始めに
コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません- あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、語りの構造
コニー=ウィリス
コニー・ウィリスがSF作家を志した最大のきっかけは、ハインラインのジュブナイルシリーズです。科学的なアイディアと、人間ドラマを違和感なく融合させる手法を学びました。彼女はハインラインをSFの書き方を教えてくれた師のように慕っており、プロデビュー後も彼へのリスペクトを忘れていません。
『犬は勘定に入れず』などのコメディ作品において、彼女のユーモアの核となっているのが、英国のユーモア作家ウッドハウスです。登場人物たちが些細な誤解からパニックに陥り、事態がカオス化していくスクリューボール・コメディの手法をSFに持ち込みました。執拗なまでの事務的な混乱や間の悪さの描写は、まさにウッドハウス譲りです。
彼女の代表作『犬は勘定に入れず』のタイトルと舞台設定の直接的な元ネタは、彼によるヴィクトリア朝のユーモア小説ジェローム『ボートの三人男』です。ヴィクトリア朝ののんびりした空気感や、旅の道中でのドタバタ劇のスタイルを完璧にオマージュしています。
ウィリスの作品は、ミステリーとしての構造が非常に堅牢です。伏線の張り方や、結末に向けてすべてのピースがパズルのようにはまっていくプロット構成は、クリスティをはじめとする英国本格ミステリーの影響を強く受けています。
アメリカ文学の父、マーク・トウェインからも大きな影響を受けています。人間社会に対する皮肉めいた視点と、それでも人間を愛さずにはいられないヒューマニズムの両立。彼女の描くお役所仕事への怒りや大衆文化への鋭いツッコミには、トウェインに通じる風刺精神が見られます。
カオス理論
この作品の最大のテーマは、歴史は、些細な変化によって崩壊してしまうほど脆いものか、それとも復元力を持った強固なものかという問いです。過去で一匹の魚を逃しただけで、未来が劇的に変わってしまうのではないかという恐怖(カオス理論)が物語を動かします。作中では、歴史には自己修復メカニズムが備わっているという仮説が示されます。どんなに人間がドタバタと混乱を引き起こしても、宇宙は帳尻を合わせようとする、という楽観的かつ壮大な歴史観が描かれています。
物語の舞台となる1889年のヴィクトリア朝イングランドは、現代(作中の21世紀)の混沌としたお役所仕事や戦争の傷跡に対する対比として描かれています。非常に煩わしいほど厳格な当時のマナーや階級制度が、実は予測可能な安全な世界を作っていたのではないかという視点があります。無意味に思える司教の鳥株の捜索を通じて、人間が何に価値を見出し、何を美しいと感じるかという美学の重要性が説かれています。
コメディ
主人公のネッドは時差ぼけ(連続跳躍による精神疲労)に苦しみ、周囲の言葉が支離滅裂に聞こえたり、記憶が混濁したりします。登場人物たちが互いに違うことを話し、誤解が重なっていく様子は、人間がいかに正しく情報を伝えるのが難しいかというテーマをユーモラスに表現しています。人間にはカオスにしか見えない出来事も、より高い視点から見れば、精緻に編まれたタペストリーの一部であるという宗教的・運命論的なニュアンスも含まれています。
物語の結末に向けて、バラバラだったパズルのピースが驚異的な精度で組み合わさっていきます。ネッドとヴェリティの恋を含め、一見偶然に見える出来事が、実は歴史の必然や幸運な巡り合わせによって導かれていることが示されます。 タイトルの通り、一見勘定に入れなくてもいいような些細な存在の犬や猫が、実は世界の均衡を保つために不可欠な役割を果たしているという、万物への愛着がテーマとなっています。
物語世界
あらすじ
舞台は2057年のオックスフォード大学。タイムトラベルが歴史研究の手段として実用化されています。物語のきっかけは、莫大な寄付を背景に大学を支配する富豪、レディ・シュラプネルの執念です。彼女は第二次世界大戦の空襲で焼失したコヴェントリー大聖堂を完璧に再現しようとしており、その装飾品の一つである司教の鳥株(ビショップス・バード・スタンプ)という、世にも醜悪な置物の行方を追っていました。
主人公の歴史家ネッド・ヘンリーは、あまりに過酷な鳥株探しの連続跳躍により、ひどいタイムラグ(時間旅行病)に陥っていました。思考は混乱し、音は歪んで聞こえるという限界状態です。そんな彼を休ませる名目で、上司のダンワージー教授は彼を1889年のヴィクトリア朝へと送り込みます。そこは、レディ・シュラプネルの手が届かない、のどかな時代のはずでした。
しかし、そこには重大なトラブルが待っていました。別の調査員ヴェリティが、あろうことか1889年の過去から一匹の猫プリンセス・アジュマンドを現代に持ち帰ってしまったのです。過去から物を持ち出すと歴史が改変され、宇宙が崩壊するかもしれないという恐怖に直面した二人は、猫を元の時代にこっそり戻すため、テムズ川でのボート旅を敢行します。
ボート旅はカオスを極めます。泳げないブルテリアのシリル。歴史上結ばれるはずの男女が、ネッドたちの介入により別の人に恋をしてしまう危機。降霊会とピクニックなどヴィクトリア朝特有の社交行事の数々。「司教の鳥株」の謎。ネッドとヴェリティは、歴史の綻びを直そうと奔走しますが、やることなすこと裏目に出ます。
しかしふたりが別々の時代に迷い込んで1888年を離れている間に、時間そのものが自然に修正されていました。戻ってみると、謎の「Mr. C」の正体も判明します。実はトッシー(レディ・シュラプネルの先祖)が駆け落ちした相手「Mr. C」の正体は、執事のベイン。彼の本名はウィリアム・パトリック・キャラハン(アイルランド系)で、雇い主が彼の出身を隠すためにイギリス風の偽名を使わせていました。彼はトッシーをじわじわ口説いており、ふたりはアメリカに駆け落ちしたのでした。
最終的に2057年で、司教の鳥台の所在が判明し、大聖堂の完成式典に間に合います。さらにこの発見が、過去の物体を未来に持ち込めるという新たな発見につながり、歴史的に失われた物体の回収という大きな可能性を開きます。




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