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レーモン=クノー『地下鉄のザジ』解説あらすじ

レーモン=クノー
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始めに

 レーモン=クノー『地下鉄のザジ』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、語りの構造

クノーの作家性

​​ クノーはジョイス『ユリシーズ』に強い衝撃を受け、言語の多義性や造語、百科事典的な構成に影響を受けました。『文体練習』に見られる変奏の精神は、ジョイス的な実験精神の延長線上にあります。


 ​また数学者であり作家でもあったキャロルは、クノーにとって理想的なモデルでした。ナンセンス文学や論理的な遊び、言葉遊びへの愛着は、キャロルからの影響が見えます。フローベールは『ブヴァールとペキュシェ』に見える百科事典的な知識の集積とその滑稽さ、そして既存の形式への風刺を継承します。またセリーヌが『夜の果てへの旅』で見せた話し言葉を文学に取り込む姿勢は、クノーに影響しています。


​ ​​またヘーゲル哲学の権威であるコジェーヴの講義に出席し、強い影響を受けました。加えて初期はシュルレアリスム運動に参加していましたが、後にブルトンと決別します。しかし自動記述への疑念が、ウリポへと繋がっていきました。ウリポは数学を文学に取り入れたという触れ込みだけど、数学そのもの(定理・証明・数量的構造)を主題や方法にしたというより形式的制約・生成規則を意識的に設計して散文に適用した感じで、定型詩的制約の散文化くらいのことを展開しました。

言語的遊戯と生の哲学

 クノーは本作で伝統的な綴り(正書法)を破壊しました。アカデミックなフランス語ではなく、街の人々が使う俗語やスラングこそが真の文学の素材になり得ると捉えたのでした。


​ ​登場人物たちが「自分は何者か」というアイデンティティを常に問い直し、変容し続けることも重要なテーマです。警官、交通違反取締官、サテュロスなど、次々と正体を変えるトゥルスカイヨンという男は、人間の不確かさを象徴しています。ザジの叔父ガブリエルは、夜は女性的なナイトクラブのダンサーとして働いています。男とは何か、女とは何かという問いが、笑いの中に紛れ込んでいます。

 結局、ザジは念願の地下鉄に乗ることはできず、ストが明けた頃には眠ってしまっています。パンテオンとリヨン駅の区別もつかないまま観光バスで巡る人々を通じ、歴史や文化が記号化され、実体を失った現代社会を皮肉っています。またクノーが傾倒していた哲学者アレクサンドル=コジェーヴの「歴史の終わり」概念の影響が強く反映されています。


 物語の最後、母に「何をしたの?」と聞かれたザジは、有名なセリフを残します。​「私、年をとったわ(J’ai vieilli)」​です。ドタバタの2日間を通じて、ザジが大人たちの嘘、虚飾、そして世界の混沌を目の当たりにし、子供らしい無邪気さを失ったことを示唆しています。

​物語世界

あらすじ

 生意気でマセた地方の少女ザジは、母親が愛人と過ごす時間を作るため、パリに住む親戚のガブリエル叔父さんのもとに預けられます。
 ​

ザジの唯一の楽しみはパリの地下鉄(メトロ)に乗ることです。しかし、運悪く地下鉄は大規模なストライキの真っ最中でした。


 ​地下鉄に乗れないザジは、ガブリエルの運転するタクシー(友人のシャルルが運転)でパリの街を巡ることになりますが、そこには変人ばかりが登場します。​ガブリエル叔父さんは、夜は踊り子として働くパフォーマーです。​ペドロ=スュル=ル=パンテオンはザジをナンパしようとしたり、正体不明の警官に変身したりする謎の男です。​グリドゥは議論好きな靴屋です。

 ​ザジは大人たちを鋭い言葉で翻弄し、行く先々で騒動を巻き起こします。エッフェル塔での追いかけっこ、レストランでの大乱闘など、現実と幻想が入り混じったような、ドタバタ劇が繰り広げられます。
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 ​一晩中の大騒ぎが終わり、ザジが母親と帰る時間になります。ようやくストライキが明け、地下鉄が動き出しますが、疲れ果てて眠り込んでいたザジは、結局一度も地下鉄を見ることなくパリを去ることになります。

 ​駅で母親に「パリで何をしたの?」と聞かれたザジは、​「私、年をとったわ(J’ai vieilli.)」と答えます。

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