血眼になって探すヴィニキウスは、ついに彼女が潜伏するキリスト教徒の秘密集会を突き止めます。彼は力ずくで彼女を連れ去ろうとしますが、リギアの護衛である大男ウルルスに返り討ちにされ、負傷します。
皮肉にも、傷ついた彼を介抱したのは、彼が憎んでいたキリスト教徒たちでした。彼らの献身的な愛と、使徒ペトロやパウロの教えに触れる中で、ヴィニキウスの傲慢な心は次第に解け、リギアを所有物ではなく一人の人間として愛するようになり、自らも洗礼を受けます。
二人の愛が実ろうとした矢先、狂気の皇帝ネロがローマに火を放ちます。燃え盛る街を眺めながら詩を吟じるネロ。燃え広がる火の責任を逃れるため、ネロはキリスト教徒が放火したという濡れ衣を着せ、彼らを大弾圧し始めます。
リギアも捕らえられ、監獄へ。ヴィニキウスは彼女を救うために奔走しますが、事態は最悪の方向へ進みます。
ついに処刑の日。円形闘技場の砂の上に、リギアは全裸で巨大な野牛の角に縛り付けられ、送り出されます。絶望するヴィニキウスの目の前で、忠臣ウルルスが素手で野牛と対決。奇跡的に野牛の首をへし折り、リギアを救い出します。
この圧倒的な光景と、死を恐れず祈りながら処刑されていく信者たちの姿に、観客たちは感動し、ネロへの不満が爆発します。ヴィニキウスとリギアはついに解放され、ローマを離れて幸せな生活へと旅立ちます。
物語の終盤では、主要な登場人物たちがそれぞれの信念に基づいた最期を迎えます。ペトロニウスはネロの寵愛を失ったことを悟り、自ら命を絶ちます。最期まで美しさを追求し、ネロの芸術的無能さを嘲笑する遺書を残しました。使徒ペトロはローマを去る途中でイエスの幻影に出会い、覚悟を決めてローマへ戻り、逆さ十字架にかかって殉教します。皇帝ネロは反乱が起き、孤独の中で自害します。




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