始めに
ヘルマン=ヘッセ「少年の日の思い出」解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
ドイツロマン主義の影響
ヘッセは、ドイツのロマン主義の作家であるゲーテやシラーの作品からの影響を顕著に受けました。
特にゲーテの文学の特徴となる個人や個性、感受性や直感の尊重、反俗的なテーマは、ヘッセの文学の基調となっていきます。
またニーチェの思想からの影響も顕著で、そこから超越的なものの存在を信じつつも、教会などの教条主義を批判的にみる視点を養いました。こうしてヒンドゥー教や仏教から影響を受けつつキリスト教を批判的に消化し、自分の人生との関係の中で捉え直そうとします。
語りの構造
本作は私淑したボッカチオ『デカメロン』の枠物語構造やゲーテの形式主義的実験の影響がうかがえ、枠物語として設定されています。
『デカメロン』は1348年に大流行したペストから逃れるためフィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするという内容で、10人のいる世界が外枠になっていて、そのなかでさまざまな話が物語られていきます。
本作は最初の語り手「私」が蝶集めを始めたことを客に自慢します。その後、客は少年時代に熱心な収集家だったことを伝え、過去の思い出を語りだします。そして最初の語り手は客の語りの聞き手に交代していきます。
似たようなデザインはトウェイン『アーサー王宮廷のコネティカット=ヤンキー』、コンラッド『闇の奥』、ジェイムズ『ねじの回転』、トルストイ『クロイツェル=ソナタ』などたくさんあります。
過去の罪と屈辱
物語の中心となるのは、客人である男の過去に起こった、ヤママユガをめぐる事件です。
少年時代の客人は、虫の標本づくりに熱中していたものの、あることがきっかけでそれをやめたのでした。それは自分が軽蔑している皮肉屋の知人からヤママユガの標本を盗もうとして、それを破壊してしまったことです。
確かに盗んでしまったのは客人の罪ではあったものの、俗悪で醜悪な人間性のエーミールに徹底的に言い返しようのない正論で咎められるのは大変な屈辱で、そのトラウマから客人は標本づくりをやめてしまうのでした。
客人はこの苦い思い出から、過去の罪は容易に消せないことを学ぶのでした。
罪を経た成長は、『デミアン』『荒野のおおかみ』などにも描かれます。
物語世界
あらすじ
子供が寝静まるころ、「私」は蝶集めを始めたことを客に自慢します。客の申し出を受け、「私」はワモンキシタバの標本を見せます。客は、少年時代に熱心な収集家だったことを話します。しかし思い出が不愉快であるかのように標本の蓋を閉じます。客は非礼を詫びつつ、自分で思い出を穢してしまったことを告白するのでした。
「僕」 (客) は仲間の影響で蝶集めを8、9歳のころに始め、すぐ夢中になりました。両親は立派な標本箱を用意してくれないので、ボール紙の箱に保存していたから、立派な標本箱を持つ仲間に見せるのは気が引けました。
ある日「僕」は珍しいコムラサキを捕らえて標本にします。見せびらかしたくなり、中庭の向こうに住んでいる先生の息子エーミールに見せようとします。エーミールは模範少年で、標本は美しく整い、破損した翅を膠で復元できました。「僕」はそんな彼を「悪徳」を持つ存在として嫌っていました。エーミールはコムラサキの希少性は認めるものの、展翅技術の甘さや脚の欠損を指摘して酷評し、「僕」は二度と彼に標本を見せまいと思います。
2年後、エーミールが貴重なクジャクヤママユの繭を手に入れ、羽化させました。エーミールが公開するのを待ち切れない「僕」は、エーミールを訪ね、留守の部屋に忍び込み、展翅板の上に発見します。感動のあまり、展翅板からはずし、持ち出そうとしてしまいます。
部屋をメイドの足音で我に帰った「僕」は、とっさに蝶をポケットにねじ込んでしまいます。罪悪感から元に戻そうとするものの、ポケットの中で潰れてしまっていて絶望します。
逃げ帰った「僕」は母に告白します。母は僕の苦悩を理解し、謝罪と弁償をするようにいいます。そうして母に促されてエーミールを訪ねます。エーミールが復元作業を試むも徒労に終わるのを眼前にしつつ「僕」はありのままを告白します。
エーミールは舌打ちし皮肉をいいます。「僕」は弁償としておもちゃや標本をすべて譲るといいますが、エーミールは冷淡に拒絶します。「僕」は、飛び掛かりたい衝動をとどめ、軽蔑の視線に耐えます。
「僕」は収集との決別のため、標本を1つ1つ、指で粉々にしました。
参考文献
・高橋健二『ヘルマン・ヘッセ: 危機の詩人』




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