始めに
ナボコフ『ベンドシニスター』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
詩人としてのキャリアとモダニズム
ナボコフはもともとロシアのシンボリズムなどの前衛詩から影響されて詩作を試みていました。
そのため、ナボコフの文章は詩的に構築され、洗練されたデザインになっています。
またルイス=キャロル(『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』)やジョイス(『ユリシーズ』)のアフォリズム、言語的遊戯からの影響も顕著に受けています(ジョイスからはやがて離れます)。またシェイクスピアやプーシキン(『大尉の娘』『スペードの女王』)の詩作や演劇からも影響が大きいです。
プーシキンを好んだゴーゴリからの影響も顕著です。本作ではゴーゴリ『狂人日記』にもにた語り手の狂気を描きます。
プーシキン流自由主義
ナボコフは男の作家では珍しい(ほかに堀口大学とか)ですが、すごいファザコンで、お父さんを超素朴に尊敬しています。そして、父の影響で、自由主義の信奉者となりました。
大おじと繋がりがあり、自由主義を体現するロシアのロマン主義の作家であるプーシキン(『大尉の娘』『スペードの女王』)は、ナボコフにとって終生大切な存在となり、プーシキンを巡る下らない小競り合いでエドモンド=ウィルソンと絶交しました。
ディストピア小説
ナボコフは反共(反スターリニズム)、反ナチス
で反全体主義の自由主義者でした。
家族が革命で亡命し、ロシアの全体主義に対する個人的反感が非常に強いです。ナチズムも群衆による陳腐な美学と残虐さの結合として嘲笑の対象です。
執筆の頃は冷戦初期で、反ソ連のムードがアメリカで生まれ始めていた頃でした。
語りの構造
本作で印象的なのはラストです。
終盤、視点が不意に変わり、ナボコフは物語世界外の作者が傍観しているような調子で語り出します。ナボコフはクルーグの苦しみをこれ以上描く必要がないとでも言うように、物語世界内の展開を終わりにします。
ナボコフはここで、全体主義的な現実の残酷さに対して、作者として美的介入を行い、世界の構造そのものを停止させるのでした。
解釈は分かれますが、ここでナボコフは政治的希望を描くのではなく、美的自由こそが全体主義に対する唯一の絶対的自由であり、抵抗であることを描こうとしていると読めます。
物語世界
あらすじ
この小説は、ヨーロッパにある架空の国家パドゥクグラードを舞台としています。この国は、人間は1人1人が違うという考え方を否定して個人の規格化とその結果の公平を万人の幸福とみなす「均等主義」という政治思想に支配されています。
主人公のアダム=クルグは妻を亡くし、家には幼い息子のダヴィッドと家政婦が1人だけです。クルグは高名な哲学者で教授だが、均等主義のもとで大学は廃止されます。「普通人党」を結成して政権を掌握した独裁者パドゥクは彼の幼馴染で、昔は「蟇蛙」と呼んでからかっていました。
そこで2人の関係をあてにした学長から、嘆願書に署名してパドゥクに届けるように依頼されます。クルグは断るものの、周囲の人間や同僚はパドゥクの独裁政治で次々に逮捕されます。
ある日、クルグはパドゥクに呼び出され、均等主義や政権を宣伝する演説に名前と文章を貸すように求められます。クルグはそれを断ります。政権が手を打つ前に亡命することも考えるものの、幼い息子が気がかりです。やがてついに総統のエージェントがクルグ親子を狙い、2人は刑務所に連行されます。
ダヴィッドを人質にとられたクルグは、息子の安全と引き換えに政権への忠誠を誓おうとします。しかし無事を確認させようと連れてこられた少年は、アルヴィットという名の別人の子でした。担当者によると、ダヴィッドは手違いで問題児たちの矯正のための「解放ゲーム」に混ぜられていました。ゲームに参加する孤児は手足を引き裂いたり、骨を折ったり、眼玉をえぐったりされ、途中で治療も受けつつ最終的に殺されるそうです。
パドゥクは手違いを詫び、息子を手にかけた犯人を直接殺す権利をクルグに与え、実行すればこれまでに逮捕した友人たちも解放するといいます。友人たちもそうするように嘆願するものの、クルグは発狂しています。彼はパドゥクの方に駆け出したものの、護衛が発砲します。
しかし銃弾がクルグに命中するその瞬間に、語り手の「わたし」は描写を中断し、書き終えたページや書き直したページが散乱するなかに立ちあがります。「わたし」はクルグという人物が虚構の存在であることを認めつつ、最期は幸せであったと言い、蛾におやすみと告げて眠ろうとします。



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