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泉鏡花『高野聖』解説あらすじ

泉鏡花
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始めに

泉鏡花『高野聖』解説あらすじを書いていきます。

背景知識,語りの構造

泉鏡花の口語的世界

 泉鏡花は、尾崎紅葉の硯友社のメンバーで、そこから江戸文芸の戯作文学を参照しつつも、リズミカルな口語によって幻想的で性と愛を中心とする世界を描きました。

 江戸文芸にあった洒落本ジャンルは、遊郭における通の遊びを描くメロドラマでしたが、鏡花も洒落本を継承して、花柳界におけるメロドラマを展開しました。また読本的な幻想文学要素、人情本的な通俗メロドラマからも影響されて、幻想文学、メロドラマをものした鏡花でした。戯作文学の口語的な豊かな語りのリズムを鏡花は継承しました。

 戯作における読本は、中国の志怪小説、伝奇小説、伝奇、白話小説などの伝奇的な幻想文学を水源としていました。本作も中国唐代の怪異譚である「板橋三娘子」を下敷きにしています。

板橋三娘子

 「板橋三娘子」は、河南省の板橋店で宿屋を営む三娘子が、客に焼餅を食べさせてろばに変える妖術を使っていた話です。

 許州の趙季和という人が洛陽へ行く途中、この板橋店に立ち寄ります。季和は日頃から三娘子の旅籠の評判を聞いていたので訪ねるのですが、三娘子の怪しい振る舞いを警戒して出された焼き餅を食べず、逃げ出し、それから三娘子が焼き餅を食べさせることで人を驢馬に変えていたことを知ります。その後、季和は、この三娘子にあの焼き餅を食べさせて懲らしめる、という物語です。

語りの構造

 本作は枠物語的な構造が設定されています。

 若狭へ帰省する旅の車中で語り手の「私」は一人の中年の旅僧の宗朝に出会い、越前から永平寺を訪ねる途中に敦賀に一泊するという彼と同行します。宗朝の馴染みの宿に同宿した「私」は、夜に宗朝から怪談を聞き、そこから語りの主体は宗朝に移行します。

 コンラッド『闇の奥』、ジェイムズ『ねじの回転』などと重なる語りの構造です。

物語世界

あらすじ

 若狭へ帰省する旅の車中で「私」は一人の中年の旅僧に出会い、越前から永平寺を訪ねる途中に敦賀に一泊するという彼と同行します。旅僧の馴染みの宿に同宿した「私」は、夜に旅僧から怪談を聞きます。それはまだ旅僧(宗朝)が若い頃、行脚のため飛騨の山越えをしたときのことでした。

 若い修行僧の頃の宗朝は、信州の松本へ向う飛騨天生峠で、先を追い越していった富山の薬売りの男が危ない旧道へ進んでいったため、これを追いかけます。蛇に出くわし、山蛭の降る森を切り抜けた宗朝は、馬の嘶きのする方角へ向い、妖しい美女の住む孤家へたどり着きます。

 その家には、女の亭主だという白痴の肥った少年もいました。宗朝は怪我して汚れた体を、女に川で洗って癒してもらうものの、女もいつの間にか全裸になっています。

 二人が家に戻ると、留守番をしていた馬引きの親仁が、戻ってきた宗朝を不思議そうに見ます。その夜、家の周りで鳥獣の騒ぐ声を宗朝は寝床で聞き、一心不乱に陀羅尼経を唱えます。

 翌朝、女の家を発ち、宗朝は里へ向いながらもあの女のことが忘れられず、僧侶をやめてと共に暮らすことを考え、引き返そうとします。そこへ馬を売った帰りの親仁と出くわし、女の秘密を聞かされる。親仁が今売ってきた昨日の馬は、女の魔力で馬の姿に変えられた助平な富山の薬売りだった。女には、肉体関係を持った男たちを、息を吹きかけ獣の姿に変える妖力があるという。宗朝はそれを聞くと、魂が身に戻り、踵を返しあわてて里へ駆け下りていった。

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