始めに
フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ルルフォの作家性
ルルフォへの影響を語る上で、最も外せないのがフォークナーです。意識の流れ、複数の語り手、断片的な時系列といった手法を継承します。フォークナーがアメリカ南部のヨクナパトーファ郡を描いたように、ルルフォは架空の町コマラを通じて、土地に縛られた人々の業や血縁の悲劇を描きました。
ルルフォは北欧文学に深く傾倒していました。クヌート=ハムスンの代表作『飢え』や『パン』に見られる、孤独、自然との対峙、そして内面的な飢餓感から感化が見えます。ハルドル=ラクスネスに見えるアイスランドの過酷な自然と、そこで生きる人々の孤独を描くラクスネスのスタイルを継承します。
フランスの作家ジャン=ジオノも、ルルフォが愛読した一人です。ジオノはプロヴァンスの農村を舞台に、叙情的かつ神話的な物語を紡ぎました。
ロシア文学の影響もあります。特にアントン=チェーホフのミニマリズム、ペーソスから刺激されました。
死と救済
テーマは「死」が終わりではなく、ひとつの状態として継続している点です。舞台となるコマラは、すでに滅びた町であり、登場人物のほとんどが死者です。読者は物語の途中で、語り手であるフアン=プレシアードさえもが実はすでに死んでいることに気づかされます。ここでは生と死の境界線が取り払われ、過去の記憶と現在の囁きが等価値に混ざり合っています。
物語全体に、カトリック的な罪と救済の不在の影が濃く落ちています。コマラの住人たちは罪を抱えたまま死んでおり、司祭もまた彼らを救うことができません。死者たちは天国へ行くこともできず、乾いた大地に縛り付けられ、永遠に自分の過去を語り続ける刑に処されているかのようです。
封建主義
ペドロ=パラモという人物を通じて、当時のメキシコ社会に根付いていた地方ボス(カシケ)による支配が描かれています。彼は土地、女、法律、そして人々の命までも私物化します。彼の個人的な欲望と絶望が、結果としてひとつの町全体を「地獄」へと変えてしまいます。一人の男の支配が、共同体そのものを窒息させていく過程が冷徹に描かれています。
主人公フアン=プレシアードがコマラを訪れる動機は、会ったことのない父であるペドロ=パラモを捜すことです。父親を捜す旅は、自分自身のルーツを確認する旅でもあります。しかし、見つけた父は冷酷な権力者のなれの果てであり、救いはどこにもありません。 町にはペドロ=パラモが孕ませた非嫡出子が溢れており、彼らは皆、父性の欠如という呪いを背負わされています。
語りの構造
ルルフォは直線的な時間の流れを放棄し、記憶に基づいた断片的な構成をとっています。過去の出来事と現在の状況が同時に存在しており、時間は進むものではなく、円環状に感じられます。
30年前の出来事と今の会話が、何の予兆もなく入れ替わります。誰が語っているのか、誰の記憶なのかが曖昧になります。
物語世界
あらすじ
物語は、主人公フアン=プレシアードが、死の間際の母との約束を果たすために、母の故郷コマラを訪れるところから始まります。
コマラは異様に暑く、静まり返った町でした。フアンはそこで出会う人々に、父ペドロ=パラモのことを尋ねますが、次第に不気味な違和感を覚えます。会う人々がみな、実はすでに死んでいる亡霊であることを彼は悟ります。町は過去の記憶と、死者の囁き(ムルムリョス)で満ちていたのです。
あまりに多くの死者の声と絶望に押しつぶされたフアンは、恐怖のあまり命を落とします。その後彼は墓の中で隣に眠る女性と会話を続けながら、父の過去の物語を聞くことになります。彼の父であり、かつてコマラを支配したペドロ=パラモの残忍な一生が断片的に明かされます。
ペドロは借金まみれだった実家を立て直すため、暴力、殺害、不正な婚姻を繰り返し、広大な農園メディア=ルナ(半月)を支配する大ボスへと登り詰めます。
冷酷な彼が唯一、子供の頃から執着していたのが、美しくも精神を病んだ女性スサナ=サン=フアンでした。彼はあらゆる手を尽くして彼女を手に入れますが、彼女の心はついに彼を向くことはありませんでした。
スサナが亡くなったとき、町の人々が彼女の死を悼まずに祭りを楽しんだことにペドロは激怒します。「私は腕を組んで、この町を見捨ててやる」と誓い、彼は町への援助を一切断ちました。
ペドロの冷酷な支配の結果、人々は去り、町は飢えと死の漂う廃墟と化しました。最後、彼は皮肉にも自分の息子アブンディオによって刺され、石の山のように崩れ落ちて果てます。




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