始めに
ジェイムズ『ヨーロッパ人』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造
国際性
ジェイムズはアメリカ(ニューヨーク)生まれですが、若い頃からヨーロッパに長期滞在し、フランスやイタリアを旅し、最終的にはイギリスに帰化しました。彼の人生そのものが「アメリカ的背景」から「ヨーロッパ的文脈」への移動であり、その異文化的な距離感・観察者の立場が小説に反映されています。
ヘンリー・ジェイムズのテーマを「国際性(international theme)」と呼ぶのは、まさに批評史のなかでよく言われることです。
影響したメリメも『コロンバ』『マテオ=ファルコーネ』などにも、そのような制度論的な視座があります。
初期から中期にかけての代表作『アメリカ人』『デイジー・ミラー』『ある婦人の肖像』などでは、アメリカの「新世界」的な単純さ・純真さ・エネルギーと、ヨーロッパの「旧世界」的な洗練・伝統・複雑さの価値体系の衝突や交流を中心に物語が展開されます。批評家たちはこれを「国際テーマ」と呼び、ジェイムズ文学の重要な特徴とみなしています。
ボストンというトポス
ジェイムズの作品において、ボストンは単なる「アメリカ」を象徴する都市ではなく、旧世界ヨーロッパの深い影を帯びた独自の文化圏として描かれます。しばしばジェイムズの初期小説を国際テーマの始まりと呼び、アメリカの無垢とヨーロッパの洗練の対比として理解する読みが流布しているものの、実際にはアメリカ内部、特にニューイングランドの文化は純粋な新世界ではありません。
『ヨーロッパ人』に描かれるウェントワース家の禁欲的で格式ある生活様式は、むしろヨーロッパのプロテスタント的伝統の延長線上にあり、アメリカ的自由とは程遠いものです。ガートルードの息苦しさの原因はアメリカの抑圧ではなく、アメリカに残存するヨーロッパ的規範社会です。
このことは『ボストニアン』でも一層明確になります。フェミニズム運動と社会改革の熱に包まれるボストンは、一見革新的な都市に見えるものの、その政治的理性主義や道徳的高潔さには、依然として旧世界的な厳格さが宿っています。オリーヴ=チャンスラーの道徳的純粋さと、ベレーナをめぐる使命感に満ちた束縛は、伝統的な宗教的禁欲の転化とも読めます。つまり、ボストンの改革運動は、ヨーロッパ的禁欲の世俗化した形態として立ち現れており、単純にアメリカ的自由主義の現れとは言えないものです。ここには『ヨーロッパ人』に見られる敬虔で抑圧的なニューイングランドの精神が、そのまま政治的・社会的イデオロギーへと姿を変えている連続性があります。
『ヨーロッパ人』も、ヨーロッパとアメリカという二項対立ではなく、むしろヨーロッパ内部の価値体系の断層が、アメリカの土壌に複雑な形で移植された結果を描いた小説といあます。ユージニアは宮廷的・貴族的なヨーロッパを象徴し、計算と虚飾、政治的配慮と階級意識の文化を体現します。他方、フェリックスは芸術的で軽やかな第三のヨーロッパ、すなわち宮廷でもニューイングランドでもない、個人主義的な美学と自由の体現者です。このこのフェリックスこそが、ボストンの女性ガートルードに自由の可能性を開く存在です。つまりガートルードを束縛から解放するのはアメリカではなく、むしろ別種のヨーロッパともいえます。
『ボストニアン』でも、ボストンの改革者たちは、アメリカ的進歩を掲げつつも古い道徳的厳格さを引きずった存在であり、その改革精神には解放と抑圧が同居しています。
ジェイムズにとって重要なのは、文化が国境ではなく精神的類型として人間に表れることを描きます。ボストンはアメリカの都市でありながら、旧世界の禁欲と理想主義を色濃く残したヨーロッパ的アメリカであり、そこに別種のヨーロッパとしての芸術的で軽快なヨーロッパのフェリックスが衝突し、個々の人物の心理と選択が揺さぶられます。ガートルードの自由はアメリカから生まれたのではなく、むしろヨーロッパから来た異質な価値観によって触発されたものであり、ジェイムズはこの多重的なヨーロッパ性のせめぎ合いこそが、近代的主体の形成を促す力であると描いています。
フェリクスとランサム
『ヨーロッパ人』に登場するフェリクスは、一見“旧世界の人間”でありながら、実は旧世界的規範をほとんど自分の内側に持たない、極めて特異な存在だ。王侯貴族の残影を背景に持ちながら、その制度的重さはすでに失われており、彼自身はむしろ自由に浮遊する“ヨーロッパ的コスモポリタン”として振る舞います。
道徳的禁欲の重さを欠き、軽々と越境するピカレスク的流動性、イギリス的コモンセンスの世俗的な自由を持っていて、新世界の楽観の延長線上にあります。フェリクスは自由を「他者を縛らない自由」として体現しており、その点で“新世界の陽性の側面”を戯画的に表しています。
これに対し、『ボストニアン』のバジル=ランサムは、自由の問題を一気に複雑化させる人物です。彼は南部出身の保守的な弁護士であり、その内部には二つの要素が同居しています。
バジルは南部的保守道徳(宗教的敬虔、家父長制、ジェンダー規範、女性の公的参与への懐疑)を内面化しています。バジルにとって自由とは秩序の中に置かれた自由であり、実際には権威性の裏返しである場合が多いです。
ところが同時にバジルはフェリクスと重なる個人的な誠実さ、人格的一貫性、感情の率直さを備え、理念を振りかざすボストン的急進主義よりも、生身の人間の苦悩を重視するという意味での自由主義も持っています。
この二層が矛盾を孕みながら同居しているため、バジルは自由を語るが、自由を奪うこともできる男として描かれます。この両義性こそ、フェリクスには全く欠けている部分です。
ベレーナは、フェミニズム運動の象徴として理念的自由を背負わされる一方で、バジルが示す個人的自由にも魅力を感じます。その引力は、オリーヴの政治的使命感には欠けている身体性です。しかし彼女が惹かれるのはバジルの保守道徳ではなく、バジルのコモンセンス的な親密さ、人間への信頼に満ちた自由です。
しかしその自由の奥には、家父長的規範や旧世界的抑圧、女性の主体性を包み込む力が潜んでいるため、惹かれれば惹かれるほど、ヴェレナは自己の自由と自律を失う危険にさらされます。
最終章でベレーナは、涙ながらにバジルと逃避します。この駆け落ちは、19世紀恋愛小説の結末としては通常救済を意味します。しかしジェイムズは、それをあえて不吉に描きます。ベレーナの未来は幸福である保証がなく、彼女が選んだのは自由ではなく、新たな束縛かもしれないという予感だけが残されます。
ボストンの急進主義は理念による抑圧であり、バジルの保守主義はモラルによる抑圧です。彼女が選べる領域は最初から自由ではなく、むしろ自由を求める運動そのものが、自由を奪う複数の場の中に閉じ込められています。
集合行為における一個のアクターの視点から描く心理劇
本作品とコンセプトとして重なるのは漱石『こころ』やロブグリエ『嫉妬』、谷崎潤一郎『卍』『痴人の愛』、芥川『藪の中』、フォークナー『響きと怒り』、リンチ監督『ブルー=ベルベット』と言えます。集合行為における一部のアクターを語りの主体にしたり、または一部のアクターにしか焦点化をしないために、読者も登場人物と同様、作中の事実に不確かな認識しか得られるところがなく、限定的なリソースの中で解釈をはかっていくことしかできません。
ロシアとフランスのリアリズムの影響。集合行為を追う物語
ヘンリー=ジェイムズという作家はツルゲーネフ(『父と子』『初恋』)を通じて知己を得たフローベール(『ボヴァリー夫人』『感情教育』)、ゾラ(『居酒屋』『ナナ』)、モーパッサン(『脂肪の塊』『女の一生』)などから影響を受けたことが知られます。そうした縁もあってロシアとフランスのリアリズム文学の影響を強く受けたのでした。またバルザック(『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』)の作品をこのみ影響されました。
本作品もさながらドストエフスキーの『罪と罰』などを連想させられます。
他の作品では例えば冨樫義博『HUNTER×HUNTER』、ハメット『マルタの鷹』『血の収穫』、谷崎潤一郎『卍』、エドワード=ヤン監督『エドワード=ヤンの恋愛時代』などに近いですが、物語は偏に特定のテーマや目的に従うべくデザインされている訳ではなく、エージェントがそれぞれの選好、信念のもと合理性を発揮し、これが交錯する中でドラマが展開されていきます。このようなデザインは、現実社会における政治学・社会学(システム論、エスノメソドロジー)や制度論、国際関係論におけるリアリズム/リベラリズム/ネオリベラリズム/ネオリアリズムが想定する人間関係や国際関係に対するモデルと共通しますが、現実世界における実践に対する見通しとして経験的根拠の蓄積のある強固なモデルといえます。
メリメ、モーパッサンらの影響
ヘンリー=ジェイムズはモーパッサン(『脂肪の塊』『女の一生』)などから影響を受け、モーパッサンも枠物語構造をとりれた作品があって、それが永井荷風の『ふらんす物語』へ影響し、そこで「おもかげ」と呼ばれる作品をものしております。コンラッド『闇の奥』にもモーパッサンの影響があります。本作の非線形の語りはモーパッサン、それからメリメの影響が大きいでしょう。
メリメは『カルメン』のオペラ化が有名ですが、ゴシック文学を広く手がけております。伝聞による語りや翻訳文学のパロディなどを孕んだ、豊かな語り口が特徴の作風で、『カルメン』も枠物語の構造です。
ジェイムズの非線形の語りにはこうした作家の影響も関わります。
物語世界
あらすじ
ユージニアと弟のフェリックスはボストンに到着します。翌日、フェリックスは従姉妹たちを訪ねます。そこで初めて、教会に行くのをさぼって恋愛小説を読んでいるガートルードに出会います。フェリックスは夕食を一緒にとります。
翌日、ユージニアが彼らを訪ねます。3日後、叔父のウェントワース氏が、自分たちの家の近くの小さな家に泊まることを提案します。フェリックスは叔父の肖像画を描こうと提案します。ウェントワース氏が断ると、代わりにガートルードの絵を描く計画を立てます。
ある日、散歩中のガートルードは、彼女を待っていた若い牧師のブランド氏に出会います。ブランド氏は改めて愛の告白をするものの、ガートルードはそれを聞き入れず、彼に立ち去るように頼み、その後、ガートルードは悔しさのあまり泣きだします。家族がブランド氏を受け入れるようガートルードに圧力をかけているからです。
そして、ガートルードは肖像画を描いているフェリックスの前に立ちます。会話の中で、フェリックスはなぜアメリカ人の親戚は人生の楽しみにほとんど関心がなく、自分自身の幸福について考えていないように見えるのか疑問に思います。
ユージニアは、ウェントワース家の従弟で、唯一結婚適齢期で裕福な独身男性、ロバート=アクトンに目をつけ、二人は一緒に過ごし始めます。ユージニアはアクトン氏に、夫の家族が署名を求めている書類があること以外、結婚生活についてはほとんど触れません。彼女はアクトン夫人を訪ね、会話の中で、息子が自分のことをよく話しているという嘘をつきます。ウェントワース氏はフェリックス氏に、幼い息子クリフォードが飲酒問題でハーバード大学を停学になったことを話します。フェリックスは、教養のある年上の影響が礼儀作法を改善するのに役立つかもしれないと提案し、幼いクリフォードはユージニアを訪問し始めます。
一方、フェリックスとガートルードは恋に落ちます。ガートルードはついに、父親が牧師のブランド氏との結婚を望んでいると告げます。フェリックスは、ガートルードの妹シャーロットがブランド氏に惹かれている様子に気づき、ブランドも同様に愛していると確信します。彼はブランド氏に、そのことをほのめかすように話しかけます。フェリックスはシャーロットとブランド氏が結ばれることを望んでいます。そうすれば、フェリックスはガートルードと自由に恋愛関係を築けるからです。
ある晩、数日間家を空けていたロバート=アクトンは、遅くにユージニアを訪ねます。実はそのときユージニアと一緒にいたのはクリフォードですが、ユージニアはロバートが来るとわかり、クリフォードを奥の部屋に隠れさせます。アクトン氏との会話の中でユージニアの結婚の話題が再び持ち上がり、アクトン氏は二人きりでナイアガラの滝を見に行こうと提案します。クリフォードは思いがけず隠れ場所から出てきて、気まずい雰囲気になります。クリフォードは出て行き、ユージニアは若い男が自分の家にいるという嘘の話をします。後にクリフォードと話しているうちにアクトン氏は彼女が本当のことを言っていなかったことに気づきます。彼女が嘘をつくことができるという事実がこたえ、アクトンは数日間彼女に会いに行かなくなります。
一方、フェリックスは妹のユージニアにガートルードと結婚したいと告げます。ユージニアもまた、ロバート=アクトンからプロポーズされたものの、本当にそうしたいのか確信が持てないと兄に嘘をつきます。
そしてユージニアはドイツへ帰国することを決意します。アクトン夫人を訪ね、出発するロバートと対面し、婚姻無効の書類をドイツに送ったと主張します。アクトン氏はユージニアがドイツを去ることを残念に思うものの、彼女をドイツに留めておくための明確な提案はしないのでした。
フェリックスは叔父を訪ね、ガートルードと結婚を申し込みます。叔父は最初は驚くものの、もう一人の娘シャーロットが二人の縁談に賛成し、続いてガートルードがやって来てフェリックスと結婚すると宣言します。そしてついにブランド氏もやって来て、この若い二人と結婚したいと告げます。
フェリックスはアメリカで幸福を見つけました。フェリックスとガートルードは結婚し、その後ヨーロッパに住んで旅をします。ブランド氏とシャーロットも後に結婚するものの、ガートルードがブランド氏に似合わなかった一方で、シャーロットとずっと似合っていました。しかし、アメリカで一攫千金を狙った計画がうまくいかなかったユージニアは、兄の結婚式にも出席することを拒否します。彼女は荷物をまとめてヨーロッパへ戻るのでした。



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