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コルネイユ『舞台は夢』解説あらすじ

コルネイユ
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始めに

コルネイユ『舞台は夢』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

コルネイユの作家性

 コルネイユの出世作であり、フランス演劇史上最大の論争を巻き起こした『ル・シッド』は、スペイン演劇から直接的な影響を受けています。ギリェン=デ=カストロ の戯曲『シドの青年時代』が『ル=シッド』の直接の種本です。スペイン特有の名誉と愛の葛藤というテーマをコルネイユは継承し、フランス流に洗練させました。​ロペ=デ=ベガからは、当時のスペイン黄金時代の演劇(コメディア)の自由な形式や、複雑なプロット構成から強い刺激を受けていました。


​ ​コルネイユは、ギリシャ悲劇よりもローマ文学の厳格さや政治性を好みました。セネカの悲劇、ルカヌスの叙事詩『内乱』などに感化されました。​リウィウス、タキトゥスなどローマの歴史家たちの記述から、国家と個人の葛藤という劇的テーマを掘り起こしました。


​ ​ジャン=メレは「三一致の法則(時・場・筋の統一)」をフランス演劇に定着させようとした人物で、コルネイユは当初これに懐疑的でしたが、メレとの論争や競争を通じて、古典主義的な規律を自身の劇作に取り入れていくことになります。​アレクサンドル=アルディはコルネイユ以前のフランス演劇界を支配していた多作な劇作家で、コルネイユは初期の喜劇において、アルディの通俗的な要素に示唆を受けました。

バロック喜劇の影響

 ​1636年に発表されたこの劇は、コルネイユの他の厳格な悲劇とは一線を画し、劇中劇の構造をとっています。


 行方不明の息子クリンドを捜す父親プリダマンが、魔術師アルカンドルを訪ねます。魔術師は洞窟の中で、息子のその後の人生を「幻影」として父親に見せます。 父親は、息子が恋の果てに殺される場面を見て絶望します。しかし、実はそれは劇団員になった息子が演じていた芝居の一場面だったという結末です。


​ ​この作品には、当時のバロック文学に共通する思想が見えます。​「人生は夢(La vida es sueño)」は、 スペインの劇作家カルデロン・デ・ラ・バルカの同名の傑作と共通するテーマです。目に見える現実は、実は儚い幻影に過ぎないのではないかという不安と驚きが根底にあります。また​「世界劇場(Theatrum Mundi)」はこの世は一つの大きな舞台であり、人間は皆そこで役割を演じている役者に過ぎない、という考え方です。劇中の父親は、目の前の出来事が真実だと思って一喜一憂しますが、それは巧妙に仕組まれた作り物です。


 また古典主義の現実味という堅苦しいルールを一時的に脇に置き、魔術や劇中劇といったトリッキーな手法を導入したのは、スペインの「コメディア」に見られる奔放な想像力をフランス流に消化した結果と言えます。


​ 魔術師アルカンドルは、父親プリダマンに息子の姿を見せてやると言います。観客もプリダマンと一緒にその「映像(劇中劇)」を見ますが、それが息子の実生活なのか息子の演技なのかについては、最後まで伏せられています。観客の視点は息子を心配する父親の隣に置かれます。登場人物と観客の情報量を一致させることが信頼できない語りによる叙述トリックになっています。

物語世界

あらすじ

 何年も前、厳格すぎる性格ゆえにひとり息子クリンドを追い出してしまった父親プリダマン。彼は年老いてから激しい後悔に襲われ、息子を捜し歩いています。


 ついに彼は、どんな遠くの出来事も映し出すことができるという凄腕の魔術師アルカンドルの洞窟を訪ねます。魔術師は「今の息子の姿を見せてあげよう」と言い、洞窟の幕を開けます。そこには、プリダマンの知らない息子の姿が映し出されます。 息子クリンドは、ある貴族の娘イザベルと恋に落ちていました。しかし、そこにはライバルや、法螺吹き男爵マタモールといった奇妙な面々が絡んできます。


  紆余曲折の末、クリンドは恋敵との争いで投獄されますが、イザベルの手助けで脱獄。二人は駆け落ちし、ハッピーエンドかと思われました。


​ ​魔術師が見せる次の場面では、クリンドはすっかり豪華な身なりをしていますが、妻イザベルを裏切り、別の貴婦人と不倫をしています。


​ 怒った貴婦人の夫が放った刺客により、クリンドは父親の目の前で無残に刺し殺されてしまいます。

 目の前で息子の死を見せられたプリダマンは、「私が追い出したばかりに」と半狂乱になって泣き崩れます。そのまま息絶えんとするプリダマンに対し、魔術師アルカンドルは平然と笑って「落ち着きなさい。息子さんはピンピンしていますよ」といいます。


 ​再び幕が開くと、そこには死んだはずのクリンドが仲間たちと楽しそうに給料を分け合っている姿がありました。プリダマン(と観客)が今まで見ていたのは息子の実生活ではなく、役者になった息子が舞台で演じていた悲劇だったのです。


  息子が「卑しい役者」になったと知って最初は戸惑うプリダマンですが、魔術師に今や演劇は最高の娯楽であり役者は立派な職業だと説得され、息子の成功を喜んで幕を閉じます。

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