始めに
ナボコフ『絶望』解説あらすじを書いていきます。
語りの構造、背景知識
詩人としてのキャリアとモダニズム
ナボコフはもともとロシアのシンボリズムなどの前衛詩から影響されて詩作を試みていました。
そのため、ナボコフの文章は詩的に構築され、洗練されたデザインになっています。
またルイス=キャロル(『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』)やジョイス(『ユリシーズ』)のアフォリズム、言語的遊戯からの影響も顕著に受けています(ジョイスからはやがて離れます)。またシェイクスピアやプーシキン(『大尉の娘』『スペードの女王』)の詩作や演劇からも影響が大きいです。
プーシキンを好んだゴーゴリからの影響も顕著です。本作ではゴーゴリ『狂人日記』にもにた語り手の狂気を描きます。
プーシキン流自由主義
ナボコフは男の作家では珍しい(ほかに堀口大学とか)ですが、すごいファザコンで、お父さんを超素朴に尊敬しています。そして、父の影響で、自由主義の信奉者となりました。
大おじと繋がりがあり、自由主義を体現するロシアのロマン主義の作家であるプーシキン(『大尉の娘』『スペードの女王』)は、ナボコフにとって終生大切な存在となり、プーシキンを巡る下らない小競り合いでエドモンド=ウィルソンと絶交しました。
語りの構造
『絶望』は、信頼できない語りの手法を用いています。
主人公ヘルマン=カールは、ある日偶然出会った浮浪者フェリックスが自分とそっくりだと確信し、彼を替え玉にして自らの死を偽装し保険金を手に入れる計画を立てます。しかし、読者にも外部人物にも明らかなように、二人は似てすらおらず、ヘルマンの計画は破綻し、最後には追われる身となった彼が手記を仕上げる形で物語は終わります。
全体的にそのような信頼できない語りが、ドストエフスキーのパロディとして展開されます。
ドストエフスキーなどの風刺
ナボコフはゲルマンという主人公や小説それ自体をドストエフスキー作品のパロディとしていて、自分の小説に名前をつけようとしたゲルマンは『……の手記』(『地下室の手記』パロディか)『分身』といった題名を検討します。
ナボコフはドストエフスキーを嫌っていて、その過剰な描写や売春の賛美と当人が認めたものを否定していますが、ただナボコフのドストエフスキー理解は浅く、『罪と罰』を若い時期に読んだ悪印象が手伝って、あまり精読もしていないと思われます。また結構2人はそもそも作家性が似ていて、プーシキン、ゴーゴリに加えて、その源流としてのシェイクスピアからの直接・間接の影響など、背負っているモードが近いです。
その他にもこの小説にはプーシキン、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ワイルド、ドイルへのパロディが見えます。
物語世界
あらすじ
語り手であり主人公のゲルマン=カルロヴィチは、ドイツ系のロシア人で、チョコレート工場を経営しています。
ゲルマンはプラハで、自分の分身としか思えないほど似ている浮浪者と出会い、衝撃を受けます。この浮浪者はフェリックスという名前ですが、彼と顔がうり二つであることに気づきもしないようで、ゲルマンはその鈍さを嘲笑します。ゲルマンには読書好きだが愚鈍なところがあり忘れっぽいリーダという妻がおり、彼女のいとこの画家アルダリオンとも日頃から付き合いがあります。ゲルマンの語りから、リーダとアルダリオンが愛人関係にあることがうかがえますが、ゲルマンはいかに妻が自分を愛しているかを折に触れて力説します。
しばらくして工場の経営に行き詰ったゲルマンは、フェリックスに自分と顔が似ていることを利用した儲け話を持ちかけます。それはフェリックスが自分になりすまし、その間にアリバイを得たゲルマンが危うい仕事をするという内容でした。しかし実はそれはフェリックスを自分の身代わりに殺し、妻のリーダに自分の死亡保険金を受け取らせるという犯罪計画でした。ゲルマンは自分の完璧な計画を芸術にたとえて自賛するとともに、手はず通りにフェリックスに自分の服装をさせてから射殺します。
しかし身を隠した先のホテルで、この事件の犠牲者がゲルマン本人であるとは欠片ほども考えられていないことを知り、激しく動揺します。それどころか彼が読んだ新聞には、彼と犠牲者の顔は似ても似つかないと書かれていました。
ゲルマンは自分の計画の完璧さと創造性を証明するために原稿を書き始めます。それがこの『絶望』という小説でした。潜伏先を変え、すでに日記のようになった原稿を彼は書き続けます。
ついに所在を暴かれ、間借りした家をとりかこむ警官と大勢の野次馬を窓からのぞいたゲルマンが、その人だかりに向かって演説をぶとうとするところで日記は終わっています。



コメント